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第四話 守らねばならぬもの 10

 「……ダニエル、申し訳ない。」そんな思いで、リーは前方で監視し続けるダニエルを見つめた。今回のドーナからの依頼、その本当の目的は少しの間ダニエルを死神界から離して置く事であった。 ドーナから依頼を受けた二人は足早に神堂を出て行った……だがその時ダニエルを追って神堂を出ようとしたリーの腕を掴んだドーナから、今回の依頼の本当の目的を知らされたのだ。「ある者を拘束せねばならぬ。……そのためにはダニエルは邪魔になるであろう。」これはあの時にドーナから神堂で言われた言葉だ。モズに再入隊する前にリーは既にこの件について調査をしていた。無論、リーにはその者の正体が誰か把握できているのだ。 今、ダニエルが見張っている不審な男はケルスが差し出したオトリなどでは無く、本物の罪人。幾つもの偽名を持ち、よく知られている名はフォックス。イタズラ狐という意味だ。この者は違法な武器の密売人であり、死神界から他国へ、他国から死神界へと違法に危険な呪文の書物や武器、薬物などを密売している、リーの管理する黒星二つ★★のブラックリストにも載っている人物だ。 害悪な組織とも顔の利くフォックスは、多数の犯罪とも関与していると以前から睨んでいた。……ダニエルは頭が良い、一度奴を捕らえて尋問をすれば、この騒ぎの真相を把握することになるであろう。   ーーーーーー セルリオ 「……私はケルスだ。そなたが案ずる必要は無いのだよ、ドーナ。」  閉じられていたカーテンをゆっくりと開け、そう言ったセルリオの声が寂しく彼の部屋に響き渡った。もうずっと長い事、レイクは彼の護衛役としてその背中を守るために傍らに居たのだ。そんな存在を失う時、彼は苦しまぬと言い切れるのだろうか。 ドーナ 「もうこんな国など捨てて、レイクと共に逃げてしまえば良い。私は何も見なかったことにしようて。」 セルリオ 「……いい加減にしてくれ!」 ドーナ 「そんな意地などを張って、お主に何が残る?切り取られたあやつの首を永久に封印でもするつもりか?」 セルリオ 「……黙れ!!」  血走ったセルリオの眼球から怒りが直に伝わる。だがドーナはそんなセルリオの一喝にも動じずに自らの意見を述べる。……どうしても伝えておきたかった事だから、そしてそれは後になったらもうどうする事も出来ない事だから……今伝えねばならない。 ドーナ 「お主がこの死神界を大切に想う気持ちは十分に理解している。……私もそうだ、この国に住まう民も子供達も、皆かけがえのない宝物だ。それらを守るため、我らケルスはここに居るのだからな。……だがな、セルリオよ。」 セルリオ 「……?」 ドーナ 「投げ出してしまっても良いのだよ。……たとえケルスであろうとな。」 セルリオ 「………!」 ドーナ 「今いる地位も責任も、全てを捨てて逃げ出してしまう。それは卑怯かもしれぬ、まっとうに生きる道に反した間違いかもしれぬ……後に多くの者達を傷付ける結果になるやも知れぬ。だがな、それが何だと言うのだ?」  先程セルリオがカーテンを開けたついでにほんの僅かにだけ開けていた窓を、ドーナはガタンっと更に大きく開けた。そして彼女が右手をスっと窓の外に出し空を見上げると、薄暗く空を覆っていた雲が次第に晴れ、天から伸びる日差しが真っ直ぐに地上へと降り注いだ。 ドーナ 「……心地よい風だ。」  ボソ…っと何かを呟くように、ドーナが小さく呪文を口ずさむと、涼しい風の吹く良く晴れた空は再び曇ってゆき、ポツリポツリと雨が降り出した。掌に落ちた雨粒をそっと握りしめ、その水滴の感触を確かめながら彼女はセルリオにこう言った。 ドーナ 「冷たくて気持ちが良いものだ、雨も悪くはないな。……セルリオよ、幸せとは必ずしもお天道様の暖かさから感じるものでは無いのだよ。」 セルリオ 「……そなたの言う通りかもしれぬ。逃げ出した先が暗闇であろうと嵐であろうと、愛する者と共に生きていけるのであればそれは私にとって幸せなのやもしれぬ。だがな……」  その理由がどうであれレイクがこの死神界の組織や自分も含めケルスを裏切った事は確かであり、その罪の階級は死神界の中では一番重く、減刑されることはまず有り得まい。……ならば主として、してやれる事とは何であろう?その首が地面に落ちるその瞬間を、こちらを見つめるその目の瞼がゆっくりと閉じていくのを、瞬きせず見届けてやる事ではないだろうか? ドーナ 「セルリオ、お主は本当に良いのか?」  ドーナがそんな言葉を投げ掛けた先には、窓の傍のテーブルに両手をつき、肩を震わす男が居た。その両手はぐっと強く握られ、その者が深く感情的になっている事が伺える。ドーナが心配そうに見守るその背中から、男はこう呟いたのだった。 セルリオ 「あの者の最期は、この眼でしっかりと見届ける。……たとえそれが、無様な姿であったとしても。」

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