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第5章 6
「ここ座っていい?」
そう声を掛けると、不快感を滲ませたような黒い瞳に睨まれたが、夏野はそれを気にすることもなく萩原の向かいの席の椅子を引く。
「断っても座るんでしょう。それなら聞かなければいいのに」
夏野を睨みつけたままそう言うと、萩原は視線を落として「いただきます」と手を合わせた。彼の前に並んだカレーと唐揚げ丼を見て、夏野は明るい声を上げる。
「俺もさっき唐揚げ丼食ったよ。旨いよな。……ってか、それ1人で全部食うの?多くない?」
「他にも誰かが来ると言えば消えてくれますか?」
その言葉に動揺することもなく、夏野はテーブルに肘をついてその目を真っすぐ見つめる。
「あはは、いいよ。ほんとに誰か来たらすぐ消えるよ。……でも、大地はいつも1人なんだろ?」
夏野が名前を口にした途端、萩原は一瞬だけ手の動きを止めた。夏野はそれを見逃さず、追い打ちをかけるように自分のペースで話し続ける。先日の仕返しのつもりだった。
「なぁ、大地。ゼミの皆困ってるよ。大地が何でも1人で抱えて協力もしてくれないって。グループ研究だってわかってて竹中ゼミ選んだんだろ?それなら大地も……」
「僕がこのゼミを選んだのは竹中教授の論文を読んだからです。教授の指導を受けるには他に選択肢なんてなかった。それに、教授はこのスタイルでもいいと言ってくれています」
澱みなくそう言うと、萩原は再びカレーを食べ始める。棘のある口調に似合わない丁寧な所作で食事を続ける姿を見ながら、夏野は彼の口が意外と大きいことに気を取られていた。
「大地って……」
「そもそも他のゼミ生が困っているから何なんですか?あなたには関係ないでしょう。大体、迷惑なのはあなたの方です。あなたが教授を困らせているせいで僕までその愚痴を聞くはめになった。それがどれほど時間の無駄だったか、暇人にはわからないでしょうね」
――口の減らない負けず嫌いか。意外とかわいいかも。
自分が何かを言う前に言い返してくる様子を見て夏野は心の中で笑みを漏らしたが、それを表には出さずに困ったような表情を浮かべる。
「そんな怒るなよ。でも、大地、俺のこと覚えてくれてたんだ?だったらさ、名前で呼んでよ。名前も覚えてるだろ?」
「僕があなたを何と呼ぼうと僕の勝手でしょう。前にも言ったと思いますけど、僕はあなたに興味なんてないし、親しくするつもりもありません」
夏野は漆黒の瞳の裏にあるものを読み取ろうとじっとそれを見つめていたが、やがてふっと目を逸らせた。萩原は夏野を言い負かしたと思ったのか、口元を僅かに緩ませて再び食事を始める。
――やっぱりちゃんと俺のこと覚えてるんだな。意外と寂しがり屋なのかも。これならいつか仲良くなれる気がする。
大学での居場所を失いかけていた夏野は、萩原との関係に新しい何かを見出し、少しだけホッとするような気持ちを抱いていた。
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