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一生分のしあわせ 3
「十二月十一日と十二日、空けといて」
健人さんがスケジュール帳を開いて、顔をしかめた。
「金、土じゃないですか。十一日は授業があるでしょうし、さすがに授業の予定はずらせません……」
悔しそうにため息をつく。
「大丈夫、大丈夫。その日の夜に行って、次の日帰ってくるやつにする。近場の温泉旅館とか」
温泉という言葉に、健人さんが反応する。目を泳がせながら口ごもった。
「予算オーバーなら、その分僕が払いますから、土日にして、遠出しませんか?」
「日程ずらすのはだめ。健人さんの誕生日じゃなきゃ意味ないもん」
誕生日当日、二人で過ごしたい。この気持ちは絶対に譲れない。
「十一日にうちに来れば――」
「やだ。それじゃいつもと同じじゃん! 特別な誕生日にしてあげたい!」
強い口調で言い切ると、健人さんが呆れたように笑った。
「僕の誕生日なのに、悠里の方が主張が強いですね」
全身がかあっと熱くなる。
今の俺は、駄々をこねる子供と一緒だ。健人さんを祝う気持ちがあるなら、俺が折れるべきだ。
「自分勝手でごめん。健人さんの行きたいとこでいいよ」
落ち込んだ気持ちで頭を下げると、健人さんの指がテーブルの上に置いていた俺の右手に触れた。優しく、慈しむような手つきでなでられる。
「いえ。僕の誕生日を僕以上に大事に思ってくれていると分かって嬉しいです。僕は特に行きたい場所がありませんし、悠里のわがままは聞いてあげたいんです。でも、いかんせん温泉というのが――」
健人さんの言葉が途切れ、手が止まった。顔を上げると目が合った。悲しげに微笑まれる。
「すみません。悠里と一緒にお風呂に入るのは抵抗があります」
そういえば、以前銭湯に誘って断られたことがある。潔癖症ではないし、俺以外と一緒に入るのはなんとも思わないが、裸で俺と同じ湯船につかるのは恥ずかしすぎて無理だと言っていた。ベッドの上では裸を見せ合っているのに、風呂がだめな理由が分からない。健人さんも自分では上手く説明できないらしい。
「でも、夕方から行って旅行気分を味わえるのって、温泉旅館くらいじゃない? 大きいお風呂、きっと気持ちいいよ。どうしても俺と入りたくないっていうなら、時間ずらして入ってもいいからさ。だめかな?」
目をのぞき込むようにしながら言うと、健人さんは口をへの字にしてから、意を決したように重々しく頷いた。
「悠里がそれでもいいなら行きましょう。温泉旅行」
「やったあー! 健人さん大好き!」
ぴょんと立ち上がり、テーブルを回り込んで抱きつく。健人さんが体をこわばらせた。
「そんなに喜ばないでください……。申し訳なくなります」
「申し訳ないと思うなら、俺と風呂に入ってよ。あ、旅行前にうちの風呂で練習する?」
「れ、練習……!?」
健人さんの顔が瞬時に赤く染まった。俺から距離をとり、頭をぶんぶんと横に振った。
「ぜったいに無理ですっ!」
全身真っ赤な健人さんを見て、俺は笑いが止まらなかった。
「冗談だよ。別々のお風呂でも大丈夫だから、当日楽しもうね」
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