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第12話 回想/逃亡者

 孤児院を抜け出したサギトは往来で馬を盗んだ。  馬を駆ったサギトはやがて、人の賑わう大きい街にたどり着いた。そこはランバルト王国の第二都市だった。王都と同じく、多くの流れ者が集まる街。  本来ならこの時点で、サギトはグレアムの裏切りへのショックで狂ってしまうところだったのかもしれない。  だが幸か不幸か、サギトは一文無しで宿無しで、生きるか死ぬかの極限の状況に陥っていた。そういう状況になると、人の心はシンプルになる。  生き抜くためにどうするかだけを、必死に考えた。  サギトは仕事をくれと頭を下げてあちこちに頼み込んだ。が、紫眼のサギトを雇ってくれる人はいなかった。  孤児院を出て、いじめっ子だらけの孤児院ですら紫眼にとっては天国だったのだと思い知った。  こんな形で孤児院を抜け出すことにならなければ、職も斡旋してもらえるはずだったわけで。  サギトは浮浪者になるしかなかった。犬のように都市の残飯を漁る浮浪者に。いや犬より悪いかもしれない。  第二都市に来て数日目、路地裏で寝ていたら起こされた。見ればゴロツキのような男達がサギトを押さえ込み鼻息を荒くしていた。  未明の薄暗い中、酒臭い男達がランタンを掲げてサギトの顔を覗き込む。 「眼を開けた、紫眼だぞこのガキ」 「よし、忌人なら犯しても誰にも文句言われねえ。とんでもねえ美人だ、見ろこの真っ白な肌。男か?女か?」 「どっちでもいい、穴はあるだろ」 「怖がるなってお嬢ちゃん、たっぷり遊んでやるから」  驚き声も出せないサギトの体を、たくさんの男達の手がべたべたと触った。一人の男がぞっとするような笑みを浮かべながら、サギトの脚衣に手をかけ脱がそうとした。  絶望的な恐怖が体中を駆け抜けたその瞬間、サギトは無意識のうちに魔術を発動していた。  ぐちゃり、と何かが潰れる音がして、男達すべてがばたばたと倒れていく。  倒れてきた男達の体に圧迫されて、サギトの息がつまる。  這い出たサギトは、青ざめて目の前の光景を見渡した。事切れた男達はみな、胸を真っ赤に染めていた。  魔術で心臓を潰してしまったのだ。  サギトは数を数える。四人。また人を殺してしまった。  叫びだしたいのを懸命にこらえ、サギトは駆け出した。  サギトは広場まで行きそこの噴水で体を洗った。倒れてきた男達の血が付着していた。噴水での沐浴は禁止されていたが、日の出前なので誰もいなかった。  サギトは身を清めながら、声を殺して泣いた。  泣いているうちに、空がほの明るくなってきた。  殺人へのショックに停止していた頭の一部が、機械的に動き出す。  今日食べるものはどこで手に入れよう、とサギトは考え始める。 ◇ ◇ ◇  サギトは実際の年齢より見た目が幼いので、浮浪者というより浮浪児に見えた。  街の人々は浮浪児にはそこそこ優しかった。飲食店の裏口に物欲しそうにたむろする浮浪児たちに店の人たちが食事をめぐむ光景は毎晩見られた。  だがたとえ浮浪児に見えても忌人であるサギトは、しっしと追い払われた。  サギトは仕方ないので、眼をつぶって盲人のふりをしてめぐんでもらった。すると打って変わって人は優しくなった。  サギトは自分が紫眼であることがばれないよう怯えながら、堅く眼を閉じて物乞いをして食いつないだ。  ひたすら、みじめだった。  街を出て森で生活することも考えたが、魔物が闊歩するという森の中に入るのが恐ろしかった。それに街を出たら、自分が本当に人ではなくなってしまうような気がした。  こんな最悪な状況でも、サギトは人の中に居たかった。人であり続けたかった。  サギトの辛い物乞い生活は続いた。  みじめな物乞い生活は、サギトの心と体を蝕んだ。  どんなに汚れていても、街のゴロツキ達には相変わらず性的な目で見られ、何度も襲われかかった。サギトの美しさはそれ自体が「(すき)」だった。うっかり殺してしまうことはなくなったが、常に性犯罪にさらされる状態は自尊心を打ち砕いた。  浮浪児たちに袋叩きにあいもした。サギトが本当は紫眼で、盲人が演技だとばれた時に。  子供相手に魔術は発動できなかった。サギトは子供達に殴られ、蹴られるがままだった。  そのうち新聞の片隅に、あの赤毛の男の似顔絵が行方不明者として掲載された。死んだ事すら把握されていないようだった。一切の痕跡を残さず焼き尽くしてしまったからだろう。  ◇ ◇ ◇  そんなある日。  サギトは街角のポスターで、「賞金稼ぎ」という儲け方があることを知った。  この街に来て一ヶ月程が経過していた。  もともと細かった体はますますやせ細り、生きているのが不思議なほどだった。  サギトはその日、虚ろな瞳でそのポスターをじっと見つめた。  ポスターの似顔絵の人物を殺せば、金をもらえるという。  サギトはぼんやりとした意識でそのポスターをはがす。  試しに、やってみた。  ネズミやスズメ、ハエといった小動物たちに術をかけ、使いとした。ギャングの金を持ち逃げしたというチンピラの似顔絵を、使い達に覚えさせた。  スズメがチンピラの居場所を特定した。チンピラは隣町にいた。  次にサギトは、使い魔を殺しに向かわせた。その時使ったのは、例の蛙の使い魔だった。蛙は指示から半日も経たないうちに、チンピラの生首を背中のフォークに突き刺して戻って来た。サギトの指定した、町外れの廃屋まで。  生首を見て、サギトは夢から醒めたようにはっとした。なんてことをしてしまったんだろう、と。  先の五人の殺人とは違う。これは正当防衛ではない、単なる「殺し」だ。  サギトは嘔吐した。  なぜ自分はこんな気軽に殺しなど「やってみた」のか。サギトに流れる魔人の血が、こういう行為へと誘惑したのか。  サギトはそのおぞましい生首を前に、苦悩した。  どうすべきか。どうしよう。どうすれば。  悩んで悩んで、サギトは結局、「せっかく殺した」その首を、ギャングの事務所に持って行った。  ギャング達は、ぼろぼろに汚れきった紫眼の子供がやって来たことに驚いていたが、褒めてくれた。 「よくやったぞ、ガキ」 「大したタマだ」  闇社会に恐る恐る足を踏み入れたサギトは、そこで予想外の歓迎を受けた。初めて、自分を受け入れられた気がした。  ギャングは金もきっちりくれた。  おかげで、もう手に入らないと思っていた「普通の生活」を取り戻した。  清潔な服を着て、安全な宿に泊まりベッドで眠り、温かい食事を取る。  久しぶりのまともな生活に、サギトは涙した。  今日はみじめな物乞いをしなくてもいい。今日は犯そうとする男達に怯えなくてもいい。  二度と浮浪者に戻りたくないと、強く思った。  こうしてサギトは、「今だけ」と思いながら賞金稼ぎを続けてしまった。闇社会がサギトの唯一の居場所となった。  だがそれでも当時は、いつか足を洗う、という夢を捨てていなかった。  ある程度金を貯めたサギトは、不用意に顔を晒し過ぎた第二都市から、王都へと居場所を移した。  そこで賞金稼ぎで集めた金をつぎ込み、住居つき店舗を買った。材料を買い揃え、自身で調合し、薬屋を開店した。  でも、薬屋は儲からなかった。  紫眼の店など繁盛するわけがないのだ。  月々の売り上げは微々たるもので、完全に赤字だった。  それでもサギトは、いつかは薬屋も軌道に乗る、殺しから足が洗えると信じようとした。ただの一時しのぎとして、巧妙に正体を隠しながら、賞金稼ぎを続けた。 ◇ ◇ ◇  サギトは使い魔に生霊を融合させる方法を用いるようになった。もちろん禁忌の術、外法の中の外法だが。  これにより依頼人にも使い魔の姿しか見せずに済み、さらに確実にターゲットを殺せた。  その使い魔は、サギト自らの血肉を混ぜて作ったものだ。髪、爪、血、精液。生霊と融合させるために一年かけてこしらえた、正真正銘のサギトの分身。  だから目が影で覆われているのだ。  誰にも見せたくない紫の眼を、いっそ影で塗りつぶしたのだ。  そうして三年、四年と過ぎた。  結局、薬屋はいつまでも軌道に乗らなかった。  一方で、闇社会でのサギト、すなわち「影の目」の評判は上がった。  よく闇社会で賞金首の手配書を出す、聖教圏最大のさる組織は、「影の目」を持ち上げた。彼らは「影の目」を褒めそやし、仕事が成功するたびに優しい労わりの言葉をかけてくれた。 「君は素晴らしい。我々には君が必要だ」  誰も言ってくれない言葉を、犯罪組織だけが言ってくれる。  年月が経るにつれて、サギトの心はどんどんささくれ立っていった。  ――合格させてやる代わりに誰が魔人か教えろと言ったら、あっさり教えおったんじゃ  ――サギトが魔人です  あの場面を何度も何度も、反芻した。忘れたくても忘れられなかった。  なぜ、と思う。  なぜサギトを裏切ったのか。共に過ごした年月はなんだったのか、友情の全てが偽りだったのか。 (お前にとって俺は、なんだった)  もしかして、ただずっと魔力を欲していただけだったのか?  サギトから魔力を得るために、サギトに優しく接し、信じ込ませた?  一分の隙もなく最後まで信じさせたまま、逃げ切った。ずっと望んでいた魔力を手に入れて。  そしてあっさりと告げ口し、あっさりと切り捨てた。 (そうだお前は言っていたな、『どんな事をしてでも騎士になる』と。俺を売ることくらい造作もないか)  業火のような怒りと共に、もう一つサギトを苦しめたのは、嫉妬の念だ。  なぜ同じ邪悪な魔力なのに彼は騎士になれて、自分は宮廷魔道士はおろか、薬屋にすらなれないのか。 (あいつは俺の眷属に過ぎないのに!)  鬱々とした妬ましさは、サギトをさいなんだ。  グレアムの名声が高まれば高まるほど、そのまばゆい光によってサギトの闇は濃く育っていく。  ある日、組織はサギトに、賞金稼ぎではなく「暗殺者」になるよう勧めてきた。  組織をいわば代理店にして、人々が組織に殺しを依頼する。  組織はサギトに殺しをさせ、幾らかの——その配分は明かさない——手間賃をいただく。 「君にとっても安定収入となる。いい話じゃないか?」  代理店と言いながら、その実態は組織の雇われ暗殺者に過ぎないことは分かっていた。 「我々は友人だろう?決して悪いようにはしないから」  あるいはサギトの弱さが、居場所を失うことを恐れさせたのかもしれない。  サギトは孤独で、闇社会にしか居場所はなかった。 (どうせ俺は、存在を許されない危険な魔人……。いいだろう、なってやる、本物の悪魔に)  こうしてサギトは賞金稼ぎどころか暗殺者と成り果てた。  そして凄腕の魔道暗殺者「影の目」の名は、世の中を震撼させるほどに高まっていった。  グレアムがサギトの力で英雄となる一方で。  どこにいても、彗星の如く現れた新人騎士の大活躍の話題が耳に入って来た。その夢物語のような出世話も。  サギトはますます「影の目」という虚飾に救いを求めるようになっていく。  暗殺者という仕事を心から恥じるその一方で。  影の目の殺しを新聞がセンセーショナルに書き立て、人々が恐れ大騒ぎする。  そこに俗物めいたナルシシズムを感じなかったといえば、嘘になる。 (俺は無様な紫眼のガキなんかじゃない) (本当の俺は冷酷で残忍な、世界最凶の化け物なんだ) (誰もが俺を畏怖している) (なにが救国の英雄だ。お前の名より俺という悪魔の名を、世界に轟かせてやる)  こうやって、偽悪的な誇大妄想に逃げ込み続けた。  「仕事」のたびに崩壊しそうになる精神を、麻薬によって繋ぎ止めながら。  しかし時々、グレアムの包み込むような笑顔を思い出して、感傷に浸ることもあった。  ただ単純に憎み切るには、記憶の中のグレアムは、優し過ぎた。  たとえ全てが偽りだったとしても。  失ったからこそ気づいた、自分があの頃、どれほど幸福であったのか。  これほど怒り、傷ついているのに、心の片隅では出来ることならあの日々に戻りたいと願ってしまう。  グレアムとともに過ごした日々に戻りたいと。  たった一人の友。たった一人の、サギトが愛した人間。  欲しいと思った。あの太陽のような男を自分だけのものにしたいと。  グレアムは、サギトの全てだった。  グレアムとの日々の記憶だけが、サギトの持つ唯一の大事な何かなのかもしれなかった。  グレアムへの愛憎半ばする憂鬱な執着心は、いつまでも消えることはなかった。  八年の歳月がたっても。 ◇ ◇ ◇

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