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第15話

『今日はいい天気だ。君といつも一緒に行っていたスーパーでアイスを買い食べながら帰ってきたが、もう夏は過ぎてしまったので、肌寒く感じた』 『坂道の途中から海が見える。少しだけ見える海が好きだと君が言った理由がわかる気がした』 十和田と暮らし始めた日々を思い出し、千輝は泣きそうになった。 坂の下のスーパーからの帰り道、アイスを一本食べ終える頃に十和田の家に到着する。坂の途中で振り返り海を眺める千輝を、いつも十和田は待っていてくれていた。 『花火を思い出したから、天ぷらの作り方を調べて作ってみた。おいしくない。君が作るのとどこが違うのだろう。俺は君が作るクラムチャウダーも好きだ』 『左腕を心配されたくてまだ治っていないと言ってしまった。君は知ってると言ったが、知らんぷりしててくれた。今思い出してもそれは嬉しく思う』 『俺は君のひざまくらだといつも寝てしまう。目が覚めた時に見上げると、君と目が合うのが好きだった。下から見上げて君を見るのも好きなんだ』 『君に名前を呼ばれたくて、どうしたらいいかわからず、外では先生って呼ぶなと伝えた。本当は名前で呼んでほしかったからだ』 いつも何を考えているかわからない十和田が、こんなに雄弁に語っている。もっとたくさん気持ちを話してくれればよかったのにと思う反面、これが十和田なのかもなと愛おしく思う。 『最近、近所に知り合いとなったご年配の方がいる。犬を飼っていて、いつもその犬と俺は、スーパーで買い物中のその婆さんを外で待っている。犬は待てが出来ると聞いた。俺はそいつを先輩と呼んでいるが、本当の名前はチロというらしい』 『先輩は、いつ戻って来るかわからない不安な状態でも、騒がずに凛とした姿勢で飼い主のことを待ち続けている。俺にもそのコツを教えて欲しいと、いつも先輩に話かけている』 クスッと笑ってしまった。十和田の新しい生活がちょっと見えた。犬を飼っているご近所さんはどこの家だろうかと想像した。 その後送ってきたメッセージは、更に内容が変わってきていた。 『迎えに行きたい。会ってくれるだろうか。拒否されるのが怖いが、君に会いたい』 『君の声が聞けないのがこんなに不安になるとは知らなかった。こんなに辛いことだと初めて知った。俺は今までひとりで何をしていたのかわからない。君の声が聞きたい』 メッセージを読んでいる間に終電は出てしまった。千輝は立ち上がり、店を閉め歩き始める。 『俺には時間がありすぎる。時間があるのに君のことを考えていて一日が終わってしまう。勝手に君のことを自分のものだと思っていた。身勝手だとわかっている』 『千輝、疲れていないだろうか。休めているのだろうか。何も出来ない自分に腹が立つ』 千輝は店を出ていつも通る道を歩き進み、角を曲がってスーパーの前を通る。夜遅くだからスーパーは閉まっていた。誰もいない夜の空気は澄んでいる。 『キスをしたら、君は受け入れてくれるだろうかと心配だった。受け入れてくれた時、俺は舞い上がっていた』 アパートでの夜、電気を消して暗闇の中、千輝の唇を離さず長いキスをしていた日々を思い出し胸が痛くなる。 メッセージを読みながら歩っていると、新しいメッセージが十和田から入ってきた。今まで送っていたメッセージが既読になったのが十和田にわかったのだろう。 『今日は月が大きい。君に見せたい。君も見ているかな』 千輝は、坂の途中から空を見上げた。 大きな月が出ていた。今まで下ばかり向いていたので、空を見上げたのは久しぶりだった。振り向くと少しだけ海が見えた。 『少しだけ見える海に月が反射してる』 千輝は迷ったがそう書いて送った。 既読になったが返信は来ない。 『坂道の途中にある木に蕾がついた』と、 続けて千輝からメッセージをもう一度送った。すぐメッセージは既読になるが、やはり十和田から返信は来ない。 千輝は坂の途中で立ち止まり、木についた蕾を見上げた。それは、冬が近くに来ていると教えてくれているようだった。 『君が好きだと言った黄色い花が咲く木だろ?名前はわからない』と、十和田から遅れて返信があった。 『木の名前はね、蝋梅(ろうばい)』 千輝が返信した後すぐに坂の上から大きな男が音を立てて走ってきた。足元は季節外れのビーチサンダルだった。 「千輝…」 抱きしめられる。 久しぶりに十和田の匂いを嗅ぎ、胸が締め付けられ涙が出た。 「千輝、好きだ」 身体の大きな十和田が千輝を強く抱きしめる。好きな人の声を聞き、鼓動を感じることがこんなに嬉しく安心するものなのかとわかる。 抱きしめている男の背中に手を回してもいいのだろうか。一瞬躊躇したが、『自分のやることにだけ意味がある』と、いつも十和田が教えてくれたことを思い出し、千輝は手を十和田の背中に回した。 「好きだ、千輝…会いたかった」 大きな身体をかがめて、十和田は耳元で何度も囁く。 夜深く人がいない坂の途中で、千輝は涙が溢れ声が漏れてしまう。 「大誠さん…」と、何とか声に出して言えたと思う。 名前を呼ぶことは大切なことだと、教えてくれたことの意味をこの時知る。 坂道を二人で手を繋ぎ登って行く。

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