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第1章 6
「――だからな、夏野。俺は必死にやってんだよ。客からの評判もいいし、開発の奴らも認めてくれてる。営業向いてると思うんだよ。だけど俺は……今の部署にいたんじゃ、俺はいつまでも下っ端で、誰にも頼りにされなくて……」
「うんうん。幸村さんはもっと評価されて上へ行くべき人材だよ。……あ、マスター。2人とも同じので」
次から次へと自分と同じペースで注文をする夏野を止めることができないと知っているマスターは、幸村の分のドリンクにはほとんどアルコールを入れていなかった。それでも、幸村はこの場所の雰囲気と、何でも肯定して聞いてくれる夏野の態度にどんどん呑まれて管を巻く。
「夏野はチャラチャラして見えんのに、結構話わかるじゃん。いい奴だな、お前。…………あー、猫飼いてぇなぁ。癒しが欲しいよ」
「猫かぁ。何で飼わないの?」
「飼えないんだよ。アレルギーで」
「あぁ、そうなんだ。……体質って残酷だよな」
2人にドリンクを差し出しながら、マスターは注意深くその会話を聞いていた。グラスの中でキラキラと輝く球体状の氷をしばらく眺めた後、夏野はその琥珀色の飲み物をゆっくりと口に含む。幸村はその切なそうな表情を気にすることもなく、相変わらずのテンションで夏野の肩を抱いた。
「夏野、お前は悩みとかなさそうだな。いいなぁ、楽しそうで」
「あはは。そうかも」
「おいおい、マジで何もないのかよ。何か1つくらいあんだろ?」
「うーん……くだらない悩みなら」
「お、何だ?言ってみろ。くだらなくてもいいよ。せっかくだから俺が聞いてやる」
すっかり気分のよくなった幸村は、その肩をバシバシと力強く叩きながら、先輩風を吹かせる。
「……幸村さん、俺、実はDomなんだ」
「Dom?……夏野が?」
その琥珀色の瞳をじっと見つめながら、幸村は首を傾げた。たしかに夏野は見た目がいいが、Domというには平凡すぎるように思える。
「フリーターのDomがいるかよ」
夏野のことを上から下まで何度も眺めた後、幸村はそう呟いた。Dynamicsを持つ者は、自分とは縁遠い存在だと信じて疑わなかった。
「あはは。それがいるんだよ。俺たちは全員が特別なわけじゃない。幸村さんたちが気付かないだけで、フリーターもホームレスもいるよ」
「ふーん。だとして、それの何が悩みなわけ?今どき差別もないし……むしろいいじゃん。DomとかSubって優秀なんだろ。その気になればすぐ定職も見つかるよ」
「なるほど。Normalの人はそんな風に考えるんだ」
その言葉には棘があった。Normal ではなくNeutral という言葉が使われるようになって久しい現在において、Domを自称する夏野が敢えてその言葉を口にしたのは、その性別により苦しめられていることへの抗議の現れだろう。
「幸村さんにはわからないだろうな。俺みたいな落ちこぼれのDomは――」
意識を手放す直前に幸村が見たのは、ずっと笑顔だったはずの夏野が放つ鋭い眼光だった。
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