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一生分のしあわせ 5

  * 「ふー、気持ちいい」  貸切風呂はもっと狭いかと思ったが、大人が四人ゆったり入れるくらいの広さがあった。露天風呂なのだが、夜のため、あいにく風景は見えない。 「健人さん、まだ入らないの?」  湯船から健人さんを見上げる。脱衣所まではスムーズだったくせに、湯船のへりに来た途端、ぴたりと動きを止めてしまったのだ。  健人さんは眼鏡をしていなかった。そこまで視力が悪いわけではないらしい。裸眼の健人さんは、いつも以上にかっこよく見えて、それなのに風呂に入るのをためらっている姿はかっこ悪くて、そのギャップに胸がうずいてしまう。  ――かっこ悪いところを見てもきゅんきゅんするなんて、俺はどれだけ健人さんのことが好きなんだよ。 「まだ入らないの? 気持ちいいよー?」  俺が誘うと、もっと困り顔を見せてくれる。 「気持ちいいだろうことは分かっているのですが――」 「このままだと、入らないまま時間終わっちゃうよ?」  手のひらですくったお湯を、健人さんの足元にばしゃばしゃとかけてみた。 「ちょ、」  困惑した表情で俺を見下ろしてくる。どきどきする。  俺はその場で立ち上がって、健人さんの脚に抱きついた。 「早く、中にきて? お願い」  じーっと健人さんの目を見つめると、健人さんが口元に手を当ててゆっくり横を向いた。 「それは、反則……です」  健人さんの脚に力が入った。手を離すと、かけ湯をしてから恐る恐るという感じで足を入れ、時間をかけてお湯に全身を沈めた。  ――今、健人さんと同じお風呂に入ってる。  改めて意識すると、温泉の効果ではないほてりを感じた。  健人さんはすーっと俺から離れて、反対側のへりに腕を置いて、外を眺めている。暗くて何も見えないのに、動く気配はなかった。その時、健人さんの呟きが聞こえた。 「悠里のだし風呂……」 「は? 何言ってんの……。ちょっと引いた」  ぐるんと首を回してこちらを向いた健人さんは、なぜか笑っていた。 「『ちょっと』なんですね。安心しました」 「安心しないで! だいぶキモい」  ショックを受けた様子でうなだれる健人さんを見て、いたずら心が芽生えた。  健人さんに近寄って、背中から抱きついた。ぴたりと身体を密着させてみる。 「何してるんですか! あ、当たってますっ……」  健人さんが顔を赤らめて震えるから、俺は調子に乗って健人さんの背中に自分の体を擦り付ける。 「何が?」  かわいい。今、健人さんと「お風呂でイチャイチャ」してる。にやにやが止まらない。健人さんがますます赤くなる。 「もうのぼせた?」 「悠里のせいです……んっ」  首筋にキスすると、艶っぽい声を漏らした。手を動かして胸に触れようとしたところ、健人さんが俺の手をつかんだ。 「だめ、です……。お湯が汚れます……」  はあはあと息を乱す健人さんを見たら、正直ムラムラして止めたくなかったが、あえてあっさりと離れる。 「そっか。そうだね、他の人も入るんだもんね」  健人さんに絡ませていた手をほどき、距離をとると、健人さんの「え?」という落胆混じりの声が聞こえた。健人さんの顔には、「悠里とエロいことがしたい」と書いてあるようだった。火がついてしまったのに、刺激を急にストップされて、性欲の行き場がないのだろう。 「何?」  分かっているくせに尋ねる。 「いや、なんでもないです……」  健人さんが真っ赤な顔のままごまかすのが、かわいすぎた。  ――もっと俺を求めてほしい。 「お風呂、気持ちいいね」  普段通りのトーンを装って会話を続けた。 「……はい」  健人さんの返事が一拍遅れる。  ――今何考えてたんだろう。俺のことだったらいいな。俺のことで頭をいっぱいにして。  健人さんに熱視線を送るが、健人さんは自分の体を抱きしめたまま、微動だにしなかった。

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