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前編 夏に出逢い②

 それから緑禅とは毎日、神社で会っていた。追いかけっこをしたり、かくれんぼをしたり、あやかしの世界での話を聞いたりして遊んでいる。彼はお嫁さんにすると言ったけれど、何かこれといってしてくることはなくて明日葉の遊びに付き合ってくれていた。  それが明日葉には不思議だったのだが、緑禅と遊ぶのは楽しかったので途中から気にしなくなる。何せ、彼はこれをしたいと言っても断らずに付き合ってくれるのだ。  緑禅と遊んでいることを明日葉は誰にも話していない。それは彼から「言いふらしては駄目だよ」と言われているからだ。言っても信じてはくれないだろうし、むしろ不審者がいるとして外に出れなくなるのは嫌だろうと言われては明日葉も頷くしかない。  緑禅と遊ぶのは楽しいし、ずっと家に居続けるのも嫌だったのもあるが両親に噓つきだと思われるのはもっと嫌だったので、彼の約束を守っているのだ。  お宮の前で二人並んで座りながら明日葉が学校であった話などのしていると、緑禅が「そうだ、明日葉」と名を呼んだ。 「何、りょくお兄ちゃん」 「もうすぐ盆祭の時期になる。そうなるとここでは遊べなくなるぞ」  この村ではお盆の時期に小さな祭を行う。祭と言っても村で料理を作り合って神社で盆踊りをしながら酒を振る舞うというだけのものではあるが、その時期になるとこの神社は祭準備で人が出入りするのだ。  人に見られることを避けるあやかしである緑禅はその時期になると山のほうへと身を潜めるのだという。妖怪を見れる存在は少ないけれど念のためにと。それを聞いて明日葉は「えー」と残念そうに声を上げた。 「遊べなくなるのー?」 「そうなるなぁ」 「ひまじゃーん」 「そう言うな」 「だってお祭り終わったらボク、帰るんだよ?」  祭が終われば父の盆休みも終わりを告げるので明日葉は自宅がある都会へと戻らねばならない。そうなると次の夏休みまでは緑禅に会えないのだ。  緑禅と遊ぶのが楽しい明日葉にとってぎりぎりまで遊びつくせないというのは悲しいもので、むぅっと頬を膨らませている。その何とも愛らしい表情に緑禅は小さく笑むと考える素振りを見せた。 「そうだなぁ……。よし、面白いかは分からないけれど百鬼夜行を体験させてやろう」 「なにそれ」 「いろんな妖怪が夜の村を練り歩くんだよ」 「え! りょくお兄ちゃん以外の妖怪に会えるの!」  会えるよと緑禅に言われて明日葉は目を輝かせる。それはもう分かりやすい反応に緑禅はくすくすと笑ってしまった。 「今夜、迎えにいってやるから待っているといい」 「わかった!」  待ち遠しいといったふうの様子に緑禅は「こういうところは童だな」と呟くと、明日葉を愛しげに見つめた。    ***  夜も深まった深夜二時。丑三つ時の夜は月が出ていて明るかった。  誰もが寝静まっている中、明日葉は不意に目が覚める。もうすっかりと暗くなっている空に「寝ちゃってた!」と慌てて起き上がった。寝ないで緑禅を待っているはずだったのにと明日葉は布団から飛び出して障子を開ける。  思った以上に明るい夜の空に月が綺麗だなとのんきに思っていれば、かつりかつりと足音がした。それは一つではなくて、だんだんと大きくなる音に明日葉はなんだろうかと磨りガラスの窓を開けて外を見遣る。  ぞろり、ぞろりと群れがやってくる。河童に鬼、二足歩行の猫や狸が躍っている。狐は立ち上がって提灯を持っていて、壁みたいな生き物がのっしのっしと歩いている。長い首の女や顔の無い男がけらけらと喋りながら楽しそうに。  ぞろぞろと見たこともない存在が練り歩く光景に明日葉は目が離せなかった。今見ているものは夢なんじゃないかと。 「明日葉、迎えに来たよ」  ぬっと顔を覗かせたのは緑禅で、彼の姿を見てはっと我に返った明日葉は「これ何!」と詰め寄る。 「何って百鬼夜行だよ」 「これが! じゃあ、あれって妖怪なの!」 「そうだよ」  緑禅はひょいっと明日葉を抱きかかえると群れを指さした。 「あの二つの尾っぽがある猫が猫又、あそこにいる狸は化け狸。提灯を持っているのが化け狐で、壁みたいなのがぬりかべ。首の長い女はろくろ首、顔が無いの男はのっぺらぼう」  他に翼を生やして飛んでいるのは天狗で、三匹並んでいる鼬は鎌鼬だと教えてくれた。どれもこれも見た目が特徴的で現実離れしている。明日葉はきらきらとした瞳を向けながら興奮したように緑禅の肩を叩く。 「すごい、すごい!」 「お前にとっては面白いようだな。どれ、百鬼夜行に参列しようか」  緑禅はそう言って明日葉に狐のお面を被せた。これはなんだろうかと明日葉が外そうとすると、「それはつけていないといけないよ」と注意される。 「それは特別なお面だ。それをつけていればお前が人間であるとは気づかれない」 「ばれたらだめなの?」 「見つかったら家には戻れないよ?」  緑禅に「お父さんとお母さんとは離れたくないのだろう?」と問われて、それは嫌だなと明日葉は頷いた。大人しくお面はつけておこうとかぶり直す。  視界は狭くなったけれど妖怪たちを十分に見ることができるので問題はない。ちゃんとお面を被ったことを確認してから緑禅は百鬼夜行の列に紛れ込んだ。  百鬼夜行の妖怪たちは陽気だった。酒を飲みながら踊り、喋り、楽しそうで明日葉は彼らの空気に酔ってしまいそうになる。  緑禅と似たような姿をした妖怪を見かけて明日葉は「あの人、りょくお兄ちゃんに似てる」と指さした。彼は「あぁ、同種だからね」と同じ妖怪であることを教えてくれた。 「あれってなんなの?」 「烏天狗だよ」 「天狗……じゃあ、お兄ちゃんも天狗なんだ」 「そうだね、烏天狗の中でも上の位かなぁ」 「うえ?」 「偉い妖怪ってことだよ」  どうやら緑禅は烏天狗の中でも偉い存在らしい。具体的にどう偉いのかは明日葉には分からなかったけれど、すごい妖怪なのだろうとそう解釈しておく。  そんな偉い妖怪のお嫁さんになってくれって言われてるのかと不思議に思ったが、それよりも練り歩く妖怪たちが気になってしかたなかった。そんな明日葉の様子に緑禅は「もう少し俺にも興味を持ってくれないかなぁ」と言われてしまうが、気になるのだから無理な話だった。 「どこに行くの?」 「山だよ。神社の裏にあるだろう」  その山に入って宴を開くのだと緑禅は答えた。飲めや歌えやの大騒ぎらしいと聞いて、これよりも凄いのかと明日葉は期待に胸を膨らませる。  百鬼夜行は村を出て田んぼのあぜ道を練り歩き、山へと入っていく。月明りが木々に遮られて薄暗い山道を化け狐たちが持っている提灯の明かり頼りに登っていくと広場のような場所へと出た。  そこだけがぽっかりと拓けていて違和感があるのだが、着くや否や妖怪たちが輪になっていく。中心では猫又などの獣の妖怪が躍り、ろくろ首たちが三味線を片手に唄い出す。化け狐と化け狸は化け勝負を始めて、妖怪たちが飲み騒ぎだした。  妖怪たちが酒や料理を回してきて明日葉はどうしたらいいのかと緑禅を見た。彼はそれらに手を付けずに他の妖怪たちへと回す。 「明日葉、ここで出される料理と飲み物に口をつけてはいけないよ」 「どうして?」 「戻れなくなるからさ」  戻れなくなると聞いてお家に帰られなくのかと理解した明日葉は素直に頷いた。両親とは離れたくないので緑禅の言う通りにする。  化け狸と化け狐の化け勝負は面白かった。どちらも中途半端に化けているので尻尾や耳が隠せておらずそれには明日葉も笑ってしまう。「化けれてねぇじゃん」と野次が飛べば、化け狐が「うるせぇ!」と声を上げる。「こいつよりは化けれている」と化け狸を指差せば、「俺のほうが上だ!」と言い返されていた。  その掛け合いが面白いものだから明日葉は口元を押さえながら笑っている。化け猫たちの踊りも、ろくろ首の唄も見ていて飽きず、目が離せない。  そうやって妖怪たちが騒ぐのを楽しんでいた明日葉だったが、緑禅に「そろそろ帰ろうか」と抱きかかえられてしまった。まだ見ていたいと見遣るも、「駄目だよ」と言われてしまう。 「呪まじないの効果が切れてしまうからね」 「まじない?」 「お面の効果の事だよ」  時間が経つとお面の効果というのは切れてしまうのだという。だから、切れる前にこの場を立ち去らないといけないのだと。緑禅に「見つかったら怖いことになるからね」と言われては明日葉も大人しく従うしかない。怖いことなんて体験したくはないのだ。  山を抜けて田んぼのあぜ道を歩く。しんと静まっている暗い夜道だが不思議と怖いとは思わなかった。緑禅と一緒にいるからなのかもしれないなと明日葉は抱きかかえている彼を見る。 「ねぇねぇ、また見れる?」 「うーん、また来年かなぁ」 「明日はないの?」 「あれは年に一度なのさ」  また見たかったら来年おいでと緑禅に言われて明日葉は行くと答えた。またあの妖怪たちが騒ぐ様子を見たいと思って。    ***  盆祭になると子供にとってはつまらない日となる。普通のお祭りなら屋台や花火で楽しいのだが、小さな村にそんなものはない。神社に置かれた長テーブルに持ち寄られた料理が並べられて、村人たちが酒を飲んで盆踊りをする。  飲めや歌えやと騒ぐ大人たちを見ても子供にとっては面白くもない。明日葉以外の子供もちらほらいるけれど、あまり仲良くできず一人でお宮の前に座って暇をつぶしていた。  これなら妖怪たちが騒ぐ姿を見ていた方が面白い、家に戻ろうかとも思ったけれど両親も祖父母も祭に参加していて一人で帰してはくれそうにない。そもそも、家に一人は少し怖かったので明日葉は早く終わらないだろうかとぼんやり大人たちを眺めた。 「明日葉」  声がして振り返るとお宮の裏からひょこっと緑禅が顔を覗かせていた。人前には出ないのではと思っていた明日葉が「お兄ちゃん?」と首を傾げると、彼は手招きをする。  どうしたのだろうかと駆け寄れば、お宮の裏へと手を引かれた。 「どうしたの、お兄ちゃん」 「お前は明日には帰ってしまうだろう?」 「そうだよ」  祭を終えた次の日の朝には明日葉は自宅のある都会へと帰る。それを聞いて緑禅は「俺は見送りができないからね」と会いにきてくれたようだった。 「また夏に遊びくれば、りょくお兄ちゃんに会える?」 「会えるよ。俺はお前を諦めないからね」 「お嫁さんのこと?」 「そうだよ」  どうやら緑禅は明日葉を嫁にすることを諦めないようだ。そんなに気に入られてるのかと明日葉は思いながらも、嬉しいと感じてしまっていた。彼と一緒にいるのは楽しいから。  だから、「また来るよ」と明日葉は言っていた。緑禅は嬉しそうに頬を緩ませるとぽんぽんと頭を撫でる。 「また来てくれることを信じてお前にこれをやろう」  そう言って緑禅が差し出してきたのは薄紫の勾玉がついたブレスレットだった。子供には大きすぎるそれに明日葉は「腕にから外れそう」と思わず口に出てしまう。  緑禅は「大人用だからね」と笑うと身につけなくてもいいと言った。これはお守りのようなもので持ち歩いているだけでいいのだと。 「大きくなったら腕につけなさい」 「わかった!」 「誰にも内緒だからね?」 「うん!」  明日葉はブレスレットを受け取るとにこっと元気のよい笑みを見せる。緑禅が暫くその表情を見つめていたけれど、彼は笑みを返すだけだった。  その笑みに明日葉は見惚れてしまった。目鼻立ちは分からないけれど眩しく見えて、綺麗だなとそう思って。

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