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第25話

自宅までまた小一時間電車に乗る。帰りは十和田と二人なので、電車の中も楽しい。 電車に乗るのは久しぶりだと十和田は言っており、横顔を覗くと楽しそうだった。 タクシーじゃなく、電車で帰ることにしてよかった。 平日、都会から下る電車なので空いていて座れる。横並びで座り、顔を見合わせて笑い合った。 「指輪を買うなんて驚きました。しかも、高級なジュエリーショップだし…」 電車の揺れにあわせて肩がぶつかる。隣に十和田がいるとわかるだけで嬉しくなる。 「それがさ...」 少しばつが悪そうに、十和田が腕を組みながら話始めた。 プロポーズをしたばっかりなのにホテルにカンヅメは嫌だ、帰らせろと、十和田は駄々をこねた。そこまでは、千輝も知っている。毎日電話でそう言っていたし、太田からもメールで何とかお願いしますと、助けを求められていたからだ。 十和田と同じく、加賀も書けくなっていたようで同じホテルに滞在しミステリーのトリック部分を書くことになったという。 二人の滞在先はホテルの中でも、クラブフロアだったらしい。フロアの客は二人だけだったようで、クラブラウンジ内のミーティングルームは出版社の担当編集者が使い放題で、編集者と常にそこでミーティングを繰り返していた。 「酒はホテルのクラブラウンジだけで飲んでたんだ。他に行って飲んでないし、部屋でも飲んでなかったよ」 お願いとして伝えていたことを覚えてたんだと、嬉しく思う。千輝の意見も無視せずに守り、少しの間、お酒を控えていたようで安心した。 部屋で執筆し、クラブラウンジでミーティングをする日々を送っていた時、加賀も、別のミーティングルームにいて会うことが多くなった。そこで加賀に言われたことが十和田を動かした。 「俺が千輝にプロポーズしたって話を、編集部の奴らがやたらと聞いてきてさ、まぁ、話してたらそこに加賀もいて、俺の話を聞いて笑いやがったんだよ」 加賀は、「手ぶらでプロポーズする奴なんかいるか、指輪か花束を持ってプロポーズするのが普通だろ」と言ったそうだ。 十和田は、「そんなもんなのか」と素直に話を聞いたらしい。売れっ子の恋愛小説家が言うんだから間違いないよなって思ったと言っている。 多分、加賀はプロポーズ用の指輪のことを言ったと思うが、十和田の頭の中には指輪といえば結婚指輪しか想像できなかったようだ。何となく十和田の行動が読めて可笑しくなる。 「で、これを書き終えたら指輪を買うって決めたんだ。それで、どこで買えばいいのか?って聞いたら、加賀と編集部の奴らとで探してくれてさ、ホテルから近い銀座にあるからって言うんだよ。それで、太田が店に話つけてくれて、千輝が迎えにくるし一緒に行けばいいかって思ったんだ」 やっぱり指輪を買うと決めただけで、よくわからなかったから周りに聞いていたんだとわかる。ジュエリーなんて興味がないのに、頑張って行動してくれたんだなと思うとじわっと心が熱くなる。 「そうだったんですか…僕は言葉だけで十分嬉しかったですけど」 「…また俺、間違えた?」 「違う、違う!嬉しいですよ!ありがとうございます。指輪なんて初めてだし、どうしたらいいかびっくりしましたけど。ものすごく素敵な指輪でしたね。嬉しさは、じわじわと込み上げてます。結婚指輪…?って言ってたし、大誠さんもつけるんでしょ?」 「つける。二人でつけるもんなんだろ?」 「そうですね。何だかくすぐったいけど本当に嬉しいです。あ、でも僕はキッチンに入る時はつけられないから…その時はどうしようかな。それみたいに首から下げとこうかな」 十和田が首からぶら下げている紐を指差して千輝は笑いながら伝えた。 十和田は、黒のライダースジャケットの下はTシャツだ。そのTシャツの下には千輝が緊急で購入した『犬のポーチ』がぶら下がっている。外からは見えないように隠れているのが救いだった。 「これだろ?」と、紐を引っ張り上げようとしているので、千輝は慌てて止めた。 「大丈夫!大丈夫!出さなくていいですから。…財布も新しい物買った方がいいですよ。ずっとそれってわけにもいかないでしょ。まさか首から下げてるとは思わなかったし。びっくりしましたよ」 「これでいいよ。便利だぞ?これ。編集部でも人気だった」 「えっ?見せた?みんな知ってる?」 うん、と腕を組みながら頷いている。 千輝から言われた通り、ポーチを財布代わりにして使っていたので、ずっと首から下げていた。ホテル執筆中に煮詰まり、気分転換に出版社まで遊びに行く時も下げていったら、みんな話しかけてきたそうだ。 「女の子とかは、可愛いって言ってたぞ。これなんですか?って聞くから、俺の恋人が財布にしろってくれたって言っといた。でもさ、なんでか太田が千輝が迎えに来る時は下に隠しておけって言うから、今日はこうしてたんだよ」 ずっと外に出してぶら下げていたと思われる言い方だった。人気作家で社会的地位もある男の財布が、やたらファンシーな子供のポーチだなんて、きっとみなさん驚いただろう。 それに、強面で身体の大きな十和田なので、持ち物とのギャップもかなりある。 次の給料で財布をプレゼントしようと、千輝は心に誓った。 窓からの風景が変わってきた。もうすぐ駅に到着する。今日と明日は休みなので、二人でゆっくり出来るのは本当に久しぶりだ。 特に言葉に出して伝え合っていないが、二人とも、その時間を楽しみにしているのがわかる。あの時のやり直しをするために。

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