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第38話

十和田の新刊発売日は、ひとりで駅前の本屋まで行くと決めていた。 十和田と加賀の人気作家合作の小説が発売されるとなり、巷での前評判は凄かったらしい。それに、出版社も総出で盛り上げていると聞いている。それを聞き、更に千輝は楽しみにしていた。 十和田は「今回は遊びの延長で二人で書いたものだから、大きく広告は打たないだろうし、なんかの付録みたいなもんだ」と以前言っていたが、予想に反して大々的な広告を出していた。 本屋に入り新刊コーナーを探す。最近はカフェと本屋が隣接していたり、何かとオシャレな本屋になっている。ここもそうだ。 だけど、本屋の匂いは変わりない。本屋の匂いにはワクワクする。新刊コーナーまで、その匂いを嗅ぎながら進んで行った。 仕掛け販売で店頭にその本はあった。大量に積みあげられていたので目を引く。出版社と本屋の力の入り具合に気合を感じ、千輝は自然に笑みが溢れる。 本の表紙に釘付けになってしまった。表紙タイトルには蝋梅(ろうばい)と書いてあったからだ。 十和田と買い物の帰り道に、よく見上げている坂の途中にあるチロ先輩の家の木。千輝が好きだと十和田に話をしたあの木が、蝋梅(ろうばい)だ。表紙を見ただけで気が逸る。 パラっと開いて冒頭を立ち読みした。 『君が好きだという庭の木に蕾が付き始めた。このまま花が開かず、蕾のまま落ちてしまうのではないかと気がかりで、どうにも落ち着かない。 だから、ここ最近は毎日床に寝っ転がって、その木の蕾を睨んで見ている。落ちるなよってな。 この木の名前はね蝋梅だよと、君が教えてくれた。 この家には、俺ひとりでいるはずなのに君が何処かにいる気がする。庭で寝っ転がって二人で話をしているようだ。 君の声が聞こえ、時間が(さかのぼ)っているような錯覚を覚える。 時間なんてもんは、前に進むだけで、時をさかのぼることは出来ないと思っていた。 昔のことなんて忘れちまえ、先に進むことだけを考えろ、それでいいと今まで思ってたんだ。 だけどな、俺は知らないうちに、君の時間をたくさん集めていたようだ。 毎日君と過ごしていた時間が嫌でも蘇ってくるんだ。 だから、俺はわかったよ。 俺の身勝手な振る舞いで、君を困らせ傷つけていたってことを。 ごめんな。 早く迎えに行って謝りたい。 君に会いたい。 会いたくてたまらないのに、君が見つからないんだ。 もう遅いのか。 自業自得なんだな』 冒頭だけ読み、千輝はパタンと本を閉じた。主人公の言葉が、離れていた時の十和田のように読み取れてしまう。 本を買い、急いで家に帰り読み始めようとしたが、十和田がいるので読むことは出来ない。 そのまま店に行って読もうとしたが、バタバタと忙しく動き回り、読むことはできなかった。 小説の続きが気になってしょうがない。 早朝か深夜であればひとりになる時間が出来る。その時に読むかと千輝は考えた。 ◇ ◇ 早朝に起きて、隣で寝る十和田を起こさないようにと、千輝は音を立てずにベッドを降り、リビング迄移動した。十和田の新刊を読むためだ。 本の内容に引き込まれていくので、読み進めたらあっという間であった。 発売日から翌日にかけ2日で読破し、今日は3日目で繰り返し気になるところを読んでいる。 十和田も言っていたように、恋愛ミステリー小説だ。ストーリー的にはミステリー要素があるため、ドキドキとしスリリングな展開であったが、千輝はどうしても主人公の言葉を十和田として捉えてしまう。 ミステリーのトリックでは、最後の鍵になるのは指輪だった。 内側に指紋が入っている指輪を恋人である二人がそれぞれ持っていたことで、謎が解けることになる。ここで話が大きく動き、最終的にはハッピーエンドになっていた。 蝋梅の花が好きだと言ったことも、難解なトリックの鍵となっている指輪の内側の指紋も、自分と十和田を重ねて見てしまう。 恋愛部分での主人公の振る舞いは、二人でいる時の十和田そのものだった。 それは普段の十和田ではなく、自分の想いを文字にすると出てくる雄弁で繊細な十和田の方だ。 小説の中では、主人公が何気なく約束をするが、その約束を守れなかったことに、恋人は傷ついてしまうという描写があった。 以前の十和田では『描写は関係ない』と言っていたはず。 だけと、この小説は同じ人が書いているとは到底思えない繊細な描写があった。 十和田が書く小説の主人公の葛藤に、息が止まりそうになる。それは、十和田の姿をダブらせて見ているからだとわかっている。 すれ違ってしまう主人公を応援しながら、主人公が最愛と呼んでいる恋人との恋を見せてもらった。最後は胸がぎゅっと締めつけられた。 千輝は、小説を閉じて胸に抱えて深い呼吸をする。十和田が書く主人公は、真っ直ぐに恋人だけに向かっている。 ほら、やっぱり十和田だと思う。 こんな言葉を繋げ大作を書く十和田は、人として本当に強く、そして繊細な人だと改めて思う。そんな十和田が誰よりも好きだと千輝は確信する。 「千輝…」 後ろから声がかかった。ベッドの隣に寝ていないから探してきたのだろう。 リビングのソファの前に十和田がしゃがみ込み、ソファに座る千輝を足元から見上げ、射抜くように見つめられる。 「ここで読んでたの知ってました?」 十和田は何も言わず、頷いている。 きっと千輝がここでコソコソと読んでいたのを見ていたのだろう。いつ声をかけようかと様子を伺っていたはずだ。それも数日前からわかっていたはず。 「もう…泣きそうになった。ハッピーエンドでよかった」 本をソファに置き、しゃがみ込んでいる十和田に抱きついた。 「もう少し向こうで寝るぞ…」 抱きついてくる千輝をそのまま抱え上げ、ベッドルームまで運んでくれた。 「なあ、千輝知ってるか?雨上がりの夜は星が綺麗なんだってよ。また庭で星を見ような。その時は、紅生姜の天ぷら食べさせてくれよ」 何気なく約束をされた。 期限ある身として、この家に置いてくれた頃、一緒に星空を見ては、出来ない次の約束を交わしたと、十和田はわかっていたのだろう。 あの頃、千輝はこの家を出たら、十和田とは二度と会えなくなると思っていた。 だから、無意識に未来も一緒に過ごすような、十和田の無自覚な発言に、千輝はかなしくなっていた。 いつ気がついたのだろうか。 小説の主人公のように、十和田も千輝がいなくなった間に、二人で過ごした時間を遡り、やり直してみてわかったのだろうか。 今だったら、いくつだって約束は出来る。 約束を守ることが出来る。 期限がない約束と、その約束を果たせることが嬉しい。 雨上がりの夜が待ち遠しくなる。 次の雨はいつだろう。 約束したんだから、ずっと先まで待ってみるのもいいかもしれない。  二人で時間をかけて待ってみようか。 その時に今の気持ちを話してみようかな。

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