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第一話 そよ吹く風は、君の匂いがして 2

 心が温まってゆくのを確かに感じる。いや、気のせいなどではない……その子を思うと感じるのだ。「……その笑顔を俺は知っている。」ハっと我に返り辺りを見回すが誰も居ない。それと同時に高まっていた鼓動も落ち着きを取り戻し穏やかになる。……急がば回れ。この調子で良いのだ、急ぐ必要は無い。少しずつ、一つずつ。  家に帰ったウィリアムは温かい湯に浸かりそっと瞼を閉じた。……思い出したい人物が幾人かいるような気がするのだ。だがそちらに意識を傾けようとすると、鈍い痛みが頭蓋骨の奥で生まれる。小さな手だ……子供だろうか?その隣で微笑んでいるのは先程一瞬思い出したあの赤茶髪の女の子に違いない。ダメだ、今はこれ以上この痛みに耐えたくはない。 ウィリアムは浴槽を出て身体を乾かし、鏡に映る自分の姿をよく観察する。右の上腕に火傷の跡のような傷がある。こんな場所をどうやって火傷したのか?その時、頭の中に女性の声が響いた。 「その子から離れなさい!」  その金髪の女は人差し指をこちらに向けて何か呪文を唱えた。眩しい光と共に焼け付くような痛みが肩の辺りに走った。 ……そうだ、この傷はあの時の……あの人は確か…… ダニエル 「……姉のリリだ。」 ウィリアム 「………!!」  鏡の端に映る銀色の頭をした死神。その男は急に現れ、ウィリアムと彼自身との会話にノックもせずに入ってきたのだ。 ダニエル 「調子はどうだ?街には出てみたか?焦って色々思い出そうとしてるんじゃねぇかって心配になってな。あと、術後のお前の様子を逐一(ちくいち)報告するようにってルドルフからも言われてるしな。」 ウィリアム 「どうして分かったんすか……俺が考えてたこと。」 ダニエル 「え?俺を誰だと思ってんの?」 ウィリアム 「ってか……あっち向いてて下さいよ!服着ますから……!」 ダニエル 「ウィル……」  慌ててタオルを巻くウィリアムを背中から抱きしめた。彼の生肌の温かさ、匂い……あぁ、人形なんかではない、本物のウィリアムだ。ウィリアムがこの世界に戻ってきたのだ。 ウィリアム 「ちょっ……ダニエルさん!何してんすか!」  ダニエルからの急な抱擁に戸惑うウィリアムがその腕を払おうともがく。そんな彼の背中で、そっと呟いた。 ダニエル 「……おかえり。」 ウィリアム 「…………!」  その言葉はこれ程嬉しいものであっただろうか。これ程までに心に沁みるものであっただろうか……?死んだはずの自分が生き返るという奇跡が二度起こった。こんな無能な自分のことをそれ程までに想ってくれている者達が居たためだ。その者達が自分の死を心底悔やみ、あらゆる手を尽くしてこの世界に呼び戻してくれたのだ。……生き返れて嬉しい反面、再び生き返ったところで一体何をすれば良いのか、自分は本当に生きていて良いのか……自信が無かった。心の中で少しずつ丸まり育ってゆく不安という名の毛玉が大きくなりすぎる前に、ダニエルが取り除いてくれた。彼は昔からあまり口数の多い男ではなかったが、そんな彼からの言葉にはそれだけ意味があり、深みがあり、この心へと真っ直ぐに届くのだ。「おかえり。」彼が言ったのはたったそれだけ……だがその言葉の中にはウィリアムを想うダニエルの何万もの文字が隠されている。それを思うと目頭が熱くなり、視界が水分でぼやける。 抱きしめられて恥じらう気持ちを今度は受け入れ、背中からこの両腕を包み込むダニエルの腕を、ウィリアムはそっと包み返した。 ウィリアム 「……はい。」

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