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第11話 回想/分岐点
グレアムに魔力を与えてから、サギトは時々、妙にリアルな夢を見るようになった。
夢と言っても夜の夢ではなく、白昼に突然意識が飛んで見るものだ。そういう夢はいつも、夢であるはずなのに現実と符合していた。
たとえばある日の午後、掃除をしていた時。掃除ももちろん、孤児の仕事の一つだ。
窓を拭いている最中、立ったままサギトの意識が飛んだ。そして夢を見た。夢の中で、幼い少女が草原で蛇に噛まれていた。
サギトは、はっと目を覚ます。また意識が飛んでしまった、と思いながら窓拭きを続けた。夢に出てきた少女には見覚えがあった。この孤児院にいる、ルーシイという七歳の少女だった。
その数分後、外で遊んでいた年少組の子供達が騒々しく孤児院にかけ戻って来た。「ルーシイが蛇に噛まれた!」と叫びながら。
こういうことが、しょっちゅうあった。
サギトはそのうち、自分が「生霊」を飛ばしているのだと理解するようになった。
精神だけ肉体を飛び出し、遠方の出来事を見聞きしているのだ。
本には、魔術の中でも外法の類、禁忌の術として記されていた。魔人の魔術はろくでもないのばかりだな、とサギトは苦笑をした。
この生霊の術はやがてはコントロールできるようになるのだが、この頃はまだ勝手に飛んでしまうばかりの厄介な代物だった。
そしてあの日、グレアムの士官学校入試の日、サギトは生霊のせいで最悪なものを見聞きすることになる。
それはその後のサギトの人生に、ずっと暗い影を落とし続ける。
◇ ◇ ◇
ついに士官学校入学試験の日がやってきた。
つまり、サギトの転落の始まりの日が。
孤児院からは、グレアムを含めて四人が試験に挑戦した。全員、十八歳。四人は日の出前の暗い時間に王都へ出立した。馬車に乗って。
ずいぶんと早い時間に出て行ってしまったので、その日サギトはグレアムに挨拶すら出来なかった。
他の孤児たちと共にいつもの時間に目覚めたサギトは、グレアムがもういないことに気づき、ちょっとだけ残念に思った。まあ帰ってきたら労をねぎらおうと、その程度に思った。
その日の夕刻、サギトの意識がまた飛んだ。
夕食の時間だった。芋か何かを口に入れた時、サギトの頭が一瞬真っ白になり、目の前に見知らぬ景色が開けた。
石造りの立派な建物の中。
グレアムが赤毛の男と話していた。
肥えた、頭のてっぺんが白く禿げ上がった、縮れた赤毛を肩まで伸ばす男。
サギトからは赤毛の男の後ろ姿と、グレアムの正面が見えた。
グレアムが赤毛の男に言葉を発する。
「サギトが魔人です。あいつのことはお任せします。あいつは危険……」
そこで、場面は途切れた。
サギトははっと目覚める。夕食の席だと思い出す。
口に入っていたものを飲み下した。なんの味もしなかった。
また生霊を飛ばしてしまったことは分かった。だからあれが、現実にたった今起きていた事なのだということも。
グレアムが見知らぬ男に、サギトが魔人だと、告げ口をしていた。
(俺は危険?)
わけがわからな過ぎて、胸の内がぞわぞわとした。動悸がした。
とにかく早くグレアムに会いたかった。
会って話を聞いて、そして、安心したかった。
◇ ◇ ◇
夜、消灯時間の近づいた頃、試験のため王都に行った孤児たちがやっと戻ってきた。でもその数は三人。グレアムは含まれていなかった。
意気消沈した三人のうちの一人が言った。
「落ちたよ、グレアムだけ合格。合格者は色々手続きがあるとかで今日は士官学校に泊まりだってさ」
孤児たちはその知らせに湧き上がった。
「すげえ、グレアム合格したのか!さすがだぜあいつ」
「祝ってやらねえとな」
「おいおい、俺たちは落ちたんだからあんま喜ぶなよ」
「お前らが落ちるのなんて当たり前だろ」
「ははは」
先生たちも興奮していた。
「あいつやったのか!士官学校入学なんてこの孤児院始まって以来だぞ」
皆がグレアムの快挙を祝福していた。これだけでグレアムがいかに好かれているか分かるというものだ。
サギトは、ああやっぱり、とだけ思った。グレアムが合格するのは、サギトにはもう分かっていたことだった。
それよりも、今日戻ってこないということの方が問題だった。早く胸の中の不穏な気分を晴らしたかったのに。
しばらく孤児院は祝福ムードに盛り上がっていたが、既に消灯時間となっていたため、孤児達は寝室に追いやられて行った。
サギトはベッドの中で、どうしても眠れず寝返りばかり打っていた。明かりは落とされ、他の孤児たちの寝息だけが聞こえていた。
その時、魔術の気配がした。
サギトはびくりと身を震わせた。上半身を起こし、気配のするほうに振り向いた。
サギトのベッドのすぐ下に、蛾のような羽を生やした、灰色のウサギがいた。
使い魔だ。攻撃性は感じないが、サギトが作った使い魔ではない。
警戒心に強張るサギトに、蛾の羽を持つウサギが話しかけてきた。
「さぎと、オイデ。ぐれあむガ、呼ンデるヨ」
予想外の名前。
グレアム?まさかこいつは、グレアムの使い魔なのか?しかしグレアムはまだ一度も使い魔を作ったことはなかったはずだ。とは言えサギトと同じ力を持っているので、作ろうと思えば作るのは容易だろう。
困惑するサギトの前でウサギは跳ね、窓に飛び乗った。見ればいつの間にか窓が開いていた。そして窓から出て行く。サギトは窓から身を乗り出した。外には草原が広がっている。
「ま、待て……」
ウサギは草原の上で止まりこちらを振り向く。
「さぎと、オイデ」
とまた言った。
ついて来いと言うのか。サギトは窓枠に手をかけてよじ登った。向こう側に降り、外から窓を閉める。空には満月が輝いていた。
「ハヤク、オイデ」
ウサギがサギトを急かしつつ、草原をかけて行く。
サギトは満月の下、ウサギを追って走り出した。
ウサギは草原を抜けて、森の奥へとサギトを導いて行った。やがてサギトは前方に、ぼんやりとした明かりを見つける。
近づけばそれは、ランタンを持った見知らぬ男だった。黒い外套とシルクハットを身につけていて、太っている。ウサギはその男の足元で止まった。
男が口を開いた。
「驚いた。本当に魔人が生まれておった。しかも王族級が。千年に一度生まれるか否かと言われる、魔王の力を受け継ぐ紫眼」
魔人。魔王。
サギトは男の言葉に冷たい恐怖を感じながら、後ずさりした。ウサギについて来るべきじゃなかった、という強い後悔がこみ上げた。
「なんだ、あんたは」
「わしは士官学校の魔道教師よ。今日の試験の試験官だった。お前がサギトだな。グレアムに魔力を与えた、魔人」
「なぜそれを知ってる……」
「魔道士を舐めたらいかん、グレアムが邪悪な魔力を所持していることはすぐ分かった」
サギトは顔色を変えた。ある事態を思いついた。
「ま、まさか拷問して聞き出したのか?グレアムをどうした!」
「拷問?はっはっは、まさか!グレアムは無事合格、立派な騎士になるだろうて」
サギトは理解ができず、眉をひそめた。
男はシルクハットを脱いだ。ウサギが条件反射のようにシルクハットの中に飛び込んだ。そのまま、シルクハットの底の闇へと消えてしまう。
てっぺんのはげた頭。そして縮れた長い赤毛。
サギトが生霊で見た、あの男。グレアムと話していた、あの男だった。
「お前は魔人、お前は危険だ。だから、わしはお前を殺さねばならん」
頭から冷水を浴びせられたような心地がした。
自分が魔人であると知ってから数年、ずっと心の片隅で恐れ続けていたこと。
それが今、現実となってついに目前にやってきた。
サギトは奥歯をぎりと噛んだ。
「一体、なんの権利があって!俺は悪いことなんて何もしてない、なんで殺されなきゃいけないんだ!」
「だってお前は、魔人だから」
「だってグレアムは騎士になれるんだろう?俺が魔力を与えて俺と同じ邪悪な魔力を持つグレアムが!じゃあ俺だって」
「お前は違う、だってお前は紫眼だから」
「支離滅裂だ!グレアムが人間なら俺だって人間だ!」
「人間じゃない。お前は魔人だ」
男はシルクハットとランタンを地面に置いた。
手をサギトの方にすっと差し出すと、術名を唱えた。
「――呪縛 」
「!」
男の手から光の帯が飛び出した。光の帯がサギトの手首と足首に絡みついた。サギトの両手は見えない力で後方にひっぱられ、あっという間に後ろ手に縛られてしまった。
サギトは必死にもがいた。だがもがけばもがくほど、帯は強く絡みついた。
「くそっ」
手と足を拘束されたサギトは、無様にその場に転倒した。
「こうも簡単にわしの手に落ちるとは。オーラから察するに、お前はまだ覚醒前の半人前魔人だな。間に合ってよかった」
サギトは歯を食いしばった。
「どうしてっ……」
「どうして?グレアムがわしにお前が魔人であると教えてくれた。だからわしは、お前を殺しに来た。単純な話だろう」
「嘘だ!グレアムが告げ口なんてするわけ無いんだ!」
サギトは生霊が捉えた光景を必死に脳から追い払った。
それでもまだ信じられなかった。いや、信じたくなかったのだ。
「嘘と言われても、実際にここに、わしが来たじゃないか」
「本気で俺を殺すのか!」
「お前は魔人だからのう。だが……」
「くっ!」
今こそ魔術を使わねば、と思った。
サギトは必死に脳内で魔術の発動を念じた。火でも念動でも使い魔でもいい、とにかくこの場を切り抜けねば、と。
だがどんなに念じても何も発動されなかった。男がおかしそうにあざ笑う。
「あがいても無駄じゃ。お前を縛っているのはただの紐ではない。縛られた者の動きのみならず魔力を制御する魔術じゃ。お前はなんーにもできんぞ、半人前魔人よ」
男は身をかがめ、肥えた手でサギトの顎をつかんだ。その脂ぎった醜悪な顔がサギトを覗き込む。
「まあ、落ち着け、話を最後まで聞け。わしにも慈悲がないでもない。小僧、わしに魔力をよこせ。そうしたら命だけは助けてやる」
サギトは驚いて男の顔を穴の空くほど見つめてしまった。
なんだこいつは、と思った。危険な魔人を殺すとか言いながら、魔人の力を欲しているのか?
なんて醜い大人なんだ。嫌悪感が腹の底から吹き出した。
「嘘だ!魔力を与えたって、お前は俺のこと殺すだろ!」
ククク、と男は喉の奥で下卑た笑い声をたてた。
「わしを信じるんじゃ」
「信じられるか!グレアムに会わせろ!俺をグレアムの元に連れて行け!」
「いいからほら、わしに魔力をおくれ。牙をわしの血管に立てるんじゃ、グレアムにやったように」
男は指をサギトの口の中に入れ、歯を確かめようとした。サギトは顔を思い切り振って、男の手から逃れた。
「できない、魔力は渡そうと思って渡せるもんじゃない!」
これは本当だった。あの時どうして牙が生えたのかも分からなかった。
「そうか、覚醒前だから魔力付与のコントロールが出来ないのか」
男はそこで思案する顔をした。
「そうだ、魔力付与には性欲が関連してると聞いたことがあるぞ。魔王は気に入った人間を犯しながら魔力を与えたそうだ。試しにお前を性的に気持ちよくさせてやろうか」
「なっ……!」
男はサギトのシャツをめくって触ってきた。
「おお、お前はまるで女の子のような体つきだ、これはいい。顔も美しいし、殺すのは勿体無いのう、紫眼でさえなければわしのペットにしてやるのに」
言いながら、サギトの乳首をつまんでくる。サギトはその気色悪さにどうにかなりそうだった。
ズボンもずり下げられ、そこにぶら下がる縮こまったものをぎゅうと握られた。
男の大きな顔面がサギトの腹に沈む。その舌がサギトのへそをじゅるじゅると舐めた。なめくじに這われるような感覚。
気が狂いそうだった。
どん底の恐怖を感じた。サギトは助けを求めてしまった。
「やだ、やめろ、離せ!グレアム、グレアム、グレアムっ……!」
男は苛立った声を出した。
「グレアムグレアムうるさいやつじゃ!お前はあいつに売られたんだ!合格させてやる代わりに誰が魔人か教えろと言ったら、あっさり教えおったんじゃ!」
その言葉は、必死に保ち続けていたサギトの心をぐらりと揺らした。
「嘘をつくな!嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!絶対に嘘だ!!」
サギトは半狂乱で叫んだ。
男はサギトの狂ったような叫びに、驚いた顔をした。が、すぐにニヤニヤと悪辣な笑みを浮かべた。
「……本当じゃ。グレアムがお前を危険と言った。グレアムに、危険な魔人を早く殺してくれと頼まれたわ。その代わり必ず自分を騎士にしてくれと」
(グレアムが俺を殺せと頼んだ?)
脳裏に、生霊となって聞いた言葉が蘇る。
――サギトが魔人です。あいつのことはお任せします。あいつは危険……
サギトは石のように固まって、天頂の満月を見つめた。
どくん、どくん、と心臓が鼓動を刻む。
「ほらグレアムの事なんて忘れて、わしとイイコトしようじゃないか。かわいがってやるから。うひひ、欲しいぞ魔人の絶大な魔力。早く気持ちよくなって魔力をわしにも寄越せ」
男の舌がサギトの体を這う。びちゃびちゃと気色悪い音を立てて、サギトの上を醜いなめくじが這いずり回る。
「グ、レ、ア、ム……」
サギトはかすれ声でその名を呼んだ。
どくん、どくん。心臓の音が嫌に大きかった。
どくん。どくん。
どくん。
次の瞬間、サギトの全身から暗黒の影が立ち上った。
サギトは無音の咆哮をした。身を弓なりにのけぞらせ、大きく開けたサギトの口から、音にならない雄叫びが放たれる。
犬歯が伸びる感覚。そして爪が伸びる感覚。
サギトを縛っていた光の帯が千切れた。
同時にサギトの腹に顔をうずめていた醜い男の体が、飛び跳ねた。
醜い体が宙を飛んだ。赤毛の男は木にしたたか打ちつけられる。
「ぐはっ」
木に全身をぶつけた男は、何が起きたか分からない、という顔をして地面に四つんばいになった。
サギトは立ち上がる。男に近づいた。満月に照らされたサギトの影が男の上に降りる。
男はサギトの姿を見上げ、絶望と恐怖に顔を歪めしりもちをついた。
暗黒の炎 を背負い、かぎ爪を伸ばし、牙をむく紫眼の男は、魔物のように見えたことだろう。
「ひあああっ!か、覚醒したのかっ!たた、たす、たすけっ」
サギトは身を屈め、男の頭を掴んだ。掴んだその手に、ぐっと力を込める。
男の頭は、破裂した。
真っ赤な肉片を四方に散乱させ、首の無い死体がぐたりとそこに転がった。
醜い死体だと思った。汚らわしいと感じた。そこらにあったシルクハットもランタンも、全部汚らわしかった。
サギトは魔術で火を放った。対象物のみを完全に消し炭にする炎。
魔道の火炎に焼かれ、男とその持ち物は灰になった。
サギトを殺しに来た男は、一切の痕跡を残さず消え去った。
沈黙が降りた。
サギトは青い月明かりの下、からっぽの心で佇んだ。ずっとずっと長いこと、無言で。
やがて。
「はあ、はあ、はあ」
荒い呼吸がどこかから聞こえてきた。それは自分の呼吸だった。
サギトは血まみれの手を見つめた。これは誰の手だろうと考えた。
なぜこんな長い爪が生えているのだろうと。
「はあ、はあ、はあ」
犬歯と爪が、元に戻る感覚がした。
サギトは泣いた。
泣きながら、自分が殺人を犯してしまったことを理解した。
逃げなければ、と思った。俺は殺人犯だ、逃げなければ、と。
サギトは着の身着のまま孤児院を後にした。
サギトはそれから一度も、グレアムと会っていない。
◇ ◇ ◇
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