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第34話
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(まったくもって誤算だった……まさか、よりによって、この男に出くわすとは____)
ホセは何とか、動揺を隠そうと試みる。
ホルエムヘブとホセの間には幼い頃からの【確執】があり、かといって、王族に関わりの薄い家柄であるものの、このエジプト内において高い地位に位置する家系のため、無下にするわけにはいかないという厄介な男である。
しかも、自分よりも立場が上にあるため何の考えもなしに敵に回すようなことをすれば此方の地位さえ危うくなる。
そのため、この義理の兄という存在は、唯一ホセにとって弱点であるといっても過言ではない。
幼子の頃から、何かと比較の対象にされ続けてきた。
勉学の差であっても、武術の差であっても――結果はいつも変わりなく、ホルエムヘブよりも【下】だった。勝てたことは一度だってない。
しかも、何よりも不快なのはホルエムヘブが鼻高々に自慢してきたり、此方を馬鹿にしたりはしてこなかったことだ。
『周りの者の言葉など気にすることはない。与はお前を下になど見ていない。周りの者のように、力があるだけで偉いと思い込むのは誤りだ……いずれ、お前は与をも超える存在となる』
宮殿で働く前に彼から言われ続けてきた言葉だが、それを聞く度にホセは屈辱を覚え下を向きながら涙を堪え、拳を固く握り締めてきた。
むろん圧倒的に力の差があるホルエムヘブから哀れさを指摘されていることに対して【屈辱】や【怒り】といった負の感情を抱かるざるを得なかったのだが、それと同時にどうしようもない感情に支配されてしまっていて、それに耐えきれずに住処を出て宮殿で働き始めることとなったのだ。
それは、今も心の奥底に閉まってある。
だからこそ、ホセは幾ら嫌悪感を抱くとはいえ長年共に暮らしてきた義理の兄と目を合わせることができずにいるのだ。
身分差も年の差もあるスメンクカーラーを慰めるべく行動したが、それにより一時とはいえ過去に抱いた【忌々しい感情】を思いがけず引き出すことになってしまった。
「ホセ………どうした?顔が赤いではないか___もしや、熱射病じゃ?」
「いえ、ヤークフ。どうか、お気になさらずに義理の兄上と、お話なさってくださいませ。この方は、昔から孔雀がとても好きなのでございます。私といるよりも、有意義な時を過ごせることでしょう」
ホセは深々とお辞儀をし、身を翻す。
「私は、この近くを見て参ります。義理の兄上様、誠に申し訳ありませんがヤークフのお世話をお願い致します」
どうにか平静を装いながら、無礼のないようにお辞儀をすると、そのままホセは二人から離れて行くのだった。
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「孔雀の羽根は……何故、こんなにも綺麗なのだろう?」
ホセが去ってしまってからというもの、スメンクカーラーは初めて目にする孔雀に心奪われていた。初対面であるホルエムヘブに、あれこれと孔雀の生態について聞いたりするのは失礼かとも思ったのだが、未知なる孔雀という存在に予想以上に興味を抱いてしまった。
ただ、それでも緊張しているため少しばかり遠慮がちに聞いてみる。
「それはオスがメスの気を引くために――つまりは求愛行動をするためにです。メスにはこんなにも色鮮かな羽根はありません。見てください、羽根を広げると所々に目のように見える部分があるでしょう……とても美しいと思いませんか?」
そんな態度が面白かったのか、満面の笑みを浮かべながらホルエムヘブは答えてくれた。そして、孔雀について話しをしていく内に彼もまたアンケセナーメンのように興味がある事柄について我を忘れてしまう癖があるのだと理解できた。
「ホルエムヘブ…………ホセとはどのような関係なのだ?」
「……っ___やはり、隠しておく訳にはいきませんね。ホセとは異母兄弟という間柄であり与にとっては義理の弟なのですが、与はともかくとして……ホセは中々心を開いてくれません」
ひとしきり、孔雀についての話しをしていると互いに緊張感が解けていく。そして、ホルエムヘブに対して既に恋愛を伴わない好意を抱いていたスメンクカーラーはずっと気になっていたことを思いきって尋ねてみる。
「ですが、与はホセの主が貴方と知ることができて、いささか安心しました。実は与は武将とはいえども気が弱い質でしてね。これから王族やヤークフがおられる宮殿で従事する
にあたり、胃が痛むほどの不安に襲われているのです。むろん、警護はしっかりと致しますので安心なさってください」
ホルエムヘブに出会うことで、武将という印象が大きく変わっていく。少なくとも、ここまで友好的な態度を取る者はホセ以外にはいなかった。
今まで出会ってきた武将達は、冷たい印象しかなく力は強いが、ぶっきらぼうだったり、酷いと此方と目すら合わせようとしない者が殆どでホセと出会った時にも信頼関係ができあがるまでは常に怯えてきた。
うまく言葉にはできないが、ホルエムヘブにはホセとはまた違う魅力がある。
(いつか………彼らが仲良くできるといいな)
そんな風に思いながら、出会ったばかりで親交の薄かったホルエムヘブと孔雀の話だけでなく互いの幼少期の事まで会話が及び、自然と笑みを浮かべるスメンクカーラー。
そんな彼の姿を、物陰から見つめるホセ。
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ホルエムヘブの言葉を聞く毎に出会った直後の数分前とは違って、口数が増えていき、挙げ句の果てに自分に対してよりも有りのままの姿を見せているような気がして、思わず木の陰から二人を凝視する。
ホルエムヘブを鋭い目で睨みつけ、爪が食い込むのも気にせずに拳を強く握り締めて言葉にすることができずにやきもきしていた【嫉妬】の感情をどうにか食い止めようと試みる。
(あの男には気をつけなければならない……ヤークフにとってあの男の存在は香辛料といったところか___)
(香辛料も……過剰に摂取すると場合によっては毒にもなりうる)
しかしながら、ホセは決して行き当たりばったりな行動はとらない。今までも、ずっとそうしてきた。
幾ら己の目的を遂行する準備が整ってきたとはいえ、まだ試作段階といったところだ。
それに、忌々しいホルエムヘブが宮殿に来ることで逆にいえば排除しやすくなった。幼少期の頃は周りには口やかましい従者や父母――他の兄弟達がいたが、今は邪魔者は殆どいない。
幼少期に己だけで培った【力】もある。
悔しくて泣いてばかりだった子どもではないのだ。
「さあ、ヤークフ……そろそろ宮殿へ帰りましょう。コルシを担ぐ従者達も休憩を終えて、今しがた戻ってきましたゆえ。それでは、義理の兄上様__今度は宮殿でお会いしましょう」
「ああ、そうであったか。つい楽しくて話しに夢中になってしまった。それでは、ホルエムヘブよ……いずれ宮殿にて会えることを楽しみにしている」
二人がお辞儀をし終えると、ホルエムヘブは一度だけ視線をホセの方へ向ける。
スメンクカーラーは、それに気付くこともなく、新たなる出会いに感謝しながらコルシに乗ると、そのままホセと共に宮殿へと戻って行くのだった。
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