31 / 35

最後の仕事(6)

 尖り耳の集落に戻って来た。  調合部屋に使っていいと言われた小屋に入ると、住民が貸してくれた鍋が大量に積まれていた。  さらに猿の使い魔たちが集めた原料も。どの原料も丁寧に壺に入れられている。 「壺、綺麗に仕分けされて原料の名前まで書いてある!このきっちり感がサギトにそっくりというかなんというか……」 「何が言いたいんだ」 「有能な猿たち」 「それはどうも。じゃあ早速、取り掛かろう」 「おう!」  この小屋に来る前に、患者たちの状態も確認して来た。水疱がかなり膨らんでしまっている者が数名いた。その者たちの猶予はあと半日か、悪ければ十時間ほどと思われた。  水疱が破れる前に、薔薇が(ただ)れる前に、特効薬を完成させねば。 「……全員、救いたい」  ささやき声のサギトの独り言を、グレアムは聞き漏らさなかった。気合を入れるように笑みを浮かべた。 「そうだな」 ◇ ◇ ◇  倉庫だったはずの場所は今、熱気と冷気と、異臭と異音と、光と闇の入り乱れる、異様な空間と化していた。  時間は夜の八時を回っていた。調合を始めて既に九時間が経過していた。 「蒸留水をあと30、頼む!」  汗だくのサギトが、鍋の中の青緑色の液体をかき混ぜながら焦燥に駆られた声を出す。  かまどなどない場所だ、全て魔法で温度調節している。 「これだ!」  グレアムから追加の水を受け取り、鍋に差し入れながら、サギトは別の鍋に視線を走らせた。 「瑠璃カビの培養速度はもう少し早まらないか?」 「ど、どうすれば……」 「温度を一度上げてくれ。あと成長促進魔法を通常の四倍の強さで二回かけてくれ。それから濾過した培養液にまた背脂を加えておいてくれ」 「了解!」  患者はおよそ五十人。それに潜伏期間中の隠れ感染者を加えれば、その三倍以上分の特効薬が必要だろう。できれば住人全員分を作りたい。  グレアムに任せているのは、特効薬の土台となる瑠璃カビの抽出液だ。瑠璃カビの抽出液は他にも多くの特効薬の土台となっている。いわば基本の下ごしらえだ。下ごしらえ分はいくらあっても足りないくらいだ。  ともあれ先ずは、一人分を完成させなければ。  サギトはなかなかうまくいかない、目の前の鍋の中身を見て、かつてない焦りを感じていた。 (だめだ、また失敗だ……)  一人分どころか、最初の一滴がまだ出来ない。  その一滴さえできれば、あとはそれを量産するだけなのに。  花爛病の特効薬の色は、紫色。  それは多くの書物に共通して書かれていることで、絵も残されている。  だからそれは、間違いない情報だろう。  特効薬は紫色でなければならない。  なのになぜ、目の前の液体は青緑色なのだ。  既に何度も作り直している。でも何度やっても失敗する。    医術書の記載の調合法は完璧に暗記していた。その通りに調合したはずなのに、モノが出来上がらない。  サギトは当初、自分のやり方がまずいのだと思っていた。だから何度もやり直した。加える熱、与える冷気、かざす光、攪拌(かくはん)の強さ、分離のバランス、結合のタイミング。少しづつ微修正を繰り返した。でもうまくいかない。  そして事ここに至りようやく、恐るべき可能性に思い当たった。  調合法の記述が、間違っているのだ。  三百年も前の記録だ。転写魔法が開発される以前の書物は、手書きで写すことによって次代に伝えられた。その書き写しの過程で誤記が生じたのだろう。 (なんてことだ)  刻一刻と期限は迫っていた。  グレンデルを狩る前にグレアムに緩和魔法をかけられた、「手遅れ」の患者は既に死んでしまった。  脳裏に、亡き人の恐ろしいうめき声と、おぞましく爛れた薔薇が思い浮かぶ。  他の患者の水疱も、今、どんどん大きく膨らみつつある。 (……救えないのか) (全員、死なせるのか)  「クソっ!」  サギトは吐き捨てるように悪態をつくと、鍋をかき混ぜる棒を床に叩きつけた。  そのまま床にうずくまり、頭をかかえる。 「サギト!」  グレアムが飛んできてサギトの肩に腕を回した。そして大きな手でサギトの頭を撫でる。 「疲れたか?そうだよな、ずっと根を詰めてるからな、少し休め」  最初の一滴が出来ないのだ、ということを知っているグレアムは、しかしそのことには触れない。ただ、いたわりの言葉をかけてくれる。  グレアムに頭を撫でられ、張り詰めていた糸が切れた。  サギトの目から涙がこぼれた。泣きながら声を震わせる。 「……っかく……」 「ん?」 「せっかく、頼ってもらえたのに……!」 「……うん」  グレアムはサギトを引き寄せ、抱き締めた。  サギトはグレアムの胸にすがりつく。 「俺は救えないんだ。目の前に俺を頼る人がいるのに!俺なんかに助けを求めてくれる人がいるのに!俺は何もできない!役立たずなんだ!」 「サギトが役立たずのわけがないだろ」 「だって薬が出来ないんだ!俺はやっぱり、何も……誰も……救えない……!」  サギトの目から沢山の涙が零れ落ちる。  頭を撫でる動作に、背中をさする動作が加わった。  その優しさに、サギトの乱れた息がだんだんと落ち着いてくる。  グレアムはサギトの無様な錯乱を、どっしりと受け止めてくれる。 「まあ、落ち着け。患者はまだ生きている。材料も揃ってる。でも何かが違うんだよな。何が違うのか、考えよう。ギリギリまで考え続けるんだ。民が生きている限り、俺たちは絶対に諦めちゃいけない。最後まで戦うのが騎士だ」 「諦めない……」 「そうだ。サギトはずっと薬を作ってきたじゃないか。たくさんの本を読んできたじゃないか。その知識と経験は伊達じゃない。サギトはきっと世界一の調合師だ。サギトに作れなかったら、他の誰にも作れないぞ」  世界一。  そんな言葉に、サギトはちょっと眉をひそめる。顔を上げてグレアムを見た。 「その言い方はちょっと……。俺は別に、ただの街の薬屋であって……。お前はいつも、大袈裟だ」  グレアムがにっと笑った。 「よし、元気出てきたな」 「うっ」  確かにもう涙は引っ込んでいた。泣いて、弱音を吐いて、無様を晒して。でもそうしたらちょっと、スッキリした。  頭が冷静さを取り戻してきた。  グレアムがポンポンとサギトの頭を優しく叩いた。 「ものすごく困ってる事に限って、答えは案外、簡単な事だったりするもんだぜ」  サギトはうつむいて思考を巡らした。泣く前よりだいぶ頭が冴えてきた。  もしかしたらグレアムの言う通りかもしれない、と思った。何か見落としている、ごく簡単な事。  落ち着いてもう一度、問題を整理してみた。  本来の特効薬の色は、紫色。  でも出来上がったのは青緑色。  この青緑は、なんの色だ。  材料は、瑠璃カビ20、ワーヴガエルの背脂2、ウィルシの実の成熟前の果汁2、グレンデルの髄液3、カズラの根3。  背脂も髄液も、カズラの根の煮出し汁も、透明だ。  だからこの色は、瑠璃カビの青色と、ウィルシの実の成熟前の果汁の緑色。  その二つを合わせた色だ。  これを紫色にするためには? 「赤……」  サギトが、あっ、と言う顔をした。目を輝かせて、グレアムの腕を掴む。 「分かったぞ、何が誤記だったのか!ウィルシの実の成熟前の果汁じゃない、成熟後の果汁だ!ウィルシの実は、成熟すると果肉が真っ赤に色づくんだ!」  グレアムが嬉しそうに目を細めた。 「そうか、分かったか」 「ああ、なんて単純な事だ、こんな下らない間違いに気づかなかったなんて自分が心底恥ずかしい!いや反省は後だ、急がなければ。使い魔達が持ってきたウィルシの青い実、成長促進魔法をかければ赤く色づくはずだ!」  サギトはりんごほどの大きさの、青い実を手に取り、術をかけた。手の中で見る間に赤くなる。固かった果肉は熟れて、ブヨブヨになった。 「よし……」  サギトは新たな鍋で、また一から、調合工程をやり直した。その過程で今度は、赤い果汁を加える。  何度も何度も作り直しをしたので、すっかり手慣れた動きになっていた。  サギトは何十回目かの最終工程を終えた鍋の前で、大きくため息をついた。  そして小さくつぶやく。 「できた……」  鍋は今度こそ、紫色の液体を(たた)えていた。 ◇ ◇ ◇

ともだちにシェアしよう!