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第31話
しかし、ここは慎重に考える。
いくらツタンカーメンから、この感情を引き出せたとはいえ、まだ安全に【作業】を進め続けるには足らないものがある。
まだ、《信頼》が足りない。
スメンクカーラーのように彼が幼い頃から深い交流があったというならまだしも、あくまでヤークフとその付き人でしかなかったため圧倒的に信頼関係が足りていないのだ。
じっくりと信頼関係を築き上げるために時間をかける手もあるが、それはそれで悪手であるとホセは判断した。
「ツタンカーメン様、私は謝らなくてはなりません。実はアクエンアテン様が、貴方様を探していたというのは嘘なのです。誠に申し訳ございません」
ホセは正直に嘘をついていたことを謝罪する。頭を下げ、真摯にだ。
「何故、そのような嘘をついた?お前も神官達や他の者達と同じように俺を馬鹿にしているのか?」
むろん、ツタンカーメンは激怒する。
しかし、この反応はむしろホセにとって予想可能なことであり恐れるに足らないことだった。
「ツタンカーメン様を馬鹿にしてなどおりません。ただ、私はあることが気にかかり、それを確かめるために嘘をついたのです」
「あること、だと____?」
「はい。私は昔から気にかかっていました。ツタンカーメン様、どうか私にだけは本心を告げていただけませんでしょうか?」
ホセはまるで父親が愛おしい子どもを抱きしめるように、ツタンカーメンの体を軽く引き寄せる。
そして、耳元で問いかける。
「アクエンアテン様を、どのように思っているのですか?」
問いかけた直後、ツタンカーメンはホセを突き飛ばして身を翻すと急いで宮殿へ帰ろうと駆け出してしまった。
これこそが、ホセの狙っていたことだ。
《ヌカザビドの広場》から《宮殿》へ帰る最中には《捨て場》がある。これは、名前通り食べた物のカスや生き物の死骸を一時的に捨てる場所として設けられている場所である。
ここを突っ切らないことには《宮殿》へは戻れない。
「危ない…………っ……!!」
ツタンカーメンが《捨て場》を走り抜けようとした時、ホセの声が辺りに響く。
そして、ツタンカーメンはホセに抱きしめられる形でその場に倒れてしまう。それというのも、何かに太ももを噛まれてしまったせいだ。
「……っ____!!」
痛みのせいか、ツタンカーメンは苦悶の表情を浮かべつつホセの名を呼び続ける。慌てて駆け寄ってきたホセがツタンカーメンの体を丁寧かつ迅速に確認していく。
そんな二人の横を一匹の蠍がささっと通り過ぎていき、やがて夜闇に紛れるように消え去っていった。
蠍には猛毒があり、対処としてはすぐに毒を患部から吸い出す必要がある。
「ツタンカーメン様、申し訳ありません。私の不覚でございました」
ホセは身を屈めると噛まれた箇所に口を寄せて強く吸い付く。そして、吸い出した液体を吐き出していく作業を何度か繰り返していく。
「ん……っ…」
「ふ……っ……」
最初こそ、ホセの名を呼ぶだけのツタンカーメンだったが、やがて甘い声を出し始める。そして、無意識のうちに「父上」と呟いたことでホセは行動を止める。
「とりあえずは、これで良いでしょう。念のため、毒に効果のある薬汁を塗ります。痛みがあるかもしれませんが少しの辛抱です。完全な処置ではないので必ず後日にアメクのもとを訪ねてください」
熱心に薬汁を塗っていると、今度はツタンカーメンの方からホセを抱きしめてきた。
「ホセ、俺はお前を誤解していた。幼い頃から、お前は兄上にばかり興味があるのだと思っていた。だから、お前には告げる。俺は父上を愛している。血の繋がる息子だからというだけではなく、特別に___」
ホセは、ほくそ笑む。
しかし、灯りが心許ない暗闇のせいで、そのことがツタンカーメンへ気づかれることはない。
名のある武将であり体術に自信があるとはいえ護身用のために常に懐に忍ばせていた生きた蠍を彼の太もも目掛けてけしかけたのはホセであり、それこそが彼のついた【嘘】である。
ツタンカーメンがアクエンアテンに特別な想いを抱いていたことなど、とっくに勘づいており、わざわざ『アクエンアテンが探している』などと嘘をついたのはあくまで利用するためにしたことに過ぎない。
「ホセよ、お前は他の者達のように俺を馬鹿にしたりはしないのだな?」
「まさか、そんなことは致しません」
「これからは先程のように嘘をついたりはしないか?他の者に秘密を漏らしたりはしないのだな?」
「するわけがないでしょう。私はツタンカーメン様の味方でございます。貴方様は本心を私にさらけ出してくださったのです。今宵のことは、むろん誰にも申しません」
そう言いながら、ホセは丁寧に汁をツタンカーメンの太ももへ塗っていく。
そして、彼はそこで信じられない光景を目の当たりにする。
つい先程、噛まれたばかりの蠍の噛み跡が瞬時にして消失していく光景を____。
(やはり、この方には何か特別な力がある__それが何なのかまでは今は分からないが……いずれにせよ大いに価値がある)
「さあ、ツタンカーメン様……今度こそ宮殿へ帰りましょう。歩くのはお辛いでしょうから、どうぞ私の背におぶっていってくださいませ」
「ああ、感謝する。それと、ホセよ__いずれお前を俺の付き人として迎えたい。然るべき時になったら、必ずだ……だから、お前も約束してくれ」
「ええ、約束しますとも」
そうして、二つの影は宮殿の方へと向かっていき、やがて消えてゆくのだった。
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