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第31話
カフェ営業終了後、片付けをしていたら店の前にタクシーが止まり、大きな身体の男が降りてきた。
「千輝!」
カフェの入り口から聞こえるその大きな声に、簾も暁斗も他にいるスタッフもみんな振り返り、その声の大きさにびっくりしている。苦笑いをしているのは千輝だけだ。
小説の直しから解放されたのだろう。帰って来れたということは、終わったんだなと思った。
「おかえりなさい。タクシーで帰ってきたんですか?」
千輝の姿を見て大股で歩み寄る。十和田の手は千輝を抱きしめようと広げているのがわかる。
ここは店で、スタッフも他にいるから千輝はそれを阻止しようと必死に考えた。その千輝の考えをいち早く察したのが簾だった。
「大誠さん、お疲れ様です。今日はこれから試食会をするんですよ。大誠さんも一緒にどうですか?」
簾が間に入り十和田に話しかけてくれた。数日会えていなかったから、簾が咄嗟に止めてくれなかったら、人前でキスまでされていたかもしれない。
「ああ、簾。お前、引っ越し終わったのか?そうだ!お前に渡すものあったんだ。今度また持ってくるから」
十和田が簾と話している間に千輝はキッチンにささっと入る。続けて簾も試食する料理の準備にキッチンに入ってきた。十和田の話し相手は暁斗に代わっているようだ。
「簾くん…ありがとう。何となくわかるんだね、大誠さんの行動が」
「無自覚な人には俺も手こずってますからね。つうか、無自覚が自覚するとあんなになるんですね。羨ましいな…まぁ、千輝さんは大変そうだけどね」
「ええっ!何それ?簾くん大丈夫?何かあったらすぐ相談してよ。この前も女の子来て話してたし…」
簾が何か悩んでいるのかと気になったが、聞いても「何もないよ」としか返事は返ってこない。心配だが見守るしかないのかもしれない。
キッチンでそんな会話をしつつ、二人でバタバタと支度をしてテーブルに食材とチーズフォンデュの鍋を並べ始める。十和田は暁斗にいつもの遊びをしていた。
「いいか、暁斗。続きをよく聞けよ?その部屋には鍵がかかっていた。そこにいたのは瞳だけだった。瞳はその部屋で死んでいた。死後数日経っている。家に来ていたのはさっきの話に出ていた弟の健二と妹の茜の二人だ。さて、犯人は誰だと思う?」
十和田の話を真剣に聞いている暁斗の顔が面白いと、簾が隣で笑っている。
「もう、大誠さん。あまり暁斗くんを揶揄わないで」
千輝が嗜めるも、十和田は笑いながら話を続けている。千輝は試食会の準備をする手を休めることなく伝えた。
「ほら、暁斗くんも。こっちの準備が出来たから。大誠さんのこの話にオチはなくて正解もないよ?誰でも犯人に出来るんだから」
「ええっ!すげぇ!マジで?誰でも?」
千輝の言葉を聞き、暁斗は驚き大きな声を上げ十和田を見つめている。それを見て簾は更に大きな声で笑っていた。
十和田のこの遊びには散々千輝は付き合ってきた。登場人物全員を犯人にしてトリックを考えることが出来るが、それを実際本に書くことはない。十和田にしてみたら、ただの遊びだということも知っている。
「大誠さんがあれやると暁斗が凄く食いついて…その日の夜はずっとその話をするんですよ。あれ、遊びなんですか?」
キッチンでドリンクを作っている千輝に簾が尋ねてきた。
「そうだね。遊びっていうか…ああやって何か次の引っ掛かりを考えてるって感じなのかな。話してる内容は絶対本に書かないし。後、機嫌がいい時にあの遊びが出る」
「へぇ…」と手を止めて簾は千輝を眺めている。何だろう、そんなに驚いた顔をしてと聞くと、「そんなに色々と分かり合えるように二人はなったんですね」と言われ、途端に千輝は恥ずかしくなった。
確かに、いつの間にか分かり合えるようになってきているなと千輝も考えていたが、面と向かって言われると恥ずかしい。だけど、嬉しいことでもある。
「食べましょう。いいですか?暁斗くん、ほら、そんなに考えないの。誰が犯人でもいいんだって大誠さん言ってなかった?」
「いやいや、千輝。最近、俺はそうじゃないぞ」
途中に十和田が口を挟んできた。隣に座る千輝の腰に手をナチュラルに回している。
「前はトリックが重要だから犯人は、まあ簡単に考えていた。だけどな、今は犯人のバックボーンや人の気持ちが動かすものが重要だとわかった。千輝を好きになって、人はどうしても好きになる気持ちは抑えられず、気持ちを変えることは出来ないのがわかった。だから、犯人が犯行を犯す理由もあるってことだ」
千輝を見ながら「なっ?」と言い放つ十和田はカッコいいが、また無意識な発言をしている。
ここには二人の関係を知っている人しかいないから問題ないが、千輝は恥ずかしくもあり、嬉しくもある。何とも複雑だ。
「すげぇ…堂々と惚気てる…」
「マジか…大人の惚気って初めて見る」
簾と暁斗に言われ千輝は恥ずかしくなるが、十和田はゆっくり頷いている。
「いいか?よく聞けよ。恋は突然始まることがあるけど、始まった後に、もう一度その突然は来ないんだ。その後は、じわじわなんだよ」
「じわじわ…?」
「じわじわ…ですか…」
十和田が急に語り出したので、暁斗だけではなく簾もいつの間にか釘付けで、十和田の話を聞いている。
「そう。じわじわだ。じわじわとした時間で、恋から愛に変わったり、中にはじわじわと愛が薄れていくこともあるだろ?そのじわじわと育った愛が拗れると、もしかしたら犯行を犯すかもしれないしな。だけどな…そのじわじわが大切なんだよ。これは当事者しかわからない感情だな。思い出すことは全部その『じわじわ』とした時間に起きたことだけなんだ。突然始まった時の恋の気持ちなんてより、その『じわじわ』をどれだけ集めることが出来るかで、その後も変わってくるんだよ」
二人は、うんうんと頷きながら十和田の話を聞いている。
「もう…いいですか?二人共、そんな真剣な顔をしないの。ほら、よく見て!大誠さんはニヤニヤしてるでしょ?」
真剣に聞く二人を見て、十和田はニヤニヤしている。若者が考えている姿を見るのが好きなんだと思う。
「まぁな、俺はじわじわと千輝への愛を育ててるんだ。なっ?俺、愛を育てるの上手いもんな?」
と、千輝の方を見て言う十和田の手は、まだ千輝の腰をしっかり抱いていた。
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