49 / 99

第4章 17

 夏野の行く当てなんて、幸村には知る由もなかった。2人で散歩した公園も、訪れたことのある飲食店も、全て見て回ったがそこにその姿はなかった。電車に飛び乗り、初めて会った街まで出てみたが、やはり夏野を見つけることはできなかった。唯一、あの日2軒目に訪れたバーだけは手掛かりとなりそうだったが、その名前も場所も曖昧で、幸村はそこに辿り着くことすらできなかった。  絶望を抱えたまま帰宅し、暗闇と静寂に出迎えられた幸村はその場に崩れ落ちた。 「何でだよ……何でいつも……俺に何も言ってくれないんだよ……」  ノロノロと這うように洋室へ向かうと、電気をつけて部屋を見渡す。クローゼットには幸村が夏野のために買ってやった服が掛かっているし、キッチンには今朝洗った2人分の食器が置かれている。2人の思い出は全てそこに残っているのに、夏野は1人去ってしまった。  床に落としたままだった手紙を拾い、幸村は真っ白な封筒をしばらく眺めていた。どこにでも売っているような何の変哲もない封筒だったが、幸村の家には茶封筒しかないはずだ。もしかすると、夏野はずっと前から出ていく準備をしていたのかも知れない。その思いが幸村をさらに深い絶望へと突き落とした。  ――俺だけだったのか。心が通じ合ったと思っていたのは。これからも2人で過ごしていきたいと思っていたのは。  現実を突き付けられるのは怖かったが、それでも夏野が最後に残したものだと思い、意を決して封筒を開く。中には1枚の便箋とキャッシュカードが入っていた。 「朝陽へ 今まで本当にありがとう。俺はこれからDomとして生きることを決めました。足りないと思うけど、これまでの生活費をお返しします。 夏野晄」  丁寧な文字で書かれた短い文章に、幸村は強いショックを受けた。「Domとして生きる」というその言葉が胸に突き刺さるような感覚だった。  ――俺が、夏野の唯一の希望を、生きる術を奪ったんだ。体を売ることを辞めさせたのは俺のエゴでしかなかった。Neutralのような生き方を強制させ、それが夏野を苦しめて……。  その時、幸村の脳裏にPlayをした時の夏野の声が蘇る。 「パートナーを持った方がいい。もっと自分を大切にしてくれる人を……。支配されたいと思うことに苦しむ必要なんてない。だって、Subは悪いことなんかじゃないから」  あの言葉は、夏野自身が掛けてもらいたかったものなのだと思い至る。夏野の苦悩を分かち合うために必要だったのは、叶わない夢のために一緒に金を稼ぐことなどではなかった。Domとしての夏野を肯定し、苦しまずに生きる道を認めてやるべきだったのだ。  ――俺は何もわかってやれなかった。もっと早く身を引くべきだった。好きになっちゃいけなかったんだ、俺なんかが……。   1人きりの部屋の中に、幸村の泣き声が響いていた。

ともだちにシェアしよう!