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最後の仕事(8)

 グレアム邸の初老の執事は、午前十時過ぎに戻って来た主人とそのパートナーの姿に仰天していた。  朝帰りについては咎めはなかった。護国騎士団員が国境への出立前の二日間休みに羽目を外し過ぎて朝帰りになってしまうことはよくあることらしい。いつも多忙な主人が今回は初めて二日間休みをもらえたのだから、多少のやんちゃは目をつぶろうと思っていたらしい。  だが。 「お二人共、どう見ても戦場帰りです!一体、どのように休暇をお過ごしになったんですか!」 「鋭いな、ドナ!休んでない、仕事してきた!」  グレアムの言葉に、執事のドナは呆れ切った様子でため息をつく。 「まったく旦那様ときたら、またお人よしで事件に巻き込まれましたか?」  サギトは気まずく小声でつぶやいた。 「事件というか俺に巻き込まれた……」  ドナは顔をしかめながら言う。 「ともかく汚れを落として、お着替え下さいませ。そんな汚い格好でうろつかれたらお屋敷が汚れます。どうか早くお風呂に!」  グレアムは肩をすくめる。 「はいはい。ったく戦場帰りの兵士に冷たいなぁ」  ◇ ◇ ◇  庭に|設《しつら》えられた離れの小屋が、グレアム邸の浴室だ。石造りの床と浴槽は小規模ながら造りはしっかりしている。 「まあでも、サギトと一緒に風呂に入れるなんてご褒美だな」  脱衣所でさっさと騎士服を脱ぎながら、グレアムが嬉しそうにそんなことを言っている。 「一緒に入るのか?」  流れで一緒に来てしまったが、サギトはいつも兵舎の共同風呂で済ましているので、この浴室を使ったことがない。狭い風呂に一緒に入ると言うのはなんだか恥ずかしい気がした。  ちなみにランバルトの文化としては公衆浴場は一般的だ。聖教圏の南方は昔から公衆浴場が多い。それは南の隣国、ムジャヒールの影響であることは明らかなのだが、古代ならいざ知らず敵対国家となった現在、その影響についてあまり人は口にしたがらない。  ともかく風呂はいいものである、どこの影響を受けていようと。と言うスタンスだ。 「こうるさいドナの命令だからなー」 「一緒に入れとは言ってなかったじゃないか。俺は外で待ってるから、お前が先に入って……」 「何言ってるんだ一緒に入るぞ」  言いながらグレアムがずいと近づいてくる。彼はもう素っ裸になっていた。 「え、う、ちょっ……」  全裸のグレアムに、ぐっと両肩を掴まれた。そのまま壁際にまで押され、壁に押し付けられる。  グレアムはサギトの騎士服のボタンに手をかけ、脱がし始めた。 「や、やめろ脱がすのは!分かった一緒に入るから脱がすな、自分で脱ぐ!」  サギトは恥ずかしくて制止するが、グレアムは手を止めない。上着のジャケットの前を割り、中のシャツのボタンも器用に外され、白い素肌を空気に晒される。  淡い桃色に色づく胸の先端が、乱された服の中から現れる。  グレアムがサギトの肩から騎士服を落としながらブツブツとつぶやく。 「なんだろう、この興奮。主従の一線を超えてついに主君たる王子を押し倒してしまった騎士、みたいな気持ちだ……。王子のあられもない姿、淫ら過ぎる……」 「お前は一度、頭の病院に行け!」  グレアムは中腰になって、まだ湯浴びもしていない胸に頬を押し付けてくる。 「き、汚い体にひっつくな……」  グレアムは思い切り鼻から息を吸い込みながら、 「湿ってる、汗かいてるな。サギトは汗もいい匂いだ、まるで搾りたてレモンだ、全部舐めたい……」  サギトは本気でグレアムの頭が心配になってきた。  グレアムはサギトの体に抱きつきながら、さらに脚衣を脱がす。  全裸になったら、いきなり視点が反転した。グレアムがサギトの体を横抱きで抱き上げたのだ。 「な、なんで抱っこ……」 「浴室の床でツルッと滑ったら大変だろ、王子様が!」 「誰が王子様だっ」 「俺を従者と思え。綺麗に洗って差し上げるからな」 「はあ!?」  サギトはグレアムに抱き上げられたまま、脱衣所から、湯気の立ち上る風呂場へと入る。グレアムはサギトを抱きかかえたまま、風呂場の椅子に腰を落とした。  自分の股の間に、サギトを座らせる。  サギトは逃れようともがくが、腰のあたりにしっかりと腕を巻きつかれて身動きできない。 「ま、まさか本当に俺を洗う気か」 「うん」  グレアムが桶でサギトの体にザーッと湯をかけて来た。ちょうどいい湯加減だ。正直、気持ちがいいと思ってしまった。  でも洗われるのはごめんだった。 「嫌だ、俺は赤ん坊じゃない!」 「王子様だぞ」 「だからなんなんだその設定は!」  グレアムが泡立てた石鹸をサギトの体に擦り付けて来た。冷たくぬめる石鹸がサギトの腹や胸に円を描く。太ももを上下する。  サギトは羞恥のあまり頭がパニックになりそうになる。思わず大声で叫んだ。 「やめろっ!ほんとに!嫌だッ!」  グレアムの手がピタリと止んだ。 「……」  沈黙。  ちょっと言い方がキツかっただろうか、と心配になりながら、サギトは背中にいるグレアムの顔を、振り向いて見上げた。  唇を噛みしめ眉を下げ、今にも泣きそうな顔で、グレアムはサギトを見下ろしていた。サギトは目を泳がせる。 「そ、そんな顔しても、ダメだ、ぞ……」 「……」  グレアムはますます泣きそうな顔で、じっとサギトを見つめる。無言で。 (ああ、もうっ!) 「か、体は嫌だ、が……。か、髪ならいい……」  グレアムはにわかに笑顔を取り戻した。 「分かった!任せておけ!」 (こいつはっ!)  あっさりした豹変に、うまいこと手の平で転がされてるような気がしながら、サギトはもう観念して抵抗するのをやめた。  まぁ髪くらいならいいか、と。人に髪を洗われたことなどないが。  グレアムがサギトの髪に湯をかけ、泡たっぷりの手でサギトの頭皮を揉むように洗い出した。  後頭部、頭頂部、前頭部、側頭部。  頭全体をグレアムの手がマッサージするように揉んでくる。 (む……)  髪を洗われることの予想外の気持ちよさに、サギトは驚かされた。  グレアムの指遣い、力加減、その全てが心地よかった。今まで経験したことがないくらいに。  湯気の充満する風呂場の温もり、そして、背中を包むグレアムの肌の温もり。  それがサギトの身も心も温めていく。  だんだん、意識が遠のいていった。うつらうつらと。 「……サギト?」  どこか遠いところでグレアムが呼びかけているのが聞こえたが、サギトには答えられなかった。  やがて体全体がふわふわした泡に包まれる心地がした。  誰かの手がサギトの全身を滑っていく。  でもそこに不快感はなく。  ただ、とても大事な誰かに心から慈しまれていることを、実感した。  それからまた抱き上げられ、抱かれたまま、温かい湯に沈められる。  全身をとっぷりと気持ちのいい温度に浸される。  頼もしい何かにしっかりと支えられながら。  サギトはいよいよ心地よく、自分は天国にいるのだろうか、と。そんなことを思った。 ◇ ◇ ◇

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