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第29話
サジェクを行う中で最も重大な儀式が終わった頃には太陽神ラーの如く魅惑的な夕日が広大な空に浮かんでいた。
何故かは分からないが、少なくとも今のスメンクカーラーには真昼の太陽の光よりも日が落ちかけて暗黒を待つばかりの夕日の光の方が何倍も眩しく思えてしまう。
両目を瞑っていても、眩しさを避けるために目の周りの化粧を厚くするように側にいる奴隷の少女に頼んでも一向にその違和感は拭えない。
ゆっくりと、目を開けてみる。
くっきりと丸い夕日は以前に探検と称した偵察にいった時のピラミッドに隠れかけており、半円状になっており眩しさは軽減される筈にも関わらず、むしろ先程よりも強くなってきている気がする。
ふと、現王アクエンアテンが無言で手を三度叩く。
謎に満ちた夕日のせいで少し離れたピラミッドに視線を奪われていたが、ここにきてようやく我に返る。
この父王の行動はヤークフとなる通過儀礼の終わりを意味するからだ。
これから我々は、アマルナの都から宮殿へと船に揺られながら戻らなくてはならない。流石に丸一日かかるわけではないが、今から宮殿へ戻るとなると着くのは夜中になってしまう。
王族以外の奴隷を除く神官達やホセのような武将達は船の上での食事や酒盛り――果ては睡眠が父王から許されているのだが、これが神々の意志を継ぐ王族となればそうはいかない。
たとえ宮殿までの長い帰路であろうと、今日ばかりは王族らは食事はおろか睡眠さえも許されない。
『天上におられる崇高な神々には食事や睡眠__ましてや酒盛りといった娯楽など必要が無い。それは、むろん未来永劫神々を支える運命の我々にとっても同じこと。ヤークフを継ぐ日は……食事をとることも眠ることさえ許されぬのだ』
いつの日だったか、険しい顔をしながら父王が言っていた言葉を思い出してスメンクカーラーは誰にも気付かれぬようにため息をついた。
皮肉にもツタンカーメンがヤークフになるべく【サジェク】を行った時には、今と同じように自分も全身を覆い尽くす黒布の衣装を身に纏い、緊張しながら彼の後ろをついていた。宮殿へと戻っても食事はおろか睡眠すら許されていないというのは、あの頃と全く変わっていない。
しかし、あの時はすぐ側に愛おしい弟のツタンカーメンがいてくれて、容赦なく襲いくる耐え難い空腹感と家族にすら会えない寂しさを二人で分かち合いながら何とか乗り切ることができた。
しかし、今はどうだ_____。
弟の心は既に兄である自分から離れており、広い宮殿の中には母であるキヤや付人の奴隷少女サシエ――それに幼馴染であるアンケセナーメンといった心許せる者は住んではいるものの、みんな女性であるが故に簡単に近付くことすら許されていない。
唯一心許せる者といえば、ホセくらいだろう。
「ホセ…………宮殿に戻ったら、夜が明けるまでグルシュ殿で共に過ごしてはくれぬか?」
「むろんでございます。ヤークフ様の申し出であれば、断るわけにはいきません。さあ、お気をつけて船へお乗り下さい」
____と、ホセが敬々しく頭を下げつつ船へ乗り込む手伝いをするためにスメンクカーラーの手をとろうとした直後のことだ。
「ひ……っ……」
「ひぃ……っ…………」
突如として、言葉にならぬ悲鳴が少し離れた場所から聞こえてくる。何百人もの民や奴隷――更には宮殿から来訪した神官や武将がいるため、それが誰の声なのかまでは分からない。
かろうじて分かるのは、その声は異常なほど怯えきっており、此処にいる誰もが予期せぬ出来事が起きてしまうことを意味しているという点だ。
とはいえ、これまでにもこの通過儀礼を行う上で何度も【予期せぬ出来事】は起きていた。例えば、参加している民達の何人かが熱さにより倒れてしまったり、あるいは神官達が怪我をしたりといった事例も父王から聞いたことがある。
いずれにしろ【命】に関わることではなかった。熱さで倒れても水を飲み日陰で休めばすぐに回復できたし、怪我をしても手当をすれば治るといった軽い出来事だったのだ。
だからこそ、たとえ何か予想外なことが起きたとしても《そこまで大きな事じゃない》と心のどこかで油断していた。
しかし、ホセの制止を振り切ると、そのまま誰かが悲鳴をあげてた場所まで走っていき、いざ現場を目の当たりにした瞬間思わず息を呑んでしまう。
「ど……っ…………どうして…………」
民の群衆に埋もれていた、みすぼらしい格好の男があろうことかヤークフである自分ではなくツタンカーメンに襲いかかろうとしていたからだ。
スメンクカーラーは何故にヤークフに任命された自分ではなく、既に立場が入れ替わってしまった弟が狙われてしまうのかが分からずに呆然とするばかりだったが少ししてから、ようやくその理由が分かった。
しかし、それが分かった時には既に辺りは騒然としてスメンクカーラーはあまりの衝撃に意識を手放してしまうのだった。
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