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第19話
父王アクエンアテンから命じられたピラミッド内部の見学を終え、帰りの小舟に乗る頃には日が落ちかけており、ナイル川の穏やかな波音と夕陽が沈みかけ暁色に染まる雄大な景色とが目の前に広がっている。
ぎい、ぎい――と舟をこぐためにアクエンアテンから雇われた若い男達が平べったい櫂で熱心に水面を掻き分ける規則的な音が聞こえてくるばかりで、三日月型の小舟にはそれなりの人数の従者が乗っているにも関わらず妙に静まりかえっている。
(他の皆が静かなのはヤークフであるツタンカーメンが乗っているのだから無理もないか………それにしても____)
それとは別にスメンクカーラーには、ピラミッドを去ったにも関わらず、気にかかっていることがあるのだ。
ピラミッド内部から出る直前から、ずっと妙な感覚に襲われていて、しかもそれは木舟に乗り込み、神殿に向かう道中の今も尚続いているのだ。
不快感を伴う胸騒ぎと共に、体全体が締め付けられるような感覚で、結局のところ、その異変は既に夜に差し掛かった時刻に彼らが神殿内部に着いた時まで終わることはないのだった。
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(先程の、あの言い知れぬ感覚は、いったい何だったのか____愛らしいヌトベとのひとときだというのに、まったくもって落ち着かないではないか…………)
愛猫ヌトベの丁寧に手入れされた体を抱き締め、布も何も張られていない四角い窓からヌカザビドの広場を覗き込み、可能ならば寝室から外に出て星見でもしようかと思いを馳せたが、真上を見上げると分厚い雲に覆われた灰色の空が飛び込んでくる。
(柄にもなく、星見をしようという気分だったのだが……残念ながら今宵は叶いそうにないな……ヌトベと共にツタンカーメンを訪ねてみるとしよう)
愛猫のヌトベを抱き上げると女の奴隷達が丁寧に手入れしたおかげですっかり艶やかになった毛が鼻にかかったせいで、思わずくしゃみをしてしまいそうになる。
くしゃみはしなかったものの、むず痒くなったせいで指で鼻を擦りながら、今度は少しばかり憂鬱な気分になってしまった。
それは、ヤークフであるツタンカーメンの周りに休む間もなく神官達がいることと、昼間ならばともかくとして夜にヤークフの元を訪れることに対して眉をひそめ不快感を隠そうともしない神官達が多いことだ。
流石に神官達全員がそうとは言わないまでも、やはり神聖なる存在の【兄】である立場の此方に対して(例えヤークフと血の繋がりがある兄弟だとしてもだ)快く思わないのは、今よりも幼い頃からいくらか理解して不満や不安を押し殺してきたつもりだ。
それに、こう言っては何だが――神官という神に近しい職務に就く者達とはいえ、全員が全員【人々を思いやれる優しさ】を持っているとは限らない。
(恐らくまだツタンカーメンは寝てはいないと思うが、まあ神官達と政治についての話をしていないのを祈るしかないか____それにしても…………)
ふう、と――溜め息をついてスメンクカーラーは少し前に行われたカバ狩りでの出来事を思い出していた。
木舟から、カバの群れがいるナイル川に意図的に落とされた事件のことだ。
父王アクエンアテンが庇ってくれたおかげで最悪の事態は免れたものの、スメンクカーラーはヤークフの兄である自身が、それほどの憎悪を【一人の神官】から向けられていることに対して、どうしようもなく恐怖心を抱き、更には他にもどれ程の神官らが自身に対して【負の感情】を抱かれているのだろうかと想像するだけで、強烈な恐怖に支配されていることを自覚せざるをえない。
更に、近頃【ヤークフ】との様々な場面において自らとの《考え方の違い》が恐怖心を助長させているせいで半ば疑心暗鬼に陥ってしまっていて、そんな自分に対しても不甲斐なさを感じてしまう。
(ツタンカーメンは血を分けた、たった一人の弟で善き理解者だというのに____こんな薄情者だから、父上から愛想をつかされるし、神官らには呆れられるのだ…………)
弟の寝所の前に立ち尽くしながら、そんな風に自問自答を繰り返していたスメンクカーラーだったが、ふと扉が内側から開いたことに気付いて、俯いていた顔を上げる。
「わ……っ____!?」
思わず、情けない声をあげてしまったのは扉から小さい存在が勢いよく此方へと向かって飛んできたからだ。
(黒金虫…………?)
そう思ったのも束の間、スメンクカーラーが咄嗟に両腕で顔面を覆ったからか、一匹の黒金虫は扉の中へと戻って行った。
しかし、その代わりといわんばかりに今度は扉の中から一人の男がスメンクカーラーの前に現れるのだった。
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