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一生分のしあわせ 6
*
貸切風呂を楽しんだあと、大浴場にも足を伸ばした。部屋に戻るやいなや、健人さんが後ろ手で鍵を閉め、キスをしてきた。
「ちょっと。まだスリッパも脱いでないのに」
「やっと二人きりになれました」
「貸切風呂も二人きりだったじゃん」
俺の言葉は無視して、健人さんが嬉しそうに言う。
「こんなに誕生日が楽しみで仕方なかった年は初めてです」
「ほんと? それは良かった」
ほっと胸をなでおろす。貸切風呂では緊張した様子だった健人さんだが、大浴場で別行動にしたらのびのびと過ごせたらしく、いつもの調子に戻っていた。
「実は、誕生日が来るたびに別れ話をした時のことを思い出してしまっていて……」
健人さんがわずかに唇を歪めた。言葉を失う。
中学一年生の時、初めてできた彼女とクリスマス前に別れたと言っていたことを思い出した。自分の誕生日と嫌な記憶が結びついているのって、すごくきついだろうな。健人さんはそれに何年も苦しめられてきたのか。自分のことのように胸が痛んだ。
よく頑張ったね、という思いを込めて軽いキスを返すと、健人さんがにこっと笑った。
「でも、今日やっといい思い出で上書きできました。悠里、本当にありがとうございます。悠里のおかげで、今までの人生で一番幸せな誕生日です」
「喜んでもらえて良かった」
「これからもっと、僕を最高な気分にさせてください」
健人さんの声が急に低くなった。目を細めて、下ろした前髪をかきあげる。それがなんとも色っぽくて見とれていると、健人さんが口の端をつり上げて、意地悪く笑った。
何かのスイッチが入ったかのように、健人さんの目の色が変わった。その場に押し倒された。背中に冷たくて硬い床が当たる。せっかく温泉で温まったのに、体の熱が奪われていく感じがする。
「この旅行が誕生日プレゼントということは、プレゼントに悠里は含まれますよね?」
疑問系ではあるが、ノーとは言わせない圧を感じた。寒気と恐怖と期待でぞくりとした。
――貸切風呂で煽りすぎたかも。
後悔してももう遅い。健人さんの目付きは、獲物を狙う肉食獣のそれだった。
「ここじゃやだ。寒 ――」
言い切る前に唇をふさがれた。健人さんの舌がねっとりと俺の口内をねぶっていく。時折、健人さんの手が胸や耳などの気持ちいい部分をかすめて、息が乱れる。
身震いをひとつすると、健人さんが我に返ったように身体を起こし、唇が離れた。だらしなく垂れた舌から、どちらのものか分からない唾液が俺の胸元に落ちる。
「続きは布団でしましょうか」
こくんと頷くと、健人さんが俺の背中に手を回してきた。起きるのを手伝ってくれるようだ。俺はそこでようやく、腰が抜けて立てなくなっていることに気がついた。
「キスだけでこれでは、先が思いやられますね」
俺の口は開いているのに、一切言葉が出てこない。頭がかすみがかったようにぼんやりしていた。健人さんにすがりつくように立ち上がると、健人さんの唇が弧を描いた。
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