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第32話
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スメンクカーラーが正式にヤークフとなり数日が経った。
あれから、一度たりとも弟の姿を見ていない。そのため、彼は日に日に活気が失われていってしまっていた。
かろうじて食事はとれているが、ヤークフとしての公務に身がはいりきっていないのは周りの者達が見てても明らかだ。
『このままでは、従者である我々が王から叱責を受けてしまう』
神官達でなくとも、今仕える者皆が皆――そのように心配しきっていることに己でも気が付いていた。
「お願いだ。少しだけで良いのだ。私の弟ツタンカーメンに会わせてはくれないだろうか?」
むろん現在の己の不甲斐ない状況を打破するべく、このように従者達に頼んでみたのだが、口を揃えてこう返されてしまう。
「先代ヤークフ様のお姿を、我々は存じ上げておりませぬ」
「はて、そのような者はこの宮殿内で見かけておりませんね」
いずれにせよ、ツタンカーメンの所存など知らないと返されてしまうため、今では半ば諦めてかけてしまっていた。
しかし、完全に諦めてしまったわけではない。
今までは悶々として決意できずに行動に移せていなかったが、もう一人だけ弟の行方を知っていそうな人物のいる室間へと向かうことにしたのだった。
行動するのは、普段付きまとってくる神官達や奴隷が宴の準備に追われている今しかない。
そう、今宵はまた父王が遠征地から帰ってくる。
* * *
「ホセ………いるのか?」
「これは、これはヤークフではありませんか。もはや、今の貴方様は武将である私に用など無いのでは?おや、神官達や奴隷達は今日はいらっしゃらないのですか?」
新たなるヤークフとなった日から大分時が経ったせいで、ホセと会うことすら久方振りのことだ。てっきり、ヤークフとなってからも付き人としてホセが側にいてくれるのだと思い込んでいたが、何故かその役目を彼は断ってきたのだ。
スメンクカーラーの側にいる神官は、明らかに此方に対して良い感情を持っていないと分かりきっていた。
それに護衛として任務についた武官はホセとは比べ物にならないくらいに粗野なのだが、それにも関わらず小賢しい男で何度か厭らしく体を触るといった下品な行為をされてきていて、そのせいで日に日に神経が削られてしまっていた。
だからこそ、弟には会えてはいないもののホセの顔を目の当たりにするだけで、無意識のうちに涙が止め処なく溢れてしまう。
これでは、せっかく施した化粧が台無しだ。
「スメンクカーラー様、アクエンアテン王にお会いになる前にお化粧を直さなくては。失礼ながら、今の貴方様はとても酷い顔をなさっています。さあ、どうぞ___といっても私は化粧は巧くないのですがね」
差し出された手を取り、ホセの室間へ初めて入る。
室間はいくら王族付きの武将とはいえ、決して広いとはいえない。だが、スメンクカーラーの興味を引きそうな物が多々あることに気付いて、思わず身分や目的など忘れ去ってしまうくらいに目を輝かせながら室内を見渡してしまう。
【武術・護身術に関する書物】や【武器や防具の種類についての図鑑】が一際多いが、正直これに関しては己には関係ないと思った。
しかしながら、他にも建築に関しての書物や毒物や花を含む植物に関する書物など日頃の公務に関係しない物も埋め尽くす程置かれており、どうしようもなく興味を惹かれてしまう。
そして、ある書物が目に入りホセの方へと顔を向ける。
「ホセ、最近は医術に関してまで勉学しているのか?もしかして、誰か尊敬する人物でも――ああ、分かった。お前、アメクを尊敬しているのだな?」
「ええ…………お恥ずかしいことですが、私は兼ねてよりアメク医師を尊敬しておりました。それもそうなのですが、私が勉学を始めたのは単純に、それだけではございませんよ」
ふと、背後から体を優しく抱きしめられて慌てて振り返る。
「随分と、お痩せになられました。私はアメク医師を尊敬してるだけでなく、どうにかして貴方様をお救いしたいと……それで勉学を始めたのです。どうか、少しでも宜しいのでお食事をなさってください」
「そうだな………どうにかして食べてみるよ。ただ、最近はあの武官のことで、少し___あ、いや…………」
ホセは何も言うことはなく、黙り込んだまま此方をじっと見据えてくる。言葉にせずとも何かあったのだろう、と問われていることが分かって暫く無言が続いた。
「実は、ヨザに毎日のように体を触られるのだ。あの男からすれば、ただふざけているだけなのかもしれぬが………それでも、中々食事が喉を通らなくて……その、辛くて……っ……辛くてたまらないのだ!!」
余りの動揺からうまく呼吸ができずに、声を振るわせながらも、たどたどしく己の苦悩を声にしたスメンクカーラー。
それから、まるで幼子のように声を張り上げながらホセに泣きついてしまう。
「スメンクカーラー様、さぞかしお辛かったでしょう。私に貴方様の果てしない苦しみを消すことはできませんが、柔らげる方法は知っています」
「や……っ……や、わら……っ……げる……っ__方法……?」
泣きじゃくり、鼻の頭は真っ赤になり化粧はドロドロに溶けてしまっている状況だが、それでもスメンクカーラーはホセへと尋ねる。
「ええ、そうですとも。スメンクカーラー様、私と二人きりで旅を致しましょう。行き先は、そうですね――自然豊かなス・ミは如何でしょう?彼処ならば、今の時期には孔雀がご覧になれますよ?」
「……っ___ホセ……お前に任せる。やはり、私の護衛はお前しかいない」
こうして、二人は旅の行路計画を念入りに立てることにしたのだった。
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