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第2話
その日……渉がいなくなった前の日……渉の帰りが遅かったので、私は先に寝てしまった。夜中に目が覚めて見回すと、渉の為に付けたままにしておいた部屋の明かりは消されていて、遠慮がちにベッドの隅で寝ている渉の気配があった。静かな寝息が聞こえる。私を起こさない様にそっと入ってきたのだろう。身長180センチを超える大きな男が転がり落ちてしまいそうなくらい端に寄っているのが可笑しくて、思わず口元が緩む。そんな渉をよく見たくて、静かに寝返りを打って向き直った。ぐっすり眠っているらしく髪を撫でても起きる気配はない。布団に入ってまだそれ程経っていないのか、まだ髪が湿っていた。いつもの如く、髪を乾かさずに寝たのだろう。翌朝、髪が爆発してイライラするのは自分なのに、本当に懲りないヤツだと思う。そんなところも堪らなくかわいいのだけど。
縺れた柔らかな猫っ毛を梳かすように撫でる。目元を隠すように覆っている少し長い前髪を人差し指で避けて耳にかけると、顔が露わになった。
渉の目が好きだ。笑うと無くなってしまいそうなくらい細い目。重たげな一重まぶた。小さな瞳。一見すると眼つきが鋭い悪人顔。酷い近視のせいで、メガネをかけないといつでも人を睨んでいるような顔になってしまう。それなのに、実はお人好しで、いつも人の気持ちを優先するような男だ。そんな奴だから、我が儘で自分勝手な所のある私でも、こんなに長く一緒に過ごせたのだ。
渉が無防備によく眠っているのを良い事に、そっとキスをすると小さく呻いて身動ぎした。が、また深く眠ってしまったのだろう、規則正しい呼吸が戻ってくる。このままそっと寝かせてやれば良いのだろうけど、そんな渉が可愛くてもう一度唇を合わせる。今度は少し長く、誘うように唇の隙間に下を差し込むとそれに応えるように寝惚けながらキスを返して来た。ふざけて更に舌を絡めれば、やっと目覚めた渉が睨むような表情でこちらを見る。自分の身に何が起きているのか寝惚けた頭で必死に考えていたが、私の悪戯だと気付くと、ふっと笑って唇を寄せてきた。そして数回、啄む様にキスしたあと私を抱きしめて、夢の中でも浩介とキスしてたよ、と言った。それから、眠れないの?と低めの響く声で聞いてくれる。
「ううん、ただ目が覚めただけ。」
渉の肩に顎を預けて声に耳を澄ませると、低く響く声が耳元に流れ込んできて温かな気持ちになった。渉が、そうなんだね、と言って少し強く抱き寄せてくれる。渉の髪に鼻を押し付けて匂いを吸い込むと、寝る前に吸ったのだろう、煙草の匂いがした。私と同じ銘柄なのに、渉から香る匂いは少し甘い。その甘い香りに、今の私にとっての安らぎは全てここにあるのだと感じた。
背中を擦ってくれる大きな手が温かい。その手で背中をトントンと、あやす様にリズムをとる。赤ん坊の様に扱われている事が、どうにも腑に落ちないが、今はこの心地よいリズムに安心している。ここ数日の違和感もこうしていると自分自身の思い過ごしかも知れないと思えてきた。
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