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中編 初恋はきっと

初恋はきっと  小学生の頃は毎年、祖父母の家へと夏休みには遊びに行っていたけれど中学生にもなるとそれは無くなった。共働きの両親の仕事の都合だったり、母が「疲れるのよね」と言って行きたがらなくなったのだ。  今にしてみれば、義父母の元へと二週間滞在するというのは嫁の立場を考えると大変なことだったのだと理解できる。けれど、中学に入りたてだった明日葉は緑禅に会いに行けなくなることが寂しかった。  子供一人で祖父母のところに連れて行ってくれないだろうかと一度、聞いてみたことがあったけれど、「危ないから」と言って許してはくれず。だから、中学三年間は祖父母の家には帰省しなかった。  高校一年の夏、明日葉は久しぶりに祖父母の家へと向かっていた。    ***  高校生となって電車通学にも慣れた明日葉はすっかりと成長していた。部活には入っていないにしろ、運動が得意で身長は伸び、少しばかり体つきがよくなった。それでもまだ華奢に見えるのだが幼い時よりは良いほうだ。  少し長めの栗毛を靡かせて明日葉は田んぼのあぜ道を歩く。久しぶりに帰省したといっても村は全く変わっていないので道に迷うこともない。  高校生になったということもあって両親が一人で祖父母の家に行くのを許してくれた。そんなにあそこが好きかと両親には驚かれたが、「静かだから勉強しやすい」と返せばなんとなくではあるが納得してくれた。  勉強はそれなりにできて比較的偏差値が高い高校に入学できたこともあってか、勉強のことを口に出せば両親は「お前がそう言うならば」と言って深く突いてくることはない。それを利用して明日葉は帰省したのだ。  見えてきた鳥居をくぐって坂を登れば記憶と変わらない赤い鳥居が出迎えてくれた。古びたお宮と倉庫しかないだだっ広い場所に懐かしさを感じる。  自分以外に誰もいないことを確認してから明日葉は「りょく兄ぃ」と呼んだ。こうやって名前を呼ぶと彼は音もなくやってくるのを覚えていたから。 「随分と大きくなったね」  ふっと風が吹き抜けたかと思うと上から声がした。見上げればご神木だろう巨木の上に緑禅は立って明日葉を見下ろしている。相変わらず見た目は変わっていないので見間違うことはない。  鼻から上はお面に隠れているけれど嬉しそうにしているのは察せられた。狩衣を着こなす緑禅は翼をはためかせてゆっくりと明日葉の前に降り立つ。 「うーん、ますます好みだ」 「それ、まだ諦めてなかったわけ?」 「諦めないけど?」  緑禅は「お前を俺は嫁にしたいよ」と断言するものだから明日葉は諦めが悪いなと思った。明日葉は嫁になるつもりが今のところないのだが、彼は「気が変わることもあるさ」と言っている。これはまだまだ諦めないなと明日葉は悟った。  緑禅は三年間、訪れなかった明日葉のことを気にはしていなかった。家庭の事情などを理解しているようで、「人間というのはそういうものだ」と怒ることも悲しむこともしない。 「お前はまた俺に会いに来てくれるだろうと思っていたからな」 「何、その自信」 「まぁ、会いに来なくとも俺が行けばいいことだ」 「来れるの!」 「行けるよ」  明日葉の腕に付けられたブレスレットを指差して、「それがあれば行けるよ」と緑禅は教えてくれた。そのブレスレットは道しるべでそれさえあれば辿っていけるのだと。  そんな効果があるのかと明日葉は驚きながら腕につけているブレスレットを見つめた。 「でも、ここより人多いぜ?」 「普通の人には妖怪は見えないものだ」  妖怪というのは幽霊と同じで普通の人間には見えない。僅かな人間にしか見えないし、姿を消すことなど妖怪にとっては朝飯前だ。緑禅は「お前にしか見えないように俺はできるからね」と言われて、妖怪って意外と凄いのだなと失礼なことを明日葉は思ったけれど口には出さない。  出さなくても緑禅には分かっているようで「妖怪にも力はあるものさ」と言われてしまった。 「明日葉はいつまで此処に滞在するんだい?」 「二泊三日、それ以上は母さんが許してくれなかった」 「と、なると盆祭には参加しないんだね」 「あれ、母さんが嫌いだから参加すんなって言われてる」  母は盆祭が嫌いだったようで息子にも参加してほしくないらしい。もう少し滞在したかったけれど母に勘繰られるのも面倒なんで妥協したのだ。緑禅は「短いね」と残念そうにしていたが、諦めてもらうしかない。 「まー、いいじゃん。話はできるわけだし」 「それはそうだね」 「あ、百鬼夜行ってまたやるの?」  小学生の頃に毎年見ていた百鬼夜行、久しぶりに見てみたいなと思った明日葉が聞けば、緑禅は「あるよ」と答えた。 「あれは毎年恒例だからね」 「また見たいんだけど」 「お前は好きだねぇ……別にいいけれど。明日の夜にあるから迎えに行くよ」  お前は運がいいねと緑禅に言われて、どうやら一日でも遅れていたら見れなかったようだ。年に一度と言っていたのを覚えていたので明日葉は「ラッキー」と笑む。 「また、愛らしく笑う」 「何、好きな顔でしょ」 「そうだよ。てか、言うようになったな」 「まぁ、もう子供でもないし」  恋愛を知らない年齢ではもうないのだから、緑禅に抱かれている感情が分からないわけではない。彼が自分の顔が好みだと言っていたことも覚えていると言えば、「よく会いに来たものだ」と笑われてしまった。 「お前は俺に狙われているというのに」 「そーだけどさー」  緑禅との思い出というのは明日葉にとって楽しくて輝いたものだった。妖怪たちを見れることも、自分の知らない世界を教えてくれることも。それに彼のことは嫌いではない、好きか嫌いかで言うならば好きなのだ。  ただ、それが恋愛感情からなるかは分からない。けれど、緑禅と一緒にいて話している時間は好きだった。 「別にいいじゃん。なんかまた話してよ」  そうとは言わずに明日葉は緑禅に話しを強請った。気恥ずかしさもあったが、それを言えば彼が調子に乗る気もしたのだ。緑禅はそんな明日葉の気持ちを知ってか知らずか、特に指摘することもなく妖界であった話をし始めた。    *** 「ばーちゃんさ、あそこの神社って何が祀られてるの?」 「烏天狗様よ」  夕飯に出された山菜おこわを頬ぼりながらなんとなく聞いてみた明日葉は、祖母の言葉に「烏天狗!」と声を上げる。 「神様じゃないの?」 「神様も祀っているけれど、烏天狗様も祀っているの」  大昔にこの村の飢饉を救った烏天狗がいたらしく、村人は感謝を込めて村で祀ったのだと。そういった逸話がこの村には残っているのだと祖母は教えてくれた。  烏天狗と聞いて明日葉は緑禅を思い浮かべていた。確か、彼は自分を烏天狗の上の位だと言っていたのを覚えていた。と、言うことは祀られているのは緑禅のことを言っているのだろうか。 「その烏天狗ってなんかあるの?」 「そうねぇ。あぁ、先を見る力があるって聞いたわ」 「先?」 「少し先の未来が見えるんですって」  神社に祀られている烏天狗は少し先の未来が見えるらしく、その力を使って助言したりしていたのだという。ただの言い伝えなので本当なのかは祖母にも分からないのだとか。  未来が見えるなんて緑禅は言っていなかったなと今までの会話を思い出す。彼が話していないだけなのかもしれないが、少しばかり気になったので明日にでも聞いてみようと明日葉は決めた。    * 「見えたらお前はどうするんだい?」  翌日の昼、神社で緑禅と話していた明日葉は祖母から聞いた話を言うと問い返されてしまった。未来が見えたからってこれといって何かあるわけではない、というか全く考えていなかった。そう素直に答えれば、「お前らしいね」と笑われてしまった。 「なんだよ、いいじゃん」 「悪用のあの字もないところがお前の良いところだよ」 「あ、じゃあ見えるんだ!」 「見えるけど教えないよ」  緑禅は明日葉が何を言う前に言った、お前の未来は教えてないよと。どうしてだろうかと首を傾げれば、「先を知らないほうが楽しめるだろう」と言われる。  何も知らないから起こる全てのことに反応ができる。楽しさを、喜びを、怒りを、悲しみを感じることができるのだ。未来を知ってしまってはそれもできないのでつまらない人生になると。  それはそうだなと明日葉は納得した。何もかも知っていたら面白くはないだろうことは想像ができたのだ。 「じゃあ、聞かない」 「素直でよろしい」 「りょく兄ぃはつまらなくないの?」 「毎回、先を見ている訳じゃないから問題はないよ」  毎日、先を見ていては妖怪であっても面白くなんてないと言われて、それもそうかと明日葉は頷く。そこは人間も妖怪も同じなのだ。 「見たくない未来を見てしまうこともあるからね」 「そうなの?」 「……そうだよ」  ふっと一瞬だけ影を落とした緑禅に明日葉は気づいたけれど、すぐに消えて「未来なんて見ても面白くないさ」と笑われてしまい聞くタイミングを逃した。    ***  宵も深まる丑三つ時、明日葉はゆっくりと瞼を上げた。百鬼夜行が行われる日というのは何故だか目が覚める。時間を確認してから明日葉は部屋を出て窓を開けた。  ぞろぞろと群れがやってくる。鬼に河童、猫又に化け狸。提灯を持った化け狐に唄うろくろ首、踊るのっぺらぼうの傍にはのっしのっしと歩くぬりかべがいる。多種多様な妖怪たちが騒ぎながら練り歩いている光景に、昔見たものと変わらないなと明日葉は懐かしむ。 「迎えに来たよ」  そうやって百鬼夜行を眺めていれば緑禅が顔を覗かせてきた。これもまた変わらないので「近い」と押し返すと、彼は「別にいいじゃないか」と言いつつ狐のお面を渡してくる。これをつけていないと百鬼夜行には参列できないので、明日葉は久しぶりだなと思いながらお面を被った。  緑禅に手を引かれながら百鬼夜行の輪に加わって村を練り歩く。こんなに騒がしいというのに誰一人として起きてこないので不思議だった。  田んぼのあぜ道を歩きながら妖怪たちが「今年も騒ぐぞ」と息巻いている。もうすでに酒を飲んで酔っている妖怪もいて、出来上がってるなぁと明日葉は彼らを観察していた。  妖怪たちは明日葉には気づいていないのでお面の効果というのはあるようだ。話しかけられることも、視界に入ることもないので見つかることはないだろう。それでも見つかったときにどうなるのかを想像してしまって緑禅の手を握る力を強めた。  山へと入り、山道を登れば広場に出る。昔と同じように妖怪たちは輪になって騒ぎ始めた。踊りを踊る猫又に唄うろくろ首は三味線を弾いている。恒例なのか化け狐と化け狸はまた化け勝負をしていた。  相変わらず化けるのが下手で耳や尻尾が飛び出している姿は面白い。「あれ、上手くなってないんだな」と明日葉が呟けば、「十数年経つけど全く上手くならないよ、彼らは」と返された。何年やっても上達する気配がないようだ。 「それで化け狐と化け狸って言えるの?」 「一応、化けてはいるだろうから」 「まー、そうか?」  耳や尻尾が生えているとはいえ、人間に化けたりできているので一応はそう呼んでもいいのだろうと明日葉は納得しておく。完璧に化けれていないけれど、一応。  回されてくる料理や酒には明日葉は手を付けない。緑禅に戻れなくなると言われているのをしっかりと覚えているからだ。それに緑禅が「覚えていて偉いね」と頭を撫でてくれた。  子供扱いされている気がするけれど、緑禅に頭を撫でられるのは好きだったのでそのまま受け入れる。彼はそれに気づいている様子ではあったけれど、明日葉は自分からは絶対に言わなかった。  妖怪たちから「化けれてないぞ」、「へたくそ」と野次が飛び、化け狐と化け狸は「うるせぇ!」と両者を指をさす。流れるような展開は相変わらずだなと明日葉は笑う。  そうやって彼らの化け勝負を暫く見ていると、緑禅に「そろそろだよ」と言われて手を引かれた。どうやら時間がきたようで、もう少し楽しみたかったなと名残惜しげに明日葉は緑禅の後をついていった。  ゆっくりと山道を下って田んぼのあぜ道へと出る。手はまだ繋がれていて明日葉は少しばかり恥ずかしくなった。手を離そうとしても彼が強く握っているのでそれは出来ず。ただ、明日葉もまだ手を繋いでいたいと思ったので振り払うことはしない。 「二日というはあっという間なものだね」 「確かに短く感じる」  もっと緑禅と話がしたかったと明日葉が愚痴れば、彼はくすくすと笑いだした。何か笑う要素があっただろうかと首を傾げれば、「だいぶ気に入られてるようで」と返ってくる。 「お前の中で俺の存在が忘れがたいものになっていることが嬉しいよ」 「忘れられないと思うけどなぁ、百鬼夜行とか見たし」 「そうなんだけどね。それ以上のものになっている気がして嬉しいんだ」  他の誰かに抱くものとは違う感情を抱いていくれているようでと言われて明日葉はどういうことだろうかと考える。確かに緑禅に抱く感情をというのは他とは違っていた。妖怪であることの驚きや、話してくれる彼らの事、遊びに付き合ってくれた優しさ。それらが合わさって別の何かになっている自覚はある。  中学三年間会わないときもずっと忘れずにいたし、会いたいとも思ってしまっていた。どうしてそこまで緑禅を慕えたのだろうか、小学生の頃に遊んでもらった思い出があったからだろうか。  そうやって考えていると緑禅が立ち止まった。どうしたのだろうかと見遣れば彼はそっと明日葉の頬に触れた。 「なぁ、明日葉」 「何?」 「もし、辛くなったなら俺を頼るといい」  人生に疲れた時でも、悲しくなった時でも、死にたくなった時でもいい。辛くて耐え切れなくなったならば俺を呼べと緑禅は言う。いきなりだなと思いながらもその声音が真剣なものであることはその低い声から感じられたので、明日葉「わかった」と返事を返した。 「どうやって頼ればいいの?」 「それに祈ればいい」  明日葉の腕につけられたブレスレットを緑禅は指さした。それに祈れば俺はいつでもお前を迎えにいこうと。 「迎えって、何。まだ嫁にすること諦めてねぇの?」 「諦めないと言っただろう?」 「そうだった」  彼は諦めないのだったと明日葉は思い出して小さく笑う。それがまた愛らしいのだけれど本人に自覚はない。緑禅はその様子に息を吐いてからそっと明日葉の顔を持ち上げて、狐面を外される。  明日葉は距離がとたんに近くなったことに「近い」と押し返そうとして、固まる。そっと唇に何かが触れた。  それはすぐに引いていく、何があったのか一瞬理解できなかった明日葉だがすぐに察して顔を赤くさせた。緑禅に口づけをされたのだと。 「は、はぁ?」 「俺がお前を好いているのは本当だという印さ」  だから、いつでも俺を頼りさない。そう告げる緑禅の言葉を片耳に明日葉は動揺していた。男にキスされたというのに嫌だと思わなかったから。

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