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最後の仕事(5)

 ワイバーンの大きな翼を再びはためかせて、魔の森の奥深くにまで二人は入り込んでいた。  サギトの指定した大きな沼地のほとりに立つ。  グレアムは腕を組んだ。 「そっか、魔物だよなグレンデルって。沼の底に住む巨人だったか。人が襲われたって報告を見たことがないから忘れてたな」 「基本、住まいの沼から外に出てこないからな。ちょっと可哀相だが狩らせてもらおう。とても強いぞ。お前の得意分野だろう、化け物と戦うのは」 「よし、任せておけ」 「でも消し炭にするようなのはなしだ。欲しいのは髄液だ。脳漿とも言う。脳みそと背骨を綺麗に残してくれ」 「そうか面倒だな狩りってのは。俺、殺すために殺したことしかないからな。綺麗にってどの程度だ」 「燃やさない、潰さない、吹っ飛ばさない、溶かさない」 「う……。わかった!」 「じゃあ呼び出すぞ。あいつは騒音が嫌いなんだ」  サギトが掲げた手の先に闇が生じ、そこから一羽のオウムが出てきてサギトの手に止まった。頭が赤でとさかが黄色、腹が青で背が緑。一見すると、普通のオウムだが。 「耳を塞いでおけ」  警告をしてからオウムを空にほうり、自身も耳を塞ぐサギト。  沼の上空を旋回するオウムが、くわっと口を開ける。 「オ・キ・ロオオオオオオオオオオオオオ!!」  凶器のごとき大音量が放たれた。  グレアムがあわてて指を耳につっこむ。 「こ、こりゃすげえ……」 「オキロ、バケモノオオオオオオオオオオオオ!アタマでッカち・ノウみそコイシ!ひがナいちニチネテルだけ!おマエのそんざいいぎガ、ワカラネエ!オキロオキロオキロ、でかイのオキロオオオオオオオオオ」  耳を塞いだままグレアムが尋ねる。 「……あれはサギトが言わせてるのか?」  耳を塞いだままサギトが首をかしげる。 「悪い、お前が何を言ってるのか全然聞こえない」  オウムの恐ろしいまでの不快音が止んだ後、しばらくして。  沼の水面に波紋が広がった。波紋はやがて、泡立つような波へと変わる。  グレアムが口角を上げた。 「来るな」 「うれしそうに言うな」  サギトは指を弾く。オウムが闇に消えた。  沼の底から巨大な影が浮上してくる。轟音のような雄たけびと共に、水柱が立ち上がった。  水柱の中に、巨人グレンデルの上半身が出現した。  巨人は咆哮しながら、頭上をきょろきょろと見回している。騒音の主を探しているのだろう。  髪のない大きな頭は少し前にとがっていて、魚に似ている。離れた目玉もまん丸で魚そのものだ。  青白い皮膚はぬるぬるとして、なまずの肌を思わせる。その裸体は筋肉が盛り上がり、怪力の持ち主であることをうかがわせる。  騒音の主を探していたグレンデルの視点が、沼のほとりにたたずむ二人の人間の上で固まった。 「グオエエエエエエ!!」  意味不明な叫び声をあげながら、丸太のように太い右腕を振り上げ、振り下ろした。その腕には飾り袖のように(ひれ)がついている。  サギトは自らの周囲に透明な防御球を展開しながら飛びすさり、グレアムは巨大な拳を剣で受け止めた。 「いい反射神経だな、魔道剣士」 「サギトもなっ」  グレアムは剣一本で大重量の拳を支える。グレンデルがうなり声をあげながら、拳を剣にめり込ませてくる。  グレアムの額から汗が噴出す。体ごと押されそうになるのを、両足で踏ん張り、こらえていた。 「おまけに馬鹿力ときた」  言いながらサギトはグレンデルの両眼に手をかざし、念を送る。  青い血を撒き散らしながら、巨人の両眼が潰れた。  同時に、拳が燃え上がる。グレアムの剣が灼熱の炎をもたらす、火の魔剣と化していた。  実際のところただの平凡な剣なのだが、グレアムが持てばそれは魔剣となる。  両眼を潰され、拳を焼かれたグレンデルは、悲鳴のような叫び声をあげながらその身をのけぞらせた。沼は大しけのように波立ち、森の魔獣たちが恐怖し逃げていく鳴き声が四方から聞こえてきた。 「吹っ飛ばすのも灰にするのも駄目なんだよな。凍らせてもいいか?」 「かまわない」  サギトの許可を得たグレアムはとんと地面を蹴り、跳躍した。  空中で剣を後ろに引く。突きの体勢だ。先ほど炎と化していた剣は、今は巨大な氷の大剣に変化していた。  巨体の分厚い胸の左側に、氷の大剣が突き刺された。    剣は背中を突き破った。巨大つららに貫かれたような格好のグレンデルの口から、青い血がどぼりとこぼれた。だが心臓を貫かれてもなお、巨人の動きは止まらない。  恐ろしい咆哮を上げた。 「ギ、グ、オアアアアアアアア!!」  最後の力で抵抗すべく、グレンデルは胸のあたりにいる剣士の体をつかもうと手を曲げた。    だがその手が途中でぴたりと止まる。  グレアムを握りつぶすギリギリのところで。  見れば腕は氷に覆われ、動かなくなっていた。  その巨体が凍りついてしまっていた。深々と沈めた剣を中心に、凍結が放射状に広がったのだ。巨人の体は、あっという間に指先まで凍りついてしまった。  グレアムは氷の彫像と化したグレンデルから、剣を引き抜いた。後方に飛んで再び地面に立つ。  ただの鋼の塊に戻した剣を腰に差し、一息ついた。  額の汗をぬぐい、英雄はにこっと爽やかに微笑んだ。 「やっつけたぞ!」 「……沈んでいくようだが」 「ん?」  目の前で巨大な氷の彫像が、ぶくぶくと泡を立てながら、底なし沼に沈んでいく。 「うわああああっ!獲物がああああっ!」 「まったくもう」  サギトが両腕を突き出して、沈みゆく巨体に向かって、重力に逆らう波動を送った。  サギトの念動に囚われた巨体が水面から浮上する。宙に浮かぶ。サギトは慎重に腕を動かし、巨体を地面に横たえた。腹を下に向けて。 「さあ髄液の採集だ」  サギトはうつ伏せの巨人のそばに駆け寄って手をかざし温熱を加え、死体の凍結を溶かしていく。 「どうやって採集するんだ?」 「髄液はよく使う原料だから専用の使い魔がいる。大きめのにしよう」  言って、サギトは今度はミツバチに似た使い魔を召喚した。大人の男と同じくらいの身長がある、巨大ミツバチだ。そのシマシマの腹部は半透明だった。  巨大ミツバチは、グレンデルの首の裏に、牙のような口をぐさりと刺した。  チューという吸い上げる音とともに、半透明の腹部に液体がどんどん溜まっていった。  グレアムが感心しきりという顔で腰に手を当てる。 「いろんな使い魔をこしらえてるもんだなぁ。こうやって使い魔を駆使して、時にはこんなバケモノまで狩って……。大変なんだな、薬を作ることって」 「まだ作り始めてもいないぞ。勝負はこれからだ。早く戻って調合しなければ。時間との戦いだからな」 「そうだな……。調合も俺は手伝えるか?助手と思って使ってくれよ」  真剣な顔でそう言うグレアムにサギトはふっと笑う。 「じゃあ、遠慮なく、こき使わせてもらおうか」  やがてグレンデルの髄液の吸い上げが終わり、二人は患者の待つ集落へと戻って行った。 ◇ ◇ ◇

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