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第五話 額縁からの眼差し 3

 せっせと前を歩くその者に出来る限り近付こうとこちらも必死なのだ。その者は息を上げるどころか歩くペースが更に早まっている。 セルリオ 「ネス、少しは歩幅を合わせてはくれぬか?」  セルリオからそう言われ、初めて自分の歩く速度が同行者と噛み合っていないことに気が付いたのだ。「おっと、これは悪いね」いつものその軽い口調で簡易に謝罪すると、彼は後ろを振り返ってにっこりと微笑んでみせた。 例のスパイの件が一段落つくまでは死神界からの外出を自粛して居るケルス。そんな中「どうしても会わねばならぬ者が居る」とセルリオに同行を頼んで死神界を出たネスが出向いた先は、隣の森であった。 こなれた様にメンデスに許可をもらい口の中に入ると、その美しい絶景には目もくれずにそそくさとロトンへと向かったのだった。 広間に入るなり、その場の静けさに嫌な予感が頭をよぎる。いつもあれほど賑わっているモーリスの者達がまるで別種族のように誰一人として言葉を発していない。死神界にとってありふれたこの空気もモーリスの民にとっては有り得ない光景だということは、何度もこの地を訪れているネスには容易に理解できる状況であった。……恐らく間違いないであろう、カラットが捕まったのだ。 ネス 「エリザベス様に会わせてくれないか?」  広間に響き渡るその声にはいつもの彼らしい柔らかさは無く、何かが起きてる事にはセルリオにも察しがついた。……あのネスが、心なしか動揺しているようだ。 エリザベス 「……ネス様!!」  彼の声を聞いたエリザベスは召使いが知らせを告げに来る前に、自ら自室の扉を開け広間へと駆け付けた。そこに立つえんじ色の愛おしいローブが目に映った途端、堪えていた涙が溢れ出した。 ドス…っと懐に飛び込み震えながら泣くエリザベスが落ち着くまで、ネスはただぎゅっと抱きしめた。「おじ様が…」とまるで壊れたロボットのように震える声で繰り返すエリザベスは、ネスのその暖かい手の温度で少しずつ落ち着きを取り戻していった。 ネス 「僕たちが来たからもう大丈夫だよ、安心しておくれ。」  そう言って微笑むネスに、この心は簡単に操られてしまう気がする。これも魔術の一種なのだろうか?……もし、この自分にもそれ程に強力な魔力があったのなら、あの時カラットを守ってやれたのだ。 エリザベス 「こんな愚かな両手で何が出来ましょう……。」  両手を広げてそう言ったエリザベスの美しい瞳から、ボロボロと涙が零れ落ちる。彼女は悲しくて泣いているのではない、自分の無力さに悔しくて泣いているのだ。彼女が震えているのは恐怖からではない……自分一人では何も出来やしない己の弱さへの怒りで震えているのだ。 ネス 「……すまなかった、もう少し来るのが早ければ。」 エリザベス 「いつもそう、我々はただ助けを待つばかり……」  エリザベスは温かいネスの胸から抜け出し、涙を拭いた。 エリザベス 「この両手は、涙を(ぬぐ)ためだけにあるのでしょうか?何もせずにただ救いの手が差し伸べられるのを待ち……それが来ないのならば敵の(やいば)がこの身を切り裂くのをただ見つめているのでしょうか?」  エリザベスの目にはもう迷いは無く、何かを決心した彼女は腰に携えていたナタを引き抜くと自慢であったその輝く長髪をバサッ…!と切り捨てたのだ。エリザベスのそんな予期せぬ行動に、ネスとセルリオは驚いた表情を見せた。 エリザベスは切り落とした自分の髪を見つめて「我々が守るのだ……」そう呟くと、今度は広間に居る宮殿の者達にも聞こえるよう声を張り上げてこう言った。 エリザベス 「今日(こんにち)より、我々モーリスは死神界と協定を結ぶ!カラットの愛したこの森を、そしてこの森を愛する全ての生き物を、今度は我々が守り抜くのだ。異議のある者に処罰は与えん、今すぐにこの森から出て行け!もう守られながら生きる種族でいるのはここで終いだ、これからは己のこの拳で闘って生きよう。それで滅びるのならばそれも本望だ!」  ワァー!っと湧き上がる歓声にネス達も思わず拍手をした。あれ程沈み切っていた民達にも活気が戻り、生き生きとしているではないか。 大切な者達を失うかもしれぬ、そんな先の見えぬ不安は恐怖だ。恐れながら指をくわえてただその時を待つのと、この無力な体で膨大な威力に立ち向かうのと、どちらが我々は幸せだろうか。無様な姿を見せ必死に(あらが)い、それでも運命の行く末を変えられずに命尽きたとしよう、だが少なくともこの魂は誇り高く空を舞うことが出来るのではないだろうか。

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