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最後の仕事(2)
人混みの中を早足で縫い、先ほどのエリアからだいぶ離れたところでふうと息をついた。もう先程の珍事の目撃者はいないだろう。
「まったくお前という奴は!」
文句を言おうとしたら、グレアムは既に別のものに興味がうつっていた。
雑多な土産物を所狭しと並べている敷物のそばにしゃがみこみ、
「いろんなものがいっぱいあるなぁ!」
と眼を輝かせている。サギトはため息をついた。
「少しは反省をしろ……」
額を抑えながら、グレアムの隣に並ぶ。
「見ろこの鹿の置物!細かいビーズびっしりだ、どうやって埋め込んでるんだ?器用なもんだな」
「え?あ、うん、そうだな」
それはこの街で生活していれば飽きるほどよく見かける工芸品だった。
そうか、こんな些細なものすらグレアムにとっては喜びとなるのか、とサギトは気づかされた。
本当にずっとこの男は、国の防衛にばかりその身を捧げているのだ。
グレアムがはっとしたような顔をする。
「わ、悪い、さっきから俺ばっかり楽しんでないか?えっと、向こうのほうの路面店に行こう。高級店が並んでるところ。サギトの欲しいものを買う!」
「だから欲しいものなどない。お前が自分の買い物をしたらいいじゃないか。そっちの象の置物もなかなかいい造りだぞ」
「おお、ほんとだ!こいつは牙がいいな」
そう言いながら、小さな牙を指でつんつんと触る。
幼子のようにはしゃぐグレアムの姿に、サギトはつい、目を細めた。
これが「デート」か、悪くないな。などと思った時。
どこかから、ひそひそと囁きあう女性達の声が耳に入ってきた。
「グレアム様の隣にいるあの紫眼はなんなのかしら」
「どうして護国騎士団の制服を着ているの」
「まさか紫眼が騎士に?」
「いやだ冗談じゃないわ、紫眼が騎士なんて。この間、グレアム様を殺そうとした狂人も紫眼だって言うじゃない。紫眼なんてみんな頭がおかしいに決まってるわよ」
サギトの口元に皮肉めいた笑みが浮かんだ。その狂人がここにいるぞ、と。
予想していた反応であり特に驚きはなかった。別に傷つきもしない。
そんなサギトの隣、グレアムがかたり、と手にしていた象の置物を敷物に戻し、立ち上がった。
噂話をしていた女性二人のほうにくるりと振り向くと、つかつかと近づいていく。
「お、おい」
焦るサギトを尻目に、グレアムはびっくりして固まっている女性達の前に立ちはだかる。
「マダム、今、とても彼に失礼なことをおっしゃいましたよね。彼に謝罪してくれませんか」
「やめろグレアム、俺は別に気にしてない」
サギトはグレアムと女性達の間に入ってグレアムをいさめる。
「俺は大いに気にする!」
グレアムのよく通る声が響き、周囲のざわめきが途絶えた。
大勢の人々がこの突然の事態を固唾を呑んで見守り始めた。この女性達だけではない、ここらにいる皆が「グレアムと親しげな紫眼の騎士」の存在に、心中、疑義を抱いていたのだろう。
答えを待ちわびるかのごとく静かになった、青空市の一角。グレアムは女性達を見据えて話す。
「あなた方は今までずっと、紫眼である彼の力に守られてきた。俺の力は全て彼から授かったものです」
サギトは苦笑しながら、女性達ににじりよるグレアムの体を両手で抑えた。
「いきなりそんなこと言ってどうする。人を混乱させるな」
グレアムは凄味ある真剣な表情を崩さず、女性達に語り続ける。周囲はますます静まり返り、グレアムの声だけが響いていた。
「さらに彼はこれから、自らこの国を守ると約束してくれた。この国で差別され辛酸を舐めてきた彼が、それでも命を張ってあなた方を守ろうとしてくれているんです。どうか彼への非礼を詫びて下さい。そして彼に感謝して下さい」
女性達は戸惑い、怯えたような表情で物も言えずにいる。サギトはやれやれとため息をつく。その腕をとって引っ張った。
「ほら怖がってるじゃないか、英雄が民に凄むな」
「でも!」
サギトは聞き分けの無い子どもを制するように、ちょっと怖い顔をしてみせる。
「いいから、来い」
グレアムはサギトに睨まれ、うろたえた顔をする。悲しげにうつむくと、いからせていた肩を落とす。サギトはふっと笑うと、その腕を引いて困惑の人混みを抜けていった。グレアムはうなだれた様子でサギトに手を引かれて行く。
建物の隙間の路地に入ると、大通りの喧騒は遠のいた。
気落ちした様子のグレアムが口を開く。
「すまないサギト、俺が誘ったせいで不愉快な思いをさせた」
「ちっとも不愉快じゃないが?俺はなかなか楽しんでいるぞ、お前とのデートを」
「ほ、ほんとか?」
「ああ。それになグレアム、俺は誰かに感謝されたいなんて思わない。俺は本当に、今こうやって生きているだけでありがたいと思っている。俺が騎士団に入ったのは、罪をつぐなうためだ。見返りなんて求めていいわけがない」
「それはお前の罪じゃない!俺の罪だ!」
辛そうに言われる予想通りの言葉に、微笑と共に首を横に振った、その時。
大通りに見覚えのある顔を見つけて、サギトの顔色が変わった。
癖のあるブロンドの髪の優男。狡猾そうな眼光と、作り物のような笑顔。
サギトにリーサ・ルイス殺しを依頼した貴族、サーネス・ドルトリーだ。
隣にうら若いレディを伴っている。見るからに高級な薄紫のドレスを身にまとう、茶色の髪の、あどけなさと垢抜けなさを残す少女。
サーネスが気色悪いほどの優しい声音でレディに問いかける。
「いかがですか、ランバルトの王都の様子は」
「とても賑わっていて素敵なところですのね。道行く女性たちもとても綺麗でお洒落で、ルアンナのような田舎とは大違い。わたくし気後れをしてしまいますわ」
ルアンナ、それは聖教圏の東端にある小国の名前だ。山がちだが鉱山収入で潤う国。
二人の後ろには護衛らしき兵が数名付き従っている。見慣れぬ異国の兵服を着た護衛だ。
(なるほど、あれが婚約者の第三王女か)
お忍びで街を案内中といったところか。
サギトの目が冷たくすがめられる。
一つの心残りを見つけた。
「影の目」最後の仕事をする気になった。
(最後の依頼人は俺自身だ)
これは決してつぐないなどではない。意味なんて何もない。
(ただ俺自身の、ゴミのような欲望のためだ)
「グレアム、一つ頼みがある」
「な、なんだ?」
急に黙りこくって大通りを睨みつけているサギトに、グレアムは当惑する様子だった。
「最後の悪事を働きたいんだ。見逃してくれないか」
グレアムは目を瞬 かせた。そして一秒後に頷いた。
「もちろん、見逃す。サギトがそう言うからには、悪事を働くべき道理があるんだろう」
少しは俺を疑え、とサギトは苦笑する。道理なんてあるものか。だが、まあ。
「助かるよ」
拳を握りしめ、開いた。開いた手の平にはシジミチョウ程の小さな闇色の蝶がいた。
蝶は静かに、サギトの手の平からサーネスの方に飛んでいく。
(あまり楽には死なせない)
蝶はサーネスの耳元に止まった。止まった瞬間、闇色の毛虫に変化した。
闇色の毛虫は、サーネスの耳の穴の中にするりと入り込んだ。
サギトは暗い目で、サーネスの横顔をしばらく見つめた。
ひとつ息をつく。
こみ上げてくる淀んだ痛みに、内側から焼かれるような自己嫌悪に、耐える。
「もう、済んだ」
グレアムは悪童のようにニヤリと笑った。
「そっか」
「では行こう」
「じゃあ焼き菓子食べ歩きだ!あ、でもそうだ、その前にお前の薬屋に立ち寄りたいな」
「なんだ、もう空っぽだぞ」
「分かってるけど、でもなんとなく、見ておきたいんだ」
「ふうん?では行ってみるか」
二人は再び青空市の中を通り、サギトの薬屋があった方へと歩き出した。
◇ ◇ ◇
サーネスはさりげなく婚約者の腰に手を沿えて、路面店のほうを示した。
「あそこに宝飾店の看板が見えますでしょう?実は貴女のためにネックレスをあつらえておきました。貴女の瞳によく似合うサファイアの……」
さぞ感激しているだろう、と思いながら婚約者の顔を見たサーネスの表情が固まる。
サーネスは、ドレスを着た茶色い髪の第三王女ではなく、金髪のウェイトレスの腰に手を回していた。
左胸にぽっかり穴を開けたウェイトレス。
ひっ、とサーネスは息を飲む。
ウェイトレスは虚ろな瞳でサーネスを見上げながら、ゆっくりと口を開いた。
「貴方を……愛して……おりましたのに……」
その口の端からこぽりと血があふれ出す。
サーネスはうわっと身を離した。
「リ、リーサ!なぜだ、お前は死んだはずだ!」
「なぜ逃げるのです、ドルトリー卿……。もう一度抱きしめては下さらないの……」
寄りすがってきた異形のウェイトレスを、サーネスは突き飛ばした。
「寄るなリーサ!死にぞこないめ!もう一度地獄に送り返してやる!」
サーネスは顔を醜悪に歪め、突き飛ばしたウェイトレスの首に手をかけようと腕を伸ばした。
だが護衛の兵たちに取り押さえられた。
「王女に何を!」
「狂ったかドルトリー卿!」
「離せ、俺はあの女を殺すんだ!」
叫んでもがきながら護衛兵たちの顔を見て、サーネスは青ざめる。
どの兵も両目が靄のような影で覆われていた。
「かっ、かっ、かげの……!」
サーネスは腰を抜かして地面にへたりこんだ。そのまま地面に押し付けられて兵達に拘束される。街の野次馬たちが、サーネスの周囲に円を作り、覗き込んできた。
野次馬のうち、男の目は全て影で覆われていた。女の顔は全て、リーサだった。
「うわああああああっ!寄るなっ!近づくな!向こうへ行け!あああああああ」
狂乱するサーネスの傍ら、小国の王女はかたかたと震えて涙を流していた。
◇ ◇ ◇
サーネスの荒廃した精神は、二度と元に戻ることはなかった。
当然のごとく婚約は解消となった。
手に負えない凶暴な獣と化した彼は、さる精神病院に収容されることになった。病院とは名ばかりの監獄と言う人もいる、悪名高き収容施設に。
サーネスはこの三ヶ月後に原因不明の病で死ぬまで、ずっと謎の幻覚に恐慌をきたし、暴れ叫んでばかりいたという。
◇ ◇ ◇
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