31 / 87

ショートケーキを召し上がれ 9

 悠里がしかめ面でフォークを置いた。先ほどのキスから沈黙を貫いていた悠里が、ようやく言葉を発してくれた。 「ねえ、さすがにお腹いっぱい」  ケーキの三分の一が悠里の胃袋に収まっていた。  ご飯を四杯食べて、さらにケーキもこんなに食べたのだから、十分だろう。そう思うのに。 「やっぱり一人では食べられなかった……」  悠里は哀愁漂う表情で、残ったケーキを見つめていた。 「なにも今日一日で食べ切る必要はないんですよ? 今日泊まるんだから、残りは明日食べればいいんです」  ぱっと悠里の顔が輝いた。 「そっか! 健人さん、頭いい!」 「悠里はもっと頭を使った方がいいですよ」  こめかみを人差し指でトントンと叩いてみせると、悠里が目を三角にした。 「ひどい!」  ――くるくる変わる表情は見ていて飽きない。好きだ。 「そんな悠里もかわいいです。箱どうぞ。これに入れて冷蔵庫にしまいましょう。僕は紅茶を入れ直してきます」  立ち上がるために足に力を入れたところで、悠里の手が太ももに押しつけられた。  すとんとソファにお尻が落ちる。何が起きたのか分からなくなっている僕の耳に、悠里の唇が触れた。 「紅茶なんか、あとでいいよ」  シャツ越しに、背骨をつうっとなぞられる。ぞわりとした感覚が、下から駆け上がってくる。 「や……」  きつく目を閉じた。 「俺の食事は終わったから、健人さんにケーキ食べさせてあげるね」 「だめ。それは悠里のですか、らっ!?」  顎をつかまれた。目を開けると、唇の右端だけをつり上げた悠里が見える。 「大丈夫。こうすればいいんだよ」  悠里がフォークを使ってケーキの上の生クリームをすくった。舌をべえっと出して、その中央にクリームをちょこんと乗せている。  僕の喉が鳴った。悠里は笑顔で僕に近づいてきた。唇が触れ、歯の間から悠里の舌が侵入してくる。うごめく舌が、僕の口内に生クリームを塗りつけていく。 「んっ……ふ……」  鼻で呼吸をすれば、苺の香りもほのかにした。  悠里が僕から離れた。 「ね、こうすれば俺が食べたことになるでしょ?」  (あや)しく笑うから、深く考えずに頷くことしかできない。  ――僕は絶対に悠里には勝てない。勝敗は勝負が始まる前から決まっているのだ。  ぼんやりとした頭の片隅で、そんなことを考えた。

ともだちにシェアしよう!