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第28話
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小舟にて移動して街についた途端に、人々の視線が一斉に突き刺さる。
これから、いよいよ【試練】が始まるのだ。
しかも、その視線の中には大勢の神官や武将――更に医師といった宮殿に住まう者だけでなく、可能な限り集めた一般奴隷や市民達のものまである。
そして、むろん現王アクエンアテンもいるのだが、弟の儀式の時とは違って今はウリガン王【ソジアク】の姿が見えるのを確認したスメンクカーラーは更に緊張が増してしまい、なかなか儀式を始められずに躊躇していた。
「スメンクカーラーよ、いつまでそうしているつもりだ?お前は、これから存在する価値すらない愚息の代わりとなり、偉大なるヤークフの地位を手に入れるのだ。王家の義務を捨てて神々の恩恵を裏切った、あの者は……もはや息子ではない。私の息子は、お前だけだ」
父王が冷たい声で言い放つ【あの者】とはツタンカーメンのことだと瞬時に理解したスメンクカーラーは狼狽えつつも、ちらりと視線を右横へと向ける。
全身を黒衣で身に纏い、一言も発しない弟の様子を見て、いたたまれない気持ちを抱くが何も言うことができない自身に惨めさと怒りが込み上げてくる。
しかしながら、ヤークフの地位を失った弟を庇えば自身だけでなく母のキヤ――それに弟の婚約者たるアンケセナーメンの身すら危うくなってしまう。
その邪な魂を救済するべく王宮に飼われている何頭ものカバにその身を豪快に喰われるか、もしくは【神々の力】という未知なる存在を信仰する神官達によって再生を果たすべく拷問されるかの選択しかない。
一番良いとされる方法もあるにはあるが、王宮に仕える最下層の奴隷にされるという屈辱に満ちたものであり、いずれにせよ幸せな未来を掴むことなど不可能だ。
ヤークフの地位を放棄し、誇り高き神々を裏切ったツタンカーメンが奴隷の地位に堕とされるわけでもなく、ましてや命を奪われていないのが不思議でならない状況といっても過言ではないのだが、恐らくは父王の情けなのだろう。
ここにきて、かつて立派な王となりエジプトの未来を守るんだと意気込んでいた幼い頃のツタンカーメンの姿が頭の片隅をよぎる。
(本当ならば…………)
(今日はツタンカーメンが新王となるのが約束される日だった筈なのに___いったい、どうして…………)
感傷に浸りながらも、スメンクカーラーは決して裕福とはいえず強烈な臭気と鬱陶しい蝿の羽音が支配する街の中を歩き続けて、民に会う度に笑顔を浮かべながら丁寧に挨拶していく。
「これにてサジェクは終わり、これから新生なるヤークフの誓いをたてて頂きます。さあ、此方へ____」
街中から川岸へ移動すると、何故か神官達ではなくホセから声をかけられる。
通常であれば神官が声をかける筈だが、これも父王からのお達しであり避けようのない事態だと悟ったため、少しばかり遠慮しつつもホセの手を取るしかない。
スメンクカーラーは両膝を土の上につき、両手を天上に伸ばしつつ太陽の光を拝むと、深々と頭を垂れる。
額に泥がつくことなど、お構いなしにその行為を三度繰り返すとホセから金の冠を被せられ、更に王宮から持参した聖水により清められている葡萄の実を三粒口にする。
汁が滴り落ち、唇を濡らすとその冷たさから思わず「んぅっ………」と声を漏らしてしまう。
身に着けていた黒と金の縞模様の腰布に手をかけて、生まれたての姿となり聖なるナイル川の水で全身を洗い清める。
「それでは、失礼致します。さあ、そんなに緊張なさらないで下さいませ。貴方は偉大なる、現王の血を脈々と受け継ぐスメンクカーラー様。その御身を隠すことなどせずに………すべてを天に委ねるのです」
洗身の役目は、ホセが行うこととなるのを突如として知ってしまう。
今までにないくらいに激しい動揺に襲われてしまったのは【試練】をする上で、てっきり、その役目を神官のうちの誰かが行うと思い込んでいたせいだ。
それ程に、己は無知だった。
この【エジプトの未来を担う世界】を知る必要はないと高を括っていたせいでもあるし、それをするのは弟しかいないのだと現実から目を背け続けてきた罰でもある。
結局は、ヤークフである弟の背後に逃げ続け、【現王の息子】という宿命に怯えていただけの軟弱者にしか過ぎないということを思い知らされる。
そして、流石は王が認める武将というべきか。
傷つけるほどの荒々しさはないものの、有無を言わさずに、ホセの両腕は最後の抵抗といわんばかりに胸元を隠していたスメンクカーラーの片腕を強い力で引き寄せる。
それにより、無防備となった胸があらわとなり、同時にホセの熱い目線が――
いや、彼だけではなく何百もの鋭い目線が注がれる。
厭が応にも、反応してしまう己の体の一部。
しかしながら、再び隠すことなど赦されることではないことはアクエンアテン王の硝子のように冷たい二つの瞳が物語っている。
やがて、見事な弧を描きながら白い種が広大なナイル川の水面に落ちてゆく。
その直後、幾人もの民や神官――更に現王であるアクエンアテンからも拍手と歓声とが沸き起こる。
歓喜に満ち溢れた神官や民達の声を聞きながら、スメンクカーラーは両手を真横に広げ、恍惚としながら笑みを浮かべるのだった。
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