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第29話【R/A】
「なぁ…簾」
風呂上がりの暁斗が、すすっとソファに座る簾に近寄ってきた。まだ髪が濡れている。乾かさないとそろそろ風邪をひく季節になる。
簾はドライヤーを取りに行き、ソファに座りこっちを見ている暁斗の髪を乾かしてあげた。二人で暮らしていると、こんなことも出来るのかとわかり楽しく思う。
「簾さ…やりたいことってなんだよ」
「なんだ?気にしてたのか?」
この前、簾が千輝の前で「やりたいことがある」と言ってから暁斗は気にしていたようだった。
「俺さ、簾の近くにいるのに気がつかなかったなと思ってさ。ずっとこのまま働いていくもんだと思ってたんだけど」
「千輝さんのとこでは働くよ。だけど、まぁ他にもやりたいことはあるかな」
笑いながら暁斗に聞く。簾の手は乾かす暁斗の髪を掬い上げている。
「俺は…そんなやりたいことなんて、考えたことなかった。カフェアートがもっと上達すればいいなくらいかな。もっと色んなリクエストに応えられるようにしたいな」
「お前はすごいな。ちゃんと考えてるじゃないか。暁斗のカフェアート、評判いいもんな」
髪が乾いた。暁斗の髪の毛は少し癖毛だから、乾かした後はふわふわになっている。簾は暁斗を抱きしめたいと思う気持ちはあるが、今は髪を触るだけで十分だとも思っている。
「だから!お前のやりたいことだよ。ちゃんと言えよ!この前からずーっと、はぐらかしてばっかり」
くるっと後ろを振り向いて言う暁斗の頬が赤くなっている。ドライヤーをかけていたから暑くなったのだろう。簾はククッと笑ってしまった。
「笑ってないで言えよ!」
「ごめんごめん…俺のやりたいことな」
何を言われても笑ってしまう。朝起きてから夜寝るまで、暁斗と一緒に暮らしているのが楽しい。
「まだ具体的には決まってないんだけど…
俺はこの辺でずっと育ってきている。まぁ、地元ってやつだな、ここは」
簾がぼんやり考えていたことが、ここのところ形になって見えてきた。それは色々なカフェで勤務していたことでわかったことだった。
カフェで働いていると契約してる農家と仲良くなる。野菜もあれば果物も契約しているから毎日カフェに運ばれてくる。
「これ使って何作るんだ?」とか、「新しい野菜あるよ」とかそんな話から、最近は天災などが多く売れない野菜もあって困ったという話まで、色々な事を話するようになった。
価格が何となく安定しないと売れないし、買えないという悩みは、売る側の農家の人達も、買う側のカフェも共通のようだった。
食費を節約したい、食材を無駄にしたくないと生活していればみんな考えることだ。
野菜や食料を作る生産者も、それを使う消費者も、一個人となればみんなそう同じことを考えているはず。コストと無駄の両方救えることはないかと考えている。
「何となくな、生産者と消費者を繋ぐ何かをしようと考えてるんだよ。俺はこの地元が好きだしな」
「えっ?簾、カフェ辞めちゃうの?」
「そんなすぐには辞めないよ。とりあえず今は金も無いし。ちょっとずつ何か始めようかと考えてるとこ。野菜が足りなくて値段が高くなるのも、余って捨てることになるのも、どっちも嫌だし。どっちも無いようにしたいなって」
ふーんと言う暁斗の横顔は、また何を考えてるのかよくわからなかった。
暁斗との話は何だか中途半端で終わったので、簾は冬のメニューとするチーズフォンデュの展開を考え始めた。
二人で暮らし始めてから、寝る部屋は別々だがキッチンとリビングは共同で使っている。なので、二人共寝るまではリビングにいるのが日常だった。
冷蔵庫の中を開けて野菜や果物、冷蔵庫の中の物を全てキッチンテーブルに出し考えていると、暁斗がそれを見て寄ってきた。
「今から作るの?チーズフォンデュ?」
「うん。ちょっとだけな。やってみようかなって思ってさ」
「なあ…簾、チーズフォンデュのチーズって残ったらどうする?捨てる?」
「うーん、捨てるのはなぁ、嫌だよな」
「お前が言ってるやりたいってことはさ、そういうことでもあるんじゃないのか?
お客さんに食べてもらいたいって思うけど、残さないでとも思うんだろ?だったら、チーズフォンデュも最後まで美味しく食べてもらう何かを考えた方がいいよ」
さっきまで興味がなさそうにしていたと思ったのに、暁斗の言葉に簾は驚いた。
「へー…アホヅラしてたから聞いてないかと思ったけど、お前考えてたんだな」
アホヅラって何だよ!と言い、ふざけ合う。暁斗のこんな明るいところにも惹かれている。
◇ ◇
暁斗からお願いと言われていることがある。暁斗のお願いなのでいつもはすぐに「OKいいよ」というところだが、今回はちょっと難しい。
「簾、お願い!一緒に行ってくれ」
カフェに来る女の子から暁斗にデートの誘いがあったという。そのデートはダブルデートとして簾も誘われた。
「結衣 ちゃんが、もうひとり友達連れてくるっていうんだよ。その子は簾と知り合いになりたがってるんだって。だからさ、今度の休みにランチデートしようって言われてさ」
「結衣ちゃんって誰だよ…いつそんな話になったんだ。接客中に連絡先とかもらうなよ」
面白くない。
ホールで接客中に連絡先を渡されたのか。そんな誘いにいそいそと乗り、デートに出かけて欲しくない。簾は暁斗から話を聞けば聞くほど、不機嫌になっていくのが自分でもわかっている。
「お前なんて毎日色んな女の子から連絡先もらってるじゃん!俺だってもらう時あるよ。なぁ、簾…いいじゃんランチだけだよ」
簾の知らないところで暁斗がちょっかいを出されたことにもムカついている。しかし、何故そんなに暁斗はデートをしたがるのか、それについては不安である。
「なんでそんなに行きたいの?暁斗は、その子を気に入ってるの?」
聞きたくないけど暁斗に理由を聞いてみる。
「デートってしてみたいじゃん。俺、そんな事したことないし…せっかく誘われたからさ、行ってみたいってのもあるし…ほら、もしかしたら付き合うってことになるかもしれないだろ?」
簾は思わず立ち上がってしまった。リビングのソファから立ち上がり、手持ち無沙汰になったので冷蔵庫に飲み物を取りに行った。咄嗟に掴んだのはビールだった。
付き合うかもと、暁斗の口から出た言葉に衝撃を受けた。暁斗が知らない誰かを恋人にするなんて考えたくもない。
「暁斗は彼女が欲しいの?」
冷蔵庫からビールを取りソファに戻る。何とか平然と声を出すことができたと思う。
「欲しいっていうか…わかんないけど、出来たらいいなと思うよ。デートとか、付き合うとかしたことないし。お前はどうなんだよ。お前だって彼女いないだろ?」
阻止しなければと思う。二度と誘わないようにその女に釘を刺してやろうかと、簾は考える。
「んー?俺?今はなぁ、彼女はいらない。色々忙しいし、暁斗と遊ぶだけでいいよ」
心の中とは裏腹に平然とした態度で答えた。内心は、はらわたが煮え繰り返る思いだ。その女の顔を見てみたいと思い始めている。
「へー…お前ってクールだよな。じゃあさ、いい?協力してくれる?」
「協力ねぇ…ま、いいよ。ランチだけでしょ?現地で会って現地で解散だな。バイクで行こう。そしたら帰りにどこか寄れるし」
そっちがデートって言うのなら、こっちも暁斗とデートしているつもりだからという気になる。家族や友人から腹黒いと言われた性格を、存分に使ってやる時だなと簾は思っていた。
「やった!ありがとう、簾。早速、結衣ちゃんに返事しとくね」
「OKいいよ。あっ暁斗、そのメール俺にも後で見せてね」
ウキウキとしている暁斗は可愛らしいが、そんな浮ついた顔は俺の前だけにしてくれと、簾は心の中で舌打ちをする。
頭の中で簾は『ダブルデート』の計画を立てる。冗談じゃない、この生活を壊すようなことをする奴は許さない。その場に行って目に物を見せてやる。わからせてやる。
簾はビールを飲み干し、缶を乱暴に握りつぶした。
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