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第20話
「これは、失礼した。いくら、このような深夜に偉大なるヤークフの寝所前をうろうろしている不躾者の奴隷がいるとしても、今のようになったのは、この飼い主たる俺の責任____。だが、それはそれとして……いったい貴様はヤークフに何用だというのだ?」
見知らぬ男が、圧力を纏いながらも一応は謝罪の言葉を口にする。
確かに、いくら弟であるヤークフに会いに来るとしても不躾な時間帯だ。
更にいえばよく考えもせずに(いくら深夜といえど)正装ではなく奴隷同然ともいえる薄着の寝着を身に付けたまま来訪してしまったのだから、相手が不審がるのも無理はない。
「あ……っ____えっと…………」
ここにきて、ようやく怒りを孕んだ剣幕に押されてしまっていたせいで、あまりの緊張感からか下へ向いてしまっていた目線を改めて彼の方へ真っ直ぐに向け直す。
目の前にいる彼の年頃は、此方よりも遥かに上なのだろうなとスメンクカーラーは悟った。
(この男の人……父上に似ている____)
スメンクカーラーは、うっかり見惚れてしまっていたせいで返答が遅れてしまう。すると、じれったいと思われてしまったのだろう。
有ろうことか、痺れをきらしたといわんばかりに眉間に皺を寄せて、心の底から涌き出てくる怒りを隠そうとすらしない男がずかずかと遠慮なく歩み寄ってきて、胸ぐらを掴んできた。
「何故に貴様は、俺の問いかけに答えようとしない?この口は、飾りか?それとも、貴様はミセンタから取り寄せられ、下らない輩が愛玩しているヌカザビドだとでもいうのか?そうでないというのなら、さっさと俺の質問に答えろっ…………」
ヌカザビドとは、奴隷を模して作られた土人形のことだ。流石に、昔から代々王に仕え高貴な立場の神官達でさえも、この宮殿で労働している人間の奴隷達に対して、存在自体を侮蔑する意味を持つ【ヌカザビド】とは直接口に出したりはしない。
神官達はどのような位の人間であろうと、その《生命》に込められた意味を尊重するため、最下位の奴隷の《生命》を辱しめるような言動は決してしないというのが暗黙の了解で決められている。
むろん、それを破ったところで即処刑されるなどということはない。だが、神官達は互いに結束し合って【約束事】を守っているのだ。
しかし、あまりにも男の声が大きかったのだろう。
どうやら、外に響いただけでなく寝所にまで先程のやり取りが聞こえてしまったらしく、遂には怪訝そうな表情を浮かべながらヤークフ自身が此方へ歩み寄ってきた。
「アイよ……いったい、こんな夜更けにどうしたというのだ____あ……っ……兄上?こんな時間に――ましてや一人で来訪するなんて、何ともお珍しい____」
ツタンカーメンが、慌てて此方へと駆け寄ってくるや否やすぐに目の前にいる男の手が離れる。更に、怪訝そうな表情を向けられてスメンクカーラーは何ともいえない気まずさから目線を逸らしてしまう。
「ツ…………い、いや……ヤークフ。何のことはないのだ……ただ、少し貴方の顔を見たくて。ところで、初めてお会いするがゆえ、この御方のことを教えて頂けないものだろうか?」
「…………」
目の前にいる男のことが苦手だと思ったがゆえの言葉であり、深い意味などない。しかし、ツタンカーメンはそうは思っていないせいか少しの間、沈黙に包まれる。
更にいえば、どことなくヤークフから漂うよそよそしい気配を受け取ったためスメンクカーラーはひたすら沈黙に耐えることしかできない。
「まったくもって、不自然としかいいようがない。ヤークフ、それに____いや、まずは貴方をヌカザビドだと誤解したのは無礼と認めるべきだな……ヤークフの兄上ということはスメンクカーラー様、先程はとんだご無礼を。」
沈黙を破ったのは、先程とはうって変わって身を屈め床に片膝をつきつつ此方へ謝罪の言葉を述べる年上の男の行動だった。
「我が名は、アイ____」
凛とした声が、少し前までは松明の燃える音しか聞こえていなかった辺りに響き渡る。
「今宵、父王からの命令により、ミセンタから来訪し新たにヤークフの神官となった者でございます。以後、お見知りおきを…………」
そう言って、アイと名乗った男により左手をそっと掴まれて中指の爪に軽く唇を押し付けられたスメンクカーラーは慌てて彼から退く。
「アイよ……お前は、もっとこのアマルナの礼儀について学ばないといけないな」
ここにきて、ようやくツタンカーメンの顔から笑みが浮かぶ。それというのも、アマルナにおいて《左手の爪に唇を押し付ける行為》は愛を誓い合った者同士が更に愛を深める時に行う動作だと分かりきっているからだ。
しかし、当のアイ本人はそんなことなどどうでもいい――といわんばかりの態度でツタンカーメンと共に部屋の中に戻って行ってしまった。
顔だけでなく耳まで真っ赤にしたスメンクカーラーをその場に残したまま____。
ふと、どこか近くから何かの視線を感じたような気がしてスメンクカーラーはそちらへと目を向ける。
しかし、そこに人の姿は見えない。
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