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最後の仕事(4)

 魔の森から漂ってくる腐臭に似た瘴気が、あたりの空気を汚している。  土塀に囲われた小さな集落の脇に、ワイバーンは着陸した。  三人はワイバーンから降り、土塀の門から集落の中に足を踏み入れた。  そこは寒村と言うよりいっそ貧民窟と呼んだ方がいいような所だった。   藁葺き屋根のあばら家がひしめくように立ち並んでいた。先頭のフォスターはあばら家のすき間を縫って歩く。    集会所らしき、この集落の中ではそれなりにしっかりした作りの建物の扉をフォスターはノックした。 「待たせた、俺だ」  言いながら自分で扉を開ける。  中にはみすぼらしい身なりの、小さな体の尖り耳たちが集っていた。彼らはサギトとグレアムをギョッとした目で見る。  どうやらここは忌人の中でも、「尖り耳」だけが暮らす集落のようだ。古代のこびと族の末裔たち。  その割にあばら家は普通のサイズだから、元々は別種族の集落で、打ち捨てられた廃村を再利用しているのかもしれない。  どの住民も口に布を巻いていた。奇病の感染を防ぐためだろう。  布の下から灰色のあご髭がはみ出ている老人が駆け寄ってきた。  と思ったらフォスターの襟首をつかんで凄む。その目が怒りと怯えに染まっていた。 「フォスターさん、これは一体、どういうことだ!私は薬をくれと言ったんだ!なんで騎士がここに?まさかこの村を焼き払いに来たのか?あんた、私たちを売ったのか!国からいくらもらった!」  裏切り者、最低だ、などの罵倒が他の住人の口からも飛ばされる。 「ち、違うよ村長。頼む、落ち着いてくれ」  グレアムが慌てた様子で、村長と呼ばれた男を止める。 「誤解です、焼き払うなんてとんでもない!このことは必ず内密にします。患者をみせて下さい、助けたいんです」  村長はグレアムの言葉に怪訝そうな顔をする。フォスターからは手を離したが、グレアムに食ってかかる。 「助けるって、騎士に何ができるってんだ!」 「……サギトさんを連れてきた」  フォスターがそうつぶやくと、村長の顔つきが変わる。視線をもう一人の小柄な黒髪の騎士、つまりサギトのほうに向ける。 「紫眼……!もしや、あなたがサギトさんか!」 「私を知っているんですか?」  サギトは驚き、村長は感激した様子でうなずいた。 「ええ、そりゃあもう!高価でとても手を出せない希少薬をフォスターさんはいつも格安でうちに売ってくれる。最初は偽薬じゃないかと疑ったが、すごい効き目だった。この村の住民は何度も、あなたの薬に命を助けられた。一体どこから仕入れてるのか聞いたら、紫眼の薬屋だっていうじゃないか。忌人でも学を修めて高度な職についてる人がいるんだと驚いたもんだ。そうか、あなたがサギトさんか!ああ、ありがたい。まさかサギトさんが来てくれるなんて!フォスターさん、疑ってすまない」  サギトの頬がさっと赤らむ。胸の内側に、温もりがじんわりと広がった。   (俺の薬は、ちゃんと人を救っていた)  サギトは思ってもみなかった感謝を受けて、動揺しつつ尋ねる。 「か、患者はどこですか。症状をみせてほしい」 「別の小屋に隔離してあります、今、ご案内します!頼みます、どうか私達を助けて下さい!あ、その前に必ず口を布で塞いでください。誰か二人に布を」  一人の青年がサギトとグレアムに布を手渡した。二人は礼を言い、それを三角に折って口に巻く。  サギトはフォスターと目が合った。フォスターは口を引き結び、不安そうに見つめていた。サギトは力強くうなずいてみせた。フォスターはうなずき返した。祈るような目でサギトを見つめて。  二人は村長の後に続いて集会所を後にした。連れて行かれたのは集落の外れにある掘っ立て小屋だった。 「元々は倉庫です。なるべく他の住民から遠い場所に隔離するためにここを使っています」  村長が説明しながら、その小屋の戸を開けた。開けた途端、苦しげなうめき声が聞こえてくる。  床に敷かれたござの上に患者達が寝かされていた。フォスターの言っていた通り、五十人程度いた。既にひしめき合っている。これ以上増えたら小屋からはみ出してしまうだろう。  どの患者も、全身の皮膚に赤い水ぶくれが浮き出ていた。足も腕も、胸も腹も、顔面も。苦痛に顔をゆがめ、もがき苦しんでいる。 「ひどい……」  グレアムが眉をひそめてつぶやいた。  村長が重々しくうなずいた。 「皆、高熱を出しとります。四日前、狩りに出た若い者が魔獣に噛まれて戻ってきて、これを発症した。それが最初の発症です。熱を出して痛みを訴えたかと思えば、全身に赤い水疱ができて……。三日三晩苦しんで死んだ」  サギトは一人の患者のそばにしゃがんだ。その肌に浮き出ている赤い水疱をじっと見る。 「薔薇……」  細かな赤い水疱が集まって、薔薇のような形を成していた。水疱の集合体の薔薇。  どの患者も全身の皮膚に、たくさんの薔薇を咲かせている。  だがよく見ると、薔薇の状態は患者によって違う。水疱が平らな者、分厚く膨らんでいる者。  そして、水疱が破れて(ただ)れている者。 「うっ……、ぐっ……ああああーーーっ!」  ひときわ大きな呻き声があがった。近寄って見れば、その体中の水ぶくれがどれも爛れて、ぐちゅぐちゅと赤く、てかっている。   「しっかりして下さい!」  グレアムがその手を取って握り、魔術をかけた。淡い緑色の光が患者の体全身を包みこんだ。  患者の表情が和らいでいく。  精神に作用して苦痛を取り除く術。治癒魔術ではなく、与えるのはまやかしの安らぎ、麻薬効果だ。  苦悶の表情を浮かべていた男は、口元にうっすらと笑みを浮かべ、寝息を立てて眠っていった。 「す、すまんサギト、勝手に。つい術をかけてしまった」 「いや、いい。その患者にできることは緩和魔術しかない。もうその患者は……助からない」  村長が、はっとしてサギトを見つめ、苦しげにうつむいた。 「やはりそうか」  サギトは尋ねる。 「水泡が破れて爛れた患者は死んでいく、そうですね」  村長はうなずいた。 「ああ、そうだ。最初は小さな水疱が、だんだん膨れて大きくなって、破れる。破れたら今のように叫び声をあげながら、死んでいく。あんまりにも痛ましくて、とても見ていられない」 「何か分かったのかサギト!」  グレアムの言葉にうなずいて、サギトは両腕を前に伸ばし、全体に術をかけた。どの患者の体も緑色に発光し、表情が穏やかになり、呻き声が寝息に変わっていく。 「……とりあえず、全員に緩和魔術を施しました。どこか部屋を貸していただけますか。それから鍋をあるだけ。特効薬の調合に取り掛かります」  ずっと沈鬱だった村長の目に、希望の光が宿る。 「ありがとうございます、どうか頼みます!ええ部屋はお貸ししますとも!」  三人は患者達の隔離小屋を出た。村長は隔離小屋の近くにある別の倉庫をまるごと貸してくれた。  深く頭を下げて去っていく村長を見送ってから、グレアムがサギトに尋ねる。 「なんだ、あの病は」 「おそらく花爛病(からんびょう)だ。別名、『悪魔の薔薇』」 「聞いたことのない病気だが……」 「そうだろうな、過去三百年、症例がなかった病だ。人間社会では一度撲滅された病だが、魔獣の世界では残っていたのだな。三百年ぶりに悪魔の薔薇が人類に持ち込まれてしまった。記録によれば、四百年前に大流行し、世界の四分の一を死に至らしめた病だ」  グレアムが目を見開く。 「四分の一!」  サギトはかつて本で読んだ知識を脳内で引っ張り出す。 「飛沫感染するこの病に侵されると、高熱が出て薔薇のような形の水疱が全身に現れる。時間と共に水疱が膨れて破れ、(ただ)れる。表皮の水疱が爛れ出したら、体内で臓器が壊死し始めたサインだ。そうなるともう手遅れだ」 「だから、さっきの人はもう手遅れだって言ったのか」 「ああ。治療法はただひとつ、水泡が破れる前の特効薬の投与だ」 「あるのか、特効薬が!」 「三百年症例がなかった病だから、当然どこにも薬は置いてないがな。新たに作るしかない。なんとか間に合わせねば。これは時間との戦いだ」 「調合、できるのか」 「調合法の記録は残されている。信頼できる医術書で読んだ。瑠璃カビ20、ワーヴガエルの背脂2、ウィルシの実の成熟前の果汁2、グレンデルの髄液3、カズラの根3。これが一人分の原料だ」 「よ、よく覚えてるな」 「まぁ、一度読んだからな」 「すげえ……。じゃあまず原料を揃えないとな。王都に戻れば店で売ってるかな」 「使い魔に集めさせたほうが早い。ほとんどが使い魔に採集可能なものだ」  サギトは闇を呼び出した。サギトの前に生じた大きな闇の渦から、羽の生えた猿たちが飛び出して来る。その数、三十匹。  背中にとんびのような茶色の羽を生やした、猿の使い魔。  猿たちはサギトの命を受けて一気に小屋を出て飛び立っていった。  グレアムが口を縦長にして驚いている。 「あ、あの猿が集めてきてくれるのか?」 「大丈夫、普段から採集用に使役している。器用で知能も高く腕力もある、非常に有用な使い魔たちだ」 「そんな高機能使い魔を一瞬で大量召還か。本当、すげえなあお前は。ほとんど採集可能、ってことは猿には持ってこれないものもあるんだよな」 「グレンデルの髄液は無理だろうし、店にもまず売ってない」  言って、グレアムをちらと見る。 「だから、役立ってもらうぞ、世界一の魔道剣士殿」 「お?おう。グレンデルってえっと……」 ◇ ◇ ◇

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