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第30話
* * *
(まったくもって………有り得ない)
そんなことを心の中で呟きながら、ホセは目の前で無防備に眠りについている人物の顔を訝しげに覗き込む。
ヤークフという重大な役割から外されたことで安堵しきっているのだろう。
《ヌカザビドの広場》には王族や神官は滅多に来ないとはいえ、今目の前に横たわっているツタンカーメンの寝顔は赤ん坊のように無邪気で穏やかなものだ。
しかしながら、ホセにとってそんなことはどうでもいいことで、彼にとって重要なのはツタンカーメンという存在が自らの欲望を叶えることに必要不可欠なのかどうかということだけだ。
ホセは、ここにきて昨日のサジェク終了間近での事件の光景を思い出す。
ツタンカーメンが男から襲われそうになった時、ホセはすぐ近くにいた。というよりも、いくらヤークフではなくなったとはいえ咄嗟に男から守ろうと武器を手にしながら身を乗り出した所だった。
その時、ホセは信じられない光景を見た。
これは、あえて誰にも言っていないことだが、ホセにはツタンカーメンを襲おうとした男が何者か知っていた。
その男は今は宮殿から追放されてしまい最下層の奴隷の地位にまで堕とされてしまっている。しかし、その正体は元武官であり王族付きではなかったものの、今は亡きとある神官の護衛を任されていた実績がある。
決して仲が良かった訳ではないが、何度か一緒に訓練をした記憶があり、だからこそ昨日のある光景を目の当たりにして言葉を失ってしまったのだ。
男はホセと渡り合えるほどの武術の才があった。むろん、奴隷に堕とされてしまってからある程度の月日は経っているから昔と同じというわけにはいかないが、それでも昨日見た限りではツタンカーメンよりは力が上であることを確信していた。
(だが____ツタンカーメン様は、あの男の武術を回避した)
(まるで男の攻撃を易々と見破るかのように……っ……)
____と、いつの間にやら自然と笑みを浮かべていることに気づく。
側にある噴水の水面に自らの姿が映っただけだが、もう心の内は決まっていることを遂に自覚した瞬間でもあった。
既に必要な【素材】は大方揃っている。
後は、【作業】するだけだ___。
そうすれば完璧な【料理】が完成する。
ホセは噴水に浮かぶ蓮の葉のひとつが水の流れに乗ってきたせいで己の顔が隠れてしまった様を眺め終えると、未だ眠り続けるツタンカーメンの肩に手をかけて軽く揺さぶる。
「な……っ……何だ!?」
「急に申し訳ございません、ツタンカーメン様。ホセにございます。そんなに薄着で、しかもこんな所で眠ってしまわれるとは。身体を冷やしてしまいますよ。さあ、共に宮殿へ戻りましょう」
「その必要はない。俺は此処にいたいのだ……戻りたいのなら、お前一人でそうすればいい」
ホセはわざとらしく困った素振りを見せた後に自分の着ていた衣服をツタンカーメンへ被せる。
そうして、こう切り出す。
「ツタンカーメン様、私は父王アクエンアテン様から貴方様を探すようにと申し付けられているのです」
これは、むろんホセの嘘だった。
もはや、ヤークフの地位を放棄して唯の王族でしかないツタンカーメンにアクエンアテンの興味が向くことはない。そんなことを、ホセは重々承知しきっていた。
だからこそ、ホセはツタンカーメン――いや【素材】の本心を引き出す為の【作業】として現王の存在を利用することにしたのだ。
「ほ……っ__本当か!?父上が……この俺を探してくれていたのか?ヤークフとなった兄上ではなく、この俺を……っ……」
最初は怪訝そうな表情を浮かべたものの、やがて大粒の涙を溢すツタンカーメン。間違いなく、ヤークフの地位を手にしていた頃の彼からはこの感情は引き出せなかった筈だ。
つまり、この上ないくらいの成果だということだ。
ツタンカーメンはホセですら大袈裟だと思うくらいには《アクエンアテン王》という存在に対して反応したのだった。
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