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第4話 耽溺

 クソみたいな気分だった。  暗い室内で、サギトはかっと目を見開いた。  使い魔に融合させていた生霊(いきりょう)が、サギトの肉体に戻った。サギトの手には、金貨の入った巾着袋が握られていた。  一階に薬屋の店舗、二階に住居がある煉瓦造りの家屋。ここはその二階にある隠し部屋だ。  サギトの体は赤黒いビロードのローブに包まれ、床に横たわっていた。  背中の下には魔法陣が描かれている。  魔法陣のまわりをぐるりと、緑の炎の灯る蝋燭が囲み、特殊な蝋は独特の匂いを部屋中に充満させていた。  生霊を飛ばした後特有のめまいを感じながら、サギトは身を起こす。  立ち上がり、魔法陣の中から出る。部屋の隅の大きな金庫の前にしゃがみ、重い扉を開け、金貨の袋を中に放り込んだ。そして乱暴に扉を閉める。  苛立(いらだ)っていた。  「仕事」の後は、いつも苛立つ。でも今日は特に苛立ちが大きかった。 (こんなつまらん殺しに「影の目」を使いやがって)  と思ってから、自嘲に口を歪めた。 (「つまらん殺し」?じゃあ「面白い殺し」ってなんだ。「影の目にふさわしい立派な殺し」ってのがあるのか?)  自嘲して、一層気分が悪くなった。  サギトは忌まわしい魔道部屋から出た。  扉の向こうは調合室だった。薬の調合のための部屋。サギトの表の稼業のための部屋だ。表の稼業と言っても、薬屋などまるで儲かっていなかったが。ただの隠れ蓑だ。  サギトは魔道部屋の扉に振り向くと、手をかざして呪を念じた。扉は消え、ただの壁になった。  サギトはつい、その壁を拳で叩いた。  苛立っている。  薬品戸棚を漁った。奥の方から、漆黒の陶器でできた小瓶を取り出す。小瓶を持って、調合室を後にする。  廊下に出て寝室に入り、ベッドの脇の小机に、手にした漆黒の小瓶を置いた。  ビロードのローブを剥ぎ取り、びしょびしょの肌着を脱ぎ捨てた。一仕事を終え、大量の汗をかいていた。  半裸になってかすかに震える手で、蓋を開けた。  中には血のような色の液体が入っている。  サギトはその色を見て、少しだけ一息つく。落ち着こう、もう仕事は終わった、こいつをキメればこのクソみたいな気分も吹っ飛ぶ。  サギトは小さじで血液のような赤い液体をすくい、手のひらに落とした。一さじ、二さじ、三さじ。ちょっと迷って、四さじ落とした。  手は今や明らかにぶるぶると震えていた。 (なに震えてやがる、お前は「影の目」だろ?世界が恐怖する最凶最悪の化け物なんだろ?なに震えてやがる?)  サギトは自らの手のひらに唇を落とす。その液体を一気に舌で舐めとった。  気色悪い甘みが舌にまとわりつく。吐き気をこらえて、唾液とともに飲み下した。  震えはおさまった。サギトは安堵の息をつきながら、ベッドに体を横たえ、効いてくるのを待った。  その薬の効能は、一時の多幸感、万能感、安眠。副作用は、効き目が去った後の全身の激痛とおぞましい幻覚。  そう、「わるいくすり」だ。とてもわるいくすり。 (何をしてるんだ、俺はこんなところで何を)  ふいに夕方の記憶がよみがえり、サギトは歯を食いしばる。 ――今度、薬屋さんに寄らせてくださいね (畜生、畜生、畜生。ああ、あんたはいい人だったよ。これも仕事なんで、ごめんな) ――グレアム様が影の目を殺してくださればいいのに (畜生、畜生、畜生。俺があいつに魔力を与えてやったんだ、あいつが今、英雄を気取ってられるのは俺のおかげなんだ)  効き目が遅い、早く回れ、とサギトは思う。量を増やすか。だが四さじも入れてしまった。これ以上増やしたら、脳が破裂する。 (グ……レ……ア……ム)  その名が呪詛のように身を(さいな)み、サギトは己の手を強く噛む。 (狂う。狂う。狂う。狂う。狂う) (――狂え)  ようやく薬が回ってきた。  サギトは恍惚として、湧き上がる偽りの幸福感に全身をひたした。  サギトの心を支配していたどす黒い感情が薄れていく。脳が偽者の至福に侵される。  サギトの一つ一つの細胞の中で、狂った快感が極大化していった。狂った脳が快感の異常値をたたき出す。サギトは今、快感の化け物そのものだ。  これが愛だと思った。  偽物の愛の海の底に沈んで、沈んで、沈んで、溶解する。  薬だけがサギトを愛してくれた。偽りで構わなかった。どうせサギトには、偽物しか手に入らないのだから。  サギトは安らかな眠りに落ちていく。  夢の中、サギトの意識は過去へと飛んで行った。  今よりはよほど、幸福だった過去へと。 ◇ ◇ ◇

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