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第8章 9

「……朝陽?」  聞き慣れたよく通る低い声。もう二度と聞くことはないと思っていたその声で名前を呼ばれ、幸村はそれだけで心が震えるような気がしていた。 「そうだ、朝陽は……おい、逃げんじゃねぇぞコラ」  バタバタと廊下で騒がしい音がして、夏野は男を引きずるようにしながら幸村のいる洋室に入ってきた。 「朝陽……!そんな……この野郎!!許せねぇ!!」 「夏野、待て!やめろ、もう……」  その惨状を見た夏野は、既に虫の息となっている男に再び殴りかかろうとしたが、幸村はそれを止める。夏野は悔しそうに舌打ちをするとダクトテープを使って男を乱暴に拘束した。そして、幸村に向き直り泣き出しそうに顔を歪める。 「……朝陽、ごめん、俺……」 「夏野……何でここに……」  懐かしい香りが漂う。久しぶりに嗅いだ夏野の匂いは、思い出の中よりもずっと色濃く、心地よいものだった。夏野は幸村を抱き締めながら、涙を堪えて謝罪の言葉を何度も呟く。 「朝陽、朝陽、ごめん。俺が、俺が朝陽を1人にしたから……ごめん、ほんとにごめん。俺が、俺のせいで……」 「夏野……ほんとに、夢じゃないんだよな?お前はほんとにここに……帰ってきてくれたんだよな?」  幸村の言葉に、夏野はハッとしたような表情を見せて、それから涙を1粒流すとにっこりと微笑み頷いた。  きっと、大切な我が子を天敵から守り抜いた親猫もこんな目をするんだろう。そんな安らぎと希望が見せた幻覚に、幸村は心が満たされるのを感じていた。  温かな胸に抱き締められて、幸村は眠りにつくように意識を失った。

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