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第35話
* * *
ホセとス・ミで心身共に休養した日から数日が経った。
ヤークフになってからというもの、やらなければならないことが山程あり、慌ただしく日々が過ぎていく。
あれから、ヤークフに対して無礼を働いた不届き者の付き人の男の姿は行方知れずとなってしまった。
それにより、父王アクエンアテンが「今後、ヤークフにはホセが再び付き人として世話をせよ」と下々の者に命令したため、精神的不安はかなり解消されていく。
「ホセよ、弟は元気なのであろうか?最近はヤークフとしての公務に奔走し、随分と対面していない。心配なのだ。もしものことがあったらと思うと、最近は満足に眠れぬのだ」
「はい、ヤークフ。どうか、ご安心下さい。弟君であられるツタンカーメン様は健康に過ごされておいでです。ただ、彼にも事情があります故に、中々お会いできないのでございましょう。それもこれも、頭の固い神官達がツタンカーメン様の存在を頑なに認めようとしないせいでございます。彼らは、皆……重要なことを理解しようとも致しません」
「重要なこと………?」
「ええ、ヤークフ。あの御方も王族の一員だということを理解しようともしないのです。弟君は、ヤークフの地位を失ってからというもの……とても傷付いておいでです。あの御方には、唯一無二の理解者が必要なのです……そして、それは____」
一度、言葉を切ると膝まずきながら恭しくスメンクカーラーの手を取るホセ。そして、軽く手の甲に口付けする。
「兄君である、貴方様だということです。兄弟同士の絆は、とても強いものですからね。事実、私は幼い頃からアクエンアテン王と先代王トトメス様にも強い絆があったと聞いております」
ホセの言葉に、引っかかるものを感じたスメンクカーラーは咄嗟に繋がれたままのホセの手を振り払ってしまう。
「ヤークフ、如何しましたか?」
しかし、ホセは動揺を上手く隠すと、なるべく平静を装いながら笑顔を殆ど崩すことなく、淡々とした声色で尋ねる。
「それならば、何故に先日会ったホルエムヘブに対して、あのように冷たい態度を取っていたのだ?彼は………ホルエムヘブ将軍は、お前と親密に接したいと心の底から願っていたというのに……っ……」
思わぬスメンクカーラーの言葉に、ホセは心の中で『しまった』と呟いた。
むろん、少しばかり面倒なことになったと心の奥底で毒ついたのを悟られるわけにはいかないため、決して不満を声に出さず顔にも出さないように警戒しながら自らを自制する。
「ヤークフ、どうにも素直になれない私をお赦し下さい。貴方様は、とても情に深い御方だと理解した上で義兄上に対する想いを告白致します。義兄上に対して、私は昔から素直に気持ちを伝えられないのです……っ__私は心から義兄上様を尊敬しています。ですが、面と向かって告げるのは、どうしても恥ずかしい……そのような態度をとるのは罪なのでしょうか?」
ホセはあながち嘘とも言い切れない言葉を淀むことなく流れるように口にする。
「いや……罪などではない___だが、自らの想いを口にすることは必要なことだ。それに、ホセよ……お前はまだ良い方だ。私には、今のツタンカーメンと会う方法すら分からない」
ホセは心の中でほくそ笑みながらも、決してそれを表には出さないように注意を払いつつ、次なる段階へと移ることを決意する。
「それでは、ヤークフ……これからヌカザビドの広場にある池へ行ってみては如何でしょう?私が知る限り、お二人の一番の思い出の場所だと伺っております。もしかしたら、弟君はそこにいらっしゃるかもしれませんよ」
「そうか………確かに嘆くばかりで行動しないのは悪しきことだ。ホセよ___お前も一緒に着いてきてくれるな?」
「はい、ヤークフ………勿論でございます」
こうして、スメンクカーラーはホセと共にヌカザビドの広場に存在する池へと向かうことになるのだった。
ヌカザビドの広場の池へ向かって歩いている際、黄金の如く輝く陽の光が地平線へと沈みかかっている様が見えた。
(完全に暗くなる前に、何とかしてツタンカーメンを探さねば……っ……)
幾ら信用できる武将頭のホセを連れているとはいえ、この広場は元々奴隷が反乱を起こさぬように建てられた場所であり、特に夜はどんな生き物が出現するか分からない。
奴隷達は日頃から、この広場へ立ち寄ることもあるから危険を察知することも可能だろうが、そもそも王族がこの広場に立ち寄るのは本来ならば禁忌とされているのだ。
しかも、最底辺に属する奴隷達のための広場ゆえに見張りすら、この場にはいない。
ましてや、かつてツタンカーメンと共に忍び込んだ時のように己自身の武術の腕に自信があるわけでもない。それについてはホセが側に着いているから大丈夫だろうと感じたものの、それを抜きにしても暗闇に覆われたヌカザビドの広場が危険地帯なことに変わりはない。
「どうやら、ここにはいらっしゃらないようですね。これ以上、この場に留まりますと瘴気にあてられヤークフの御身体にさわります。あとは、この私にお任せくださいませ」
「そうか。実に頼もしいな。だが、ツタンカーメンに……もしものことがあれば___」
「ヤークフ――いいえ、スメンクカーラー様。弟君の事を心配なさるのは分かります。ですが、私にお任せください。私はお二人の味方でございます。それとも、このホセに任せるのはご不安だとお思いなのでしょうか?」
ホセは、あえて語尾を少し低めの声色で尋ねてみた。
すると、面白いくらい思惑通りにスメンクカーラーは罰が悪そうに俯いてしまうと、そのまま左右に首を振り「いや、ツタンカーメンのことはお前に頼んだ」と蚊の鳴くような弱々しい声で言い終えてから、そのまま一人で宮殿の方へと駆けて行ってしまう。
その後ろ姿を見つめながら、ホセは口角をあげて、自らも宮殿の方へと歩いて行く。
これから、野望を叶える為にはやらなければならない下ごしらえが山程あるのだ。
成り行き上避けようがなかったとはいえ、己が義兄であるホルエムヘブを今でも慕っているとスメンクカーラーに誤解されたことについては腸が煮えくり返る程に強烈な屈辱感を抱いたが、ここまできた以上はそのような些細なことに構ってはいられない。
(私は___)
(ただの一武将として人生を終わらせるつもりなどない……っ……この偉大なるエジプトの全てを手に入れるのだ……たとえ、何を犠牲にしてでも___)
そして、またひとつ___
流れ星がゆっくりと弧を描きながら落ちていく。
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