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第26話

結局【ルタヤ】は、本来は主役である筈のツタンカーメン不在という形で滞りなく行われている。 「スメンクカーラー様、こちらがルタヤのために特別に作らせたアエイーシでございます」 愛猫のヌトべを膝に座らせ、憂鬱な面持ちで弟を待ち続けていたスメンクカーラーだったが、ふいに聞こえてきた付き人の神官である男の言葉を聞くと、ようやく今は重要な宴の最中だったと気を引き締める。 隣に控えていたその神官から、アエイーシと呼ばれる平たい食物を受け取ると指先に仄かな暖かさを感じる。熱すぎるわけでなく、しかも手で丁度良い大きさに千切っても石のような固さを感じないことから、このアエイーシを作らせられた奴隷達がとても丁寧な働きをしてくれているのが直接見ていなくとも伝わってくる。 しかしながら、常日頃から汗を流し自らの手で熱心に死にものぐるいで労働した訳ではなく、ただ単にそれを運んできただけの神官は《それを運んできたのは優秀な神官である私なのだから褒めるのが当然だろう》と露骨に優越感に浸っているのが見てとれた。 確かに、この【ルタヤ】においては《食べ物を運んでくる神官》は次期王候補という神々に近しい存在に《恵みを与える役目を担っている神官》という立場なので、重要なことに違いはない。  優越感を抱いてしまうというのも決して理解できないことではないが、だからといって影で必死に働く奴隷を無下にするのは間違っているのではないかと、その思いが幼い頃から払拭しきれずにいるのだ。 弟がこの場所にいないことに加えて神官達の本心が読めずに優越な気分を吐き出せずにいたスメンクカーラーだったが、ほんのりと甘いアエイーシを食べ続けていると、段々と穏やかな気分になっていってしまう。 膝に座らせている愛猫のヌトべも、今はゴロゴロと喉を鳴らしながら気分良く眠っているようだ。 (これから、この日々が続くのだろうか___信頼する弟は側におらず神官達の影と光に怯える、こんな恐ろしい日々が___天に召すまでずっと……………) ヌトべの様子を愛おしそうに眺めてから、安堵の一息を漏らすと、つい目線を目の前の神官の男へと注いでしまう。   頭の中では、この神官だけが奴隷達に対して差別的な待遇をしている訳ではないのだと分かりきってはいるのだが、少ししてから目が合った途端につい視線を逸らしてしまった。 そこで、ようやく思い出した。 「まさか…………アイ__なのか?」 何という、愚かなことだろう。 出会った時からいくらか年数が経っているとはいえ、かつてツタンカーメンの付き人であり尚且つ神官の男の存在をすっかり忘れ去ってしまっていたとは流石に無礼が過ぎる。 「すまない…………そなたの存在を、すっかりと忘れてしまっていた。それで、その……此度のルタヤにはツタンカーメンは____」 「スメンクカーラー様……っ……!!」 少しばかり遠慮がちな口調でアイへと尋ねたのだが、その途中で思わぬ反応をされて会話が遮られたため、驚きながらも再びアイへ視線を向けることとなった。 そして、一斉に周りを取り囲む神官達の冷たい目が此方へと向けられる。 先程までルタヤ特有の酒盛りで賑わっていたというのに、一瞬にして空気が悪い方へと変わってしまう。 「恐れながら…………今や、このルタヤの場にいるのは貴方様お一人のみにございます。決して他のことは考えぬよう、お立場を考えながら会話をなさるべきかと____」   アイの言葉は、とても力強く一切の遠慮も戸惑いすら感じられないため、スメンクカーラーは思わず息を呑んでしまう。 現王の息子のうちの一人である自分に対して、こんなにも戸惑いがなく、真っ直ぐな言葉をぶつけてくる神官など今日に至るまで一人もいなかったからだ。 それを証明するかのように、その直後に神官達のざわめきが聞こえてくる。むろん、どのように反応すべきか困惑しきっているスメンクカーラーに対してではなく、尚も飄々とした様子で自らの態度に誤りなどないと言わんばかりに此方へ視線をぶつけてくるアイに対してだ。 直接言葉にはしなくとも、大勢の神官が揃いも揃って【侮蔑】【怒り】を込めた目線でアイへ注がれているのを察してしまったスメンクカーラーはいても立ってもいられずに、こう口にする。 「ヤ………ヤークフとて支度に時間がかかってしまっているだけかもしれぬ。昔から、このように重大なる宴の時には支度に時間をかけていた弟だ。ゆえに___今に、この場に現れるに違いない」 変わり者であるアイに何とか失望されまいと慎重に言葉を選んだつもりで、どうにか現王の子供という体裁を保つために笑顔を浮かべながら周りの様子を伺う。 すると、 「スメンクカーラー様…………いいえ、新たなるヤークフとなるべき御方とお呼びしましょうか_____」 先程とは違い、アイが真っ直ぐと此方の両目を見据えられる位置になるように意識しつつ膝まづき、少しばかり落ち着いた様子で己の名を呼んだため、困惑してしまうがスメンクカーラーも彼の目を真っ直ぐに見つめる。 「弟であられるツタンカーメン様は、このルタヤの場には決して現れません。ヤークフを名乗る立場を失う時刻がきたためです」 ここにきて、背後に人の気配を感じた。 それに、先程までアイに対して憎悪と侮蔑の目を向けていた筈の神官達は誰も彼もが黙って頭を下げている。 「その者の言う通りだ。スメンクカーラーよ、お前は今をもって我の意志を継ぐこととなる。これからはヤークフとして、このエジプトを守り続けるのだ。我々の前に姿を見せぬ愚息のことなど、もはや…………どうでもよい」 「ですが、父上……っ____」 スメンクカーラーとしては、弟があまりにも可哀想だと言うつもりだった。しかし、その切なる本心は神官達の歓喜の声と、突如として、けたたましく鳴り響く楽器の音によって遮られてしまう。 「偉大なる、新生ヤークフ___」 「我々の忠誠は、全て気高き現王アクエンアテンとヤークフの元に……っ……!!」 新たなる支配者候補が選ばれたことにより興奮を抑えきれず涙を流しながら何人もの神官や他の従者が織り成す喧騒に包まれながら、こうして【ルタヤ】は終わりを告げたのだった。

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