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◆エピローグ◆ 最後の仕事(1)

 サギトが護国騎士団の兵舎に移り住んで三週目に突入した日の朝。  訓練場の端、日課の朝礼の場にて、国境の砦への移動日が決定したことが告げられた。明後日には出立するという。  整列する騎士達の前に立つグレアムが、皆の顔を見渡しながら言った。 「明後日からまた、命を張って聖教圏を守る日々が始まる。怠け者の正規騎士団がやっと少しは仕事をするようになったとは言え、この国の防衛の要は変わらず、俺たち選抜騎士だ。その中でもトップの実力を持つ精鋭が集うこの護国騎士団こそ、聖教圏の最終防波堤だ。俺達ひとりひとりが聖教圏の全てを背負っている」  休暇の終了を告げられた騎士達の(かんばせ)は、憂いよりは闘志と覚悟に満ちていた。望んでこの険しい道を選び、己に誇りを持ち国を守る男達の姿がそこにある。 「行けばいつ戻れるか分からない。生きて戻って来れないかも知れない。というわけで今日と明日は訓練は無しだ。心残りを二日で片付けておけ。今日はこれで解散だ。二日間、最後の自由を満喫しろ!」  騎士達が足を揃えて野太い声で答える。 「了解しました!」  騎士たちそれぞれがこの二日を当人にとって有意義に過ごすのだろう。ある者は家族と過ごすだろうし、ある者は娼館で馴染みの娼婦と別れを惜しむかもしれない。  多くの騎士達が外出の身支度のため兵舎へと戻って行く人混みの中、サギトはさてどうしようかと考える。 (心残り、か)  特になかった。  店じまいした薬屋の店舗はここに移り住んだ時にすでに、商品も材料も例の隠し部屋も、綺麗に処分し空っぽの状態にしてある。不動産屋に売却を依頼してあるので、そのうち買い手がついたら、他の誰かの別の店になるのだろう。もう特にやらねばならないことはない。  まずはこの騎士服を脱ぎたい、と思った。どうも着なれないし気恥ずかしさがあった。当然、似合っているとも、思えなかった。  金ボタンの並ぶ白いロングジャケット。護国騎士団員であることが一目で分かるこの服を着ていると大層モテるらしく、団員は街にこの騎士服のまま行くのが普通らしいが。  とにかくこの似合わぬものを着替えよう、と歩き出そうとしたサギトの目の前に、ぬっとグレアムがやってきた。  見上げるとなんだか怖い顔をしている。 「なんだ、どうした?」 「お、俺はいつも会議とかお偉方への挨拶とかで出立前の自由時間をあまりもらえないんだが、今回はわがまま言って俺も二日間自由にできることになった」 「ああ、それは良かったな」 「サ、サギトは予定、とかあるのか?」 「特にないが」  グレアムはスーハーと深呼吸した。今しがた屈強な騎士達の前で話していた雄雄しい騎士団長とは別人のような落ち着きのなさ。  その妙な様子に戸惑うサギトの前で直立不動の体勢となると、グレアムは叫んだ。 「俺と、デートしてくれ!!」  日々の号令で訓練されたやたらとよく通る声は、一瞬で場を静まり返らせた。  その一角でノエルが額を押さえていた。呆れ顔でつぶやく。 「声が大きいんですよ……」  騎士たちがサギトたちのほうを見て吹き出す。すぐにざわつきが復活してみな散り散りに去っていくが、つかの間、皆の注目を浴びてしまったサギトは赤くなってあたふたとする。 「で、デートって、なんだそれは……」 「砦じゃデートできない、王都でしかできない!俺は絶対にお前とデートしたい!」 「だから何をするんだ、デートってのは」  グレアムは拳をあごにあてて真剣な顔をして述べる。 「まずメインストリートでショッピングをして、サギトの欲しいものを買ってあげる」 「いや特に欲しいものはないが……」 「それから屋台の焼き菓子を買って食べ歩きしながら、王立公園に行くんだ。王立公園には孔雀鳩が放し飼いにされてるから、それを見てサギトが目をキラキラさせて、余ってる焼き菓子を鳩にあげる」 「ちょっとまて、具体的過ぎないか。俺はそのシナリオに沿わないといけない感じなのか」 「だってサギトは小動物が好きで綺麗なものが好きだろ?孔雀鳩、絶対に好きなはずだ」  サギトは真っ白で扇のような美しい尾を持つかわいらしい鳩の姿を思い浮かべ、図星をさされた顔つきで目をそらす。 「ま、まあ、嫌いじゃないが」 「鳩とたわむれてるサギトのかわいさを存分に堪能した後、公園の池でボートに乗るんだ。もちろん俺が漕ぐからサギトは座ってるだけでいい」 「ボート……」  人がやってるのを見たことはあるが、一体あれは楽しいのだろうか。というか何を堪能だって? 「あの池にはニシキゴイという珍魚がいるんだ。ムジャヒール帝国が巨大化する以前の遠方貿易が盛んな時代に、はるか東方から取り寄せて繁殖に成功したものだそうだ。ニシキゴイを池の中で色んな形に整列させて、俺はロマンチックを演出する。サギトはときめいていればいい。池にニシキゴイの巨大な花が咲くんだ。想像してみろ、きっと綺麗だ」 「いや術を使うな、術を!そんなことのために生物操作をするな!」 「ボートが終わったら、見晴らしの丘の上のレストランでフルコースランチだ。俺もまだ行ったことがないが、王宮お抱えシェフの味に匹敵するらしいし、何と言っても見晴らしがいいんだ」 「お前は人の話を聞かないな!」  グレアムは悲しそうな目をする。 「俺とデートするの、嫌か?」  切なげに見つめられて、サギトはうっとうろたえる。 「べ、別に嫌とは言ってない、行ってもい……」  言い終わらないうちに抱きしめられた。 「ありがとうサギト!俺は今日と明日を決して忘れない、日記に書きとめて俺の記念日にする!」 「だからいちいち抱きつくな!」  サギトは恥ずかしくて身を仰け反らせる。今日と明日ということは二日間「デート」する気なのかこいつは。   「じゃあ早速街に繰り出すぞ!」  グレアムはサギトを抱擁から解放すると、今度は手を繋いできた。だが繋ぎ方が妙だ。サギトの五指に己の五指を絡ませる繋ぎ方。 「ま、待て、着替えたい」 「え?いちいち面倒じゃないか」 「面倒じゃない、こんな格好恥ずかしい!」 「恥ずかしいってなんだ、すごく似合ってるぞ。サギトが着るとどこぞの国の王子様みたいだ」 「絶対嘘だろう!」 「嘘のわけあるか。いいから、ほら」  グレアムはサギトの手を引き、足早に歩き出す。 「うう……」  サギトはしぶしぶ引っ張られて行く。なんだか強引に押し切られてしまった。 ◇ ◇ ◇  王都のメインストリートの一つ、ドルバ通りは人混みであふれていた。ちょうど今日は聖教の祭日だった。いつもより出店が多い。  多くの青空市が立っていた。色鮮やかな青果に、こまごまとした工芸品、生活雑貨に古着に古書。武器や防具なんてのもある。  グレアムのような有名人と一緒に歩いていたら目立つのではないか、と思ってはいたが、やはり目立つ。  明らかに注目されてしまっている。紫眼なので街を歩いて他人からジロジロ見られるのには慣れているものの、いつもの視線と種類が違う。  いつもは怪しい者を胡乱げに見る目で見られるのだが、今は珍獣か幽霊でも見るような驚きの目でやたらと二度見される。  見られている立場ながら、無理もないな、困惑の極みだろうな、とサギトは思う。  あのグレアムがいて、その隣になぜか紫眼がいて、その紫眼が護国騎士団の服を着ている。  そしてグレアムは紫眼の男の手をしっかり繋いで、時に肩やら腰やらに手を回してやたらとべたついている。  こんなわけのわからないものを見せられる民もお気の毒だ。  そんな視線にまるで気づかない鈍感な男は、青空市を興味深げに眺めながら歩いている。祭日だからいつもより賑わっているとは言え、普段とそれほどは変わらない街の姿なのだが。  ごく普通の街の光景に、グレアムは感嘆の声を上げる。 「すっごいな、ここだけでなんでも揃うんじゃないか?王都は果物の種類が多くていいな。全部砦にもって行きたいくらいだけどすぐ腐るんだろうな。ちょっと買ってきていいか?」 「あ、ああ」    しばらくして戻って来たグレアムはぶどうを一房、手にしていた。  そしてぶどうを一粒、サギトの目の前に掲げた。 「はい、あーん」 「なんだそれは」  サギトが眉間にしわを寄せる。 「食べるんだよ、俺の手から!デートは『あーん』をするものなんだ!」 「嘘だっ、絶対にいやだ……」  と拒絶の言葉を放ったその口に中にひょいと入れられてしまった。 「んんっ」  しまった、と思うがまさか吐き出すわけにもいかない。サギトは満面の笑みのグレアムを睨みながら、入れられたぶどうを仕方なく咀嚼する。  グレアムが瞳をうるませながら、両手でサギトの頬を包み込んだ。 「もぐもぐしてる……。サギトがぶどうをもぐもぐしている……!なんってかわいいほっぺただ!俺はいっそ、ぶどうになりたい!」  狂ってるんじゃないかと心配になるような台詞を吐きながら、グレアムは、まだ咀嚼中のサギトの口に唇を押し付けた。 「んっ!?んーっ!!」  サギトは慌ててぶどうを飲み下しながら、両腕を突き出してグレアムの体を押しのけた。 「ばっ、馬鹿かお前は人前でっ!」  赤くなって怒った顔をしているサギトに、グレアムは頭をかいて謝った。 「す、すまん、あまりにもかわいすぎて」  サギトは周囲のほとんど青ざめているような人々をちらちらと見回し、グレアムの腕を取った。 「と、とりあえず向こうに行くぞっ」

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