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こっちを向いて。俺だけを見て。 6

 皿に乗せた雑炊とスプーンを持って部屋に入ると、健人さんは体を起こして、ベッドから出ようとした。 「そのままでいいよ。俺が食べさせてあげる」 「ありがとうございます」  健人さんは、ベッドのふちに腰掛けると、俺を見上げて力なく微笑んだ。  立ったまま、雑炊をすくったスプーンを近づけると、素直に口を開けたから驚く。健人さんが、はむっとスプーンをくわえた。スプーンを引き抜けば、その上には米粒ひとつ残っていなかった。 「熱くない?」  尋ねると、健人さんがこくこく、と二回頷いた。  健人さんの動く顎を見ながら考える。  ――俺が買い物行くって言った時、結構しぶってたから、「あーん」も一回は断られるかと思ったけど、意外とすんなり受け入れてくれたな。俺に頼ってもいいと思ってくれたのかな。それとも抵抗する気力もないくらい具合が悪いのかな?  健人さんの喉仏が上下した。 「味、どう?」 「美味しいです」  再びかぱっと口を開け、俺を見てくる。続きを食べさせろということだろう。エサを待つひな鳥みたいだなと思って、思わず笑ってしまう。それに気づいたのか、健人さんが口を開けたまま首を傾げた。その仕草がさらに鳥っぽくて、俺は笑いをこらえながら健人さんの口にスプーンを近づけた。  何度も同じことを繰り返しているうちに、皿が空っぽになった。 「とりあえず、これでおしまい。足りなかったら向こうにおかわりもあるけど」  最後の一口を健人さんの口に運ぶ。まばたきしながら咀嚼している姿を見続けていたら、健人さんへの愛があふれてきた。俺は、皿とスプーンをテーブルに置いてから、健人さんの頭をなでた。 「子供みたいでかわいい」  手を離すと、健人さんは俺を上目遣いで見て、「もっと」とねだってきた。  頭なでたこと? それとも雑炊かな、と悩んでいると、健人さんが急に悲しげな表情を浮かべた。 「ごめんなさい、悠里」 「どうして謝るの?」 「僕はすごくずるいです」 「何が?」 「僕は悠里の好意を利用しています。悠里は僕と出会わなかったらきっと、奥田さんみたいな人と結婚して幸せな家庭を築いただろうと思います。僕は、その未来を奪っている」  ――「奥田さん」って、俺の実家の隣に住んでる幼馴染のかおり姉ちゃんのこと? 「何言ってるの? 熱があっておかしくなっちゃった?」  突然脈絡のないことを言われて、混乱する。健人さんが静かに首を横に振り、「ずっと考えていたことです」と呟いた。 「なんでここで姉ちゃんの名前が出てくるの?」 「前に、奥田さんと悠里を見た時、すごくお似合いだと思いました。普通のカップルみたいでした。僕が悠里の隣にいたって、誰も恋人同士だなんて思わないでしょう。僕は悠里に何もしてあげられません。長く付き合ったって、結婚も、子供をもうけることもできません。悠里にずっと、つらい思いをさせるだけかもしれません」  健人さんはそこで一旦言葉を切ると、わざとらしく口角を引き上げた。 「悠里は異性愛者です。僕のわがままに無理に付き合ってくれなくていいんですよ。僕は独占欲が強いから、なかなか言いづらいかもしれませんが、他に好きな人ができたらすぐに言ってくださいね。僕は悠里の幸せを一番に考えていますから、その時は潔く身を引きます」  ――健人さんは俺の「幸せ」が何なのか、全然分かってない!  戸惑いが、腹の中で怒りに変わっていく。

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