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最後の仕事(7)

 二人は患者達の隔離小屋へと駆け込んだ。二人ともその手に、紫色の液体がたっぷり入った鍋を持っている。  その場は緩和魔法の効き目も薄れて、恐ろしい呻き声で充満していた。  二人は互いに、最も水疱の状態が悪化している患者の枕元にしゃがんだ。  サギトは今にも破れそうな薔薇を頬にこしらえている、若い女性の上体を抱えて持ち上げた。  女性は高熱に浮かされ、荒い息をついていた。   「お待たせしました、特効薬です」  少しとろみがあるその液体をさじですくい、女性の口に差し入れる。  女性はむせながら、しかしなんとか飲み下した。  「あともう二さじです。頑張ってください」  サギトは尖り耳の小さな体格に合わせた一人分の分量を、正確に投与した。患者の体を再びそっと横たえる。  二人は次々と、重症患者に薬を与えていった。  調合した分全てを使いきった二人は、空っぽの鍋を持って患者達をじっと見下ろす。グレアムが言った。 「……すぐに効果は出ないか」 「正直、まだこの薬の効果を保証はできない。でも何もしなければ死んでしまうから、投与という選択をした」 「正しい選択だ。まだまだ患者はいる。調合を続けよう」 「ああ」  二人は全員に緩和魔法をかけなおすと、調合室となっている小屋へと再び戻って行った。  調合作業を続け、三十分程たった頃。小屋の扉を大きくノックして駆け込んできた者があった。 「サギトさん!」  まろびながら入って来たのは、村長だった。その後ろに男が三人ほど付き従っている。皆、興奮しているようだった。  尋常でない様子にサギトの肝が冷える。    まさか、薬を投与した患者の様態が急激に悪化した、なんて話だったら……。 「い、いかがなされましたか、村長」  ひざに手をつき息をあげていた村長は、顔を上げるとその瞳を潤ませながら言った。 「重症だった患者、薬を飲んだ患者、みんな水疱が薄くなってきてる!」  サギトは息を飲む。  グレアムが拳を握って、「よっしゃあ!」とドスの利いた一声を上げた。    村長はその小さな体でサギトにしがみついた。涙を流しながら。 「熱も下がって、呼吸も落ち着いて……!信じられねえ、まるで奇跡だ。ありがとうございます!ありがとうございます!あなたは私達の救世主だ!」  サギトは腰をかがめ、村長の体を抱きしめ返した。  こみ上げる熱いものをぐっと飲み込み、その肩をさする。 「報告ありがとうございます。薬が効いてほっとしました。まだまだ患者は沢山いますが、必ず全員、救います」  村長は泣き崩れた。その後ろの男達も。  村長は男達に連れられ、何度も礼を言って頭を下げながら去っていった。  放心して村長たちの去っていった扉を見つめ続けているサギトの頭を、グレアムがくしゃりと撫でた。 「やったな!」  サギトは唇をかみ締め、無言で大きくうなずいた。  手でごしごしと涙をぬぐい、鼻をすすって顔を上げる。 「続けよう、調合を」 「そうだな。全員を救うんだよな」 「ああ!」  二人の作業は明け方まで続いた。  調合し、完成したら最も重症な患者に投与し、の繰り返し。そうして一人、また一人、と患者の薔薇の水疱は消えていった。  ちょうど夜が明ける頃、ついに全員に特効薬が行き渡った。  最後の一人に薬を飲ませ、サギトは立ち上がる。  澄んだ早朝の光の中、夜を徹して病と戦い続けた二人は無言で見つめあった。  どちらも騎士服は着崩れて、汚れて、すっかりくたびれ果てた姿だ。    ひとつの戦いを終えた二人の騎士は、しかと抱き合った。  互いを抱擁し、互いを(たた)える。 「お疲れさん。やっぱりサギトは世界一の薬屋さんだ」 「お前こそ、いい助手だった。……いや、いい騎士団長だった。やはりお前は、人の上に立つ男だな」  自分一人ではとても成し遂げられなかったろう、とサギトは思う。この頼もしい男がそばにいてくれてよかった。弱い自分を導いてくれてよかった。  よき友だと改めて思う。  サギトは何度目かの涙を流しながら、深い呼吸と共に言葉を漏らす。 「子供の頃に夢見た光景だ……」 「そうだったんだな、これがサギトの夢だったんだな……」  グレアムの目尻にも雫が光る。グレアムはサギトの頭をなでつけ、濡れた頬に口付けをした。サギトはくすぐったそうに微笑んだ。  二人は隔離小屋から調合小屋に戻り、最後の仕事に取り掛かった。  住人全員分の特効薬の作り置きだ。万一、この集落の住人が全員感染しても皆に行き渡るように。花爛病は一度感染して治癒すれば、二度と感染することはない。住人の数だけ作ればもう安全なはずだ。  さらに数時間をかけて三百人分の特効薬を作り終え、二人は調合小屋から外に出た。  外では小さな体の住人たちが、大きな拍手で迎えてくれた。  村長が進み出て、その体を深々と折り曲げた。サギトは恐縮する。 「い、いや、もう昨日十分、感謝はいただきましたから。小屋の中にある特効薬、また発症者が出たら役立ててください」 「本当に、なんと礼を言ったら良いのか。御代(おだい)は一括でとはいかないが、月々少しづつ払わせてください」 「御代……?」  とサギトは一瞬きょとんとし、ああ薬の代金のことを言っているのか、と気づいた。サギトは首を振る。 「まさか、お金なんていりません」  村長は驚いた顔をする。 「え?な、なぜですかい」  なぜ、と言われてサギトは考え、グレアムを見て答えを思いついた。 「私は今は騎士ですから。民の税で食っていて、民を守るのが仕事ですから。……だろ?騎士団長」  突然話を振られて、グレアムが吹き出した。 「おお、その通りだ新米騎士!完璧な答えだ!」 「そんな、でも……」 「いや、本当に、結構ですから」  サギトが言い、グレアムもうんうんと首を縦に振った。 「そうです、公僕は存分にこきつかってください!働かない騎士はただの税金泥棒ですから!」  一瞬の間をおいて尖り耳たちは声を立てて笑った。 「国のお偉いさんなんていけ好かないと思ってたが、あんたは面白いなグレアムさん!あんただけは好きになったよ、さすが英雄だ!」  グレアムは照れたように頬を指でかく。 「あ、ど、どうも」  サギトはくすりと笑う。 「相変わらず人たらしだな」 「ははは……」  和やかな雰囲気の中、二人は住人達に別れの挨拶をした。  皆、口々に尊敬と感謝の念を伝えながら、サギトに握手を求めた。サギトは感涙をこらえながら、彼らの小さな手を一つ一つ、丁寧に握った。  住民達と別れ、集落の土塀の入り口に差し掛かったとき。  黒尽くめの男が待ち構えていた。  男は黒い帽子を取って軽く頭を下げた。 「あのドラゴンみたいなのに乗って王都まで帰るんだろ?俺も乗せてっちゃくれないか」  サギトは目を細める。 「フォスターさん……」  グレアムはにこりと笑う。 「もちろん!」  サギトはどうしてもフォスターに聞きたいことがあった。 「いつも買ってくれていた希少薬、格安のままこういう場所で売っていたんですね。私はてっきり……」 「高値で売りさばいてると思ってた、か?いやもちろん、半分は無印(むじるし)どもに高値で売りつけてやったさ!それでも相場の半値くらいだから飛ぶように売れるんだ。本当、あんたには稼がせてもらってたよ」  そう言って、愉快そうに笑う。  「無印」というのは忌人が忌人でない「普通の人間」を揶揄して言う俗語だ。なんの特徴もない連中、というような意味だ。  サギトは「かなわないな」と思いながら笑みをこぼした。 「あなたの商人としての才能、見習いたいですよ。忌人なのになんでそんなに繁盛してるんです?」 「おだて上手になるこったなぁ、へりくだって相手を気持ちよくさせてよ」 「ああ、私には無理そうだ。一生、繁盛とは無縁でしょうね」 「ははっ、いいじゃないか、もう騎士に転職したんだから。騎士服似合ってるぜ。騎士っていうか、どこぞの国の王子様みたいだけどな」 「えっ」  グレアムがにやにやしながら肘で小突いてきた。 「ほら、言っただろう?」  サギトは照れて目を泳がせる。 「は、早くワイバーンを出せ、俺は眠いんだ」 「いやいや、ワイバーンの上で寝るのは危険だろう!落ちるぞ!」  笑いながらグレアムはワイバーンを召還する。  眠いと言いつつサギトは律儀に三人に除菌薬を噴射し、グレアムに感心された。除菌用の小さな霧吹きは調合師の必須アイテムで、これも使い魔の猿に持って来させていた。 「忘れてた。よく気がつくな」 「当たり前だ。特効薬が作れるようになったとはいえ、王都にこんな恐ろしい病気をばらまくわけにいかないだろう」 「さすがだな!よし、じゃあ帰るか。……失礼!」  グレアムは行きと同じようにフォスターの体をひょいと抱え、ワイバーンに飛び乗った。サギトもそれに続く。    サギトは舞い上がったワイバーンから小さな集落を見下ろし、初めて感じる達成感と清々しさに小さく微笑む。 (俺が、誰かを救えた……)  思いがけず夢が叶った喜びを、サギトは静かに、じっくりと噛み締めた。 ◇ ◇ ◇

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