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第5章 1

「ありがと。さよなら。幸村さん。朝陽……」  夏野は机の上に手紙とキャッシュカードの入った封筒を置くと、部屋の中を見渡した。ほんの数か月過ごしただけなのに、まるで生まれ育った家のような居心地のよさがある。  ――行きたくない。ずっとここにいたいのに。  しかし、その目線がパイプベッドに付けられた傷に向けられた途端、夏野の心は激しい怒りに包まれる。  抑制剤が効かなくなったのはかなり前からで、医者に相談して何度薬を変えても同じことだった。医者からは欲求不満を解消するための「治療」を提案されたが、夏野はそれを受け入れることができなかった。自分の異常性を強く認識させられるその治療を受ける前に、試せることは全て試しておきたかった。  Dynamicsを消すという叶わない夢のことなど、ずっと前から諦めていた。ただ、幸村と少しでも長く一緒にいるため、夏野はもっと現実的な方法を探し求めていた。  あの日、彼はこの国では認可されていない強力な薬に手を出したのだった。苦労して手に入れたものだったが、単に夏野の体に合わなかったのか、元々の薬を過剰摂取していたのがよくなかったのか、それを飲んで数分後には激しい頭痛と吐き気に襲われた。そして、胃の中のものを全て出した後には、猛烈なDom性の欲求が込み上げてきて、誰かを傷付ける前にと、かつてのPlay用に持っていた手錠で自分をベッドに繋いだのだった。  その後のことはほとんど記憶にないが、確実に誰かとPlayした感覚が残っていた。一体誰と、そんなことは考えなくてもわかる。  ――Dynamicsなんて関係なかったんだ。このままここにいれば、俺はまた朝陽のことを傷つける。  脳裏には軽蔑と憎悪の籠もった漆黒の瞳が浮かぶ。それはかつて、夏野が壊してしまった大切な人との記憶だった。  ――朝陽にはあんな思いをさせたくない。大好きな朝陽の綺麗な瞳を穢してしまう前に、俺は行かなきゃ。  夏野はまだ残っている手首の傷に自らの爪を立て、痛みで感情を抑え込むと、ボストンバッグを掴んで幸村の部屋を後にした。黙って出ていくことに罪悪感はあったが、どこまでも優しい幸村から離れるにはこの方法しか思いつかなかった。  駅には幸村がいるし、手元にはわずかな金しか残していないため、夏野は歩いて繁華街を目指すことにした。お気に入りだった公園の横を過ぎると、揺れる木の葉が秋の始まりを告げていた。移ろう季節が、色を変える木々が羨ましかった。夏野の色は、ずっと前に与えられた色のまま決して変わることはない。

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