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第3章 6
「……ごめんなさい、無理させて」
一瞬の静寂の後、啜り泣くような声と、優しい言葉が聞こえてきた。
「ナオトさん、よく言えたね。偉いよ。教えてくれてありがとう」
「うぅぅ……ツバサ君、ごめん、俺ちゃんとできなくて」
「違うよ。ナオトさん、俺が悪かった。だから謝らなくていいんだよ」
――ツバサ君?夏野じゃない?でも、この声は……。
「大丈夫?立てる?」
「あぁ……ツバサ君、キスしてほしい……」
「……ん。ごめんね、ナオトさん。よく頑張ったね。もう行ける?」
「ツバサ君、キスを……」
幸村は足音を忍ばせて一歩ずつ後退すると、物置の影に屈み込んだ。ナオトは何度もしつこくキスをせがみ、ツバサは先ほどの行為を謝りながらそれに応える。「レッド」という言葉を境に主従関係が逆転してしまったようだった。
長いキスが終わり、ようやく砂利を踏む足音が聞こえてくる。幸村は念のため自分の口を押さえて、じっと身を潜めていた。どうしても、ツバサと呼ばれる男の姿を確認したかったのだ。
「ナオトさん、タクシーまで送るよ」
「悪いね。それから、支払いなんだけど……」
「うん、わかってる。Safe Wordの分だよね。今渡す」
闇の中に浮かび上がったのは、すらりと背の高い体に、よく見慣れた胡桃色の髪。
――あぁ、間違いない。夏野だ。偽名使ってんのか。
ふいにその髪が揺れ、次の瞬間には猫のような丸い目が幸村を捉えた。
――え?何でバレた?
心臓が飛び出そうなくらい強い緊張が走る。口を押さえていなければきっと声を上げていただろう。
夏野もまた、驚いたように目を大きく見開き何かを言いかけたが、すぐに前へと向き直り、隣を歩く中年男性の肩を抱いた。
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