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第3話

遠くで花火大会を知らせる号砲が鳴っていた。今日は天気がいいので無事に花火は打ち上がるだろう。 「先生、今日の花火大会やるみたいですね。ここから見えるかな…」 見えるぞと、冷蔵庫を覗きながら十和田は答えている。ビールを手にしているので、今日はもう原稿を書くことはしないのだろう。 「天ぷら揚げましょうか?」 千輝は十和田に質問をしながら、ビールを取り上げ缶のプルトップを引き上げ開けて渡してあげた。 左腕は出来るだけ動かさずにいて欲しいため、色々と千輝が手伝っている。最初は怪訝な顔をしていた十和田だが、最近は大人しく言うことを聞いてくれている。 「紅生姜の天ぷら食べたい」 好きな食べ物、食べたい物、リクエストが増えてくるたびに嬉しさも感じるようになっていた。十和田はいつも美味しそうに千輝の料理を食べてくれている。 「花火が見えるところで今日は食べましょうか。今から作っちゃいますね」 「俺はもう今日は何にもやりたくない」 キッチンから見えるリビングのソファに、十和田はダラっと横になりビールを飲んでいる。 「そういえばさ、お前の元彼そろそろ捕まるぞ。金返ってくるんじゃないか?全額はまぁ無理かもしれないけどな」 「えっ?本当ですか?」 千輝の金も荷物も持ち逃げした元彼は、十和田の友人の刑事である工藤が追っている事件に関わっていた。だけど、事件の詳しい内容は千輝には教えられていない。 「多分、来週くらいだって言ってたぞ」 十和田が千輝を庇って怪我をした時、工藤と十和田は一緒にいた。 十和田が怪我をしたので、千輝は病院に連れて行ったが、その場の後始末はその刑事である工藤がやってくれたそうだ。 「だから、工藤が来週来ると思うから」 「わかりました。お手数おかけしてすいません」 十和田の左腕を怪我した事を思い出し、シュンとして千輝はそう伝えたが、それを見て、あははと大声で十和田が笑っている。 持っているビールが溢れそうだ。咄嗟に千輝が近寄り、ビールを受け取ってテーブルに置く。無事、溢さずに済んだ。 「そんな男に、何でお前みたいなのがくっついたんだろうな。こんなに純粋な子なのにな」 「何でって…」 元彼は初めて好きになった人だった。自分とは全く違う性格で、大胆な行動力に惹かれた。好きだと言われ、なんとなく千輝のアパートで同棲を始めたのだ。 好きだと言われたことは嬉しかった。あれも嘘だったと思うと少し寂しいが、人から好きだよと言われるのは初めてだった。それがきっかけで、あの男を好きになったような気もする。最後はバイブだけ置いて、逃げられたけど。 自分が男の人を好きになるのは随分前からわかっていた。異性を好きになる周りのみんなとは違うと感じてる。更に世間では、同性を好きになることは普通じゃないという声も多いと知っていた。 どうして同性を好きになることが普通じゃないと多くの人は言うのだろう。恥ずかしいことなのだろうか。考えればそれだけ心が狭くなっていく。好きになった人がたまたま同性だったなんて、そんな都合のいいことにはならない。同性しか好きになれないんだから。 そんなことを誰にも言えず悩み、自分の気持ちを隠して生きていくしかないと思っていた。だけど、偶然にも十和田はそれを知ったが、嫌な顔もしなければ、興味津々で聞きまくることもせず、至って普通に接してくれていた。 そんな十和田のそばにいるのが心地よかった。 「ま、恋愛なんてそんなもんか。本当、面倒くさいだけだよな」 十和田はソファに仰向けになり寝る体勢になっている。ご飯が出来たら起こせよと全身で言っているようなもんだ。寝に入ったらブランケットをかけてあげようと千輝は思っていた。 『いいか千輝、自分のやることにだけ意味があるんだ。まわりはそんなに関係ない、気にするなよ。そう思ってやっていけ』 一緒に暮らし始めて、十和田はそう言って千輝の背中を押してくれた。 落ち込んでいた千輝を励ましてくれたのだろう。だけど、千輝がずっと悩んでいたことが何故わかったのだろうとも思った。 千輝がゲイだということも、悪い男に騙されたことも、そんなのは小さいことだと。そんなことで卑屈になり、周りの目を気にして生きていくなということを、何度も教えてくれた。 失敗したら巻き返しをすればいい。自分のことを一番大切にしてやれ。我慢することが正しいことではないからな。自分を否定するなよ。 人生で一番落ち込んでいた時、千輝を十和田はそう言って支えてくれた。 花火大会が始まる頃、食事の支度もできたので十和田を起こす。 リビングから見える庭の先で花火が上がるようだ。大きなリビングの窓を開けてると風が流れて気持ちがいい。 出来上がった紅生姜の天ぷらを食べ、ビールを飲んでいる十和田が隣にいる。こんなに優雅で贅沢な日々は初めてかもしれないなと千輝は考えていた。 「先生って、左利きなのに右手でもお箸を持てて器用ですよね?」 「案外、どっちでも出来るんだよ。でも左の方がしっくりくる」 「そんな感じなんですね…あ、お蕎麦食べますか?茹でておきました」 「千輝…日本酒飲んでいい?」 あまりアルコールは飲まない方がいいと、医者から言われたことが千輝の頭には残っている。怪我が治るまでは控えて、傷の炎症を悪化させるからねと、救急車で運ばれた病院で聞いたからだ。 だけど、十和田は毎日ビールを飲み、ほっておいたら日本酒でもワインでも何でも飲んでしまう。本人は気にしていないようだが、何度も千輝が伝えて、やっと最近になりこうやって聞いてくるようになっていた。 「お医者様が、包帯が取れるまではあまり飲まない方がいいって言ってました」 「もう大丈夫だよ。ほら」 そう言って左腕を振り回している。必死になって言う十和田に笑ってしまう。 「来週、病院に行ったら確認して下さい」 千輝がそう言うと、えーっと声を上げている。不服そうではあるが、言うことを聞いてくれているのを知っているので、千輝は小さく笑っていた。 花火は遠くの空に上がり始めた。 「綺麗ですね。音も聞こえる」 「そうだな。俺も初めて見たよ」 「先生、ここに住んでて初めてですか?今まで見たことなかったの?花火」 「ああ、わざわざ見るもんでもないだろ。こうやって見ることはなかったな」 食べ終わってごろんと寝転がっている。 そんなに花火に興味はないか、と思いリビングの窓を閉めようとしたら、まだこのままでいいと言われた。 「千輝、見たいだろ?」 十和田のこういう無意識に優しくする態度に、千輝は心をひきつけられるのを感じている。一緒に暮らす時間が長くなるほど、気持ちが傾いてきているのがわかる。 自分は意外と恋愛体質なのかもしれない。フラれてすぐに別の人にひかれるなんて、お手軽過ぎて自分自身に嫌気がさす。 リビングの窓を開けたまま、寝転がる十和田の隣に座り直した。十和田はそのまま千輝の腿までずり上がってきて、千輝をひざまくらにし、横になって花火を見ている。 最近は、ソファに座りテレビを見ている時も、ひざまくらの体勢になることが多い。十和田の怪我が治るまでは、このままでいたいなと思ってしまう。 「花火って綺麗で好きです。今日は雨の予報も出てたけど、晴れてよかったですね。毎年花火大会の日は晴れればいいのに」 「来年は、日本酒飲ませてくれよ。紅生姜の天ぷらと一緒にな。あ、後は蕎麦も食べたい。来年は今日のやり直しだな」 ほらまた無意識にそういうことを言う。 来年の約束をしたような言葉を千輝に投げかける。嬉しくなってしまうじゃないか。

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