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第3話

 そう思うと、ここ暫らく抑えていた欲求が顔を覗かせる。  伏し目になって唇を少し開き顔を近づけると、渉も誘われるように唇を近づけてきた。触れ合う唇と舌の柔らかさが心地良い。 「ねえ、したい。ダメ?」 しかし、渉はその言葉には返事をせずに、下唇に甘噛みする。それを合図に深まる口づけ。角度を変えながら、舌を絡ませると身体に熱が点り始める。しかし、軽くリップ音を立てて不意に渉が離れた。 「明日も仕事でしょ。もう年なんだから、業務に響きますよ、橋本さん。」 と言って笑う渉に、なんだよそれ、と拗ねてみるが、もう寝なさいと完全に子供扱いされたところで、熱が冷めてきた。でも、そんな言い草が癪に障って、 「そんなにジジイじゃないし。それに、最近スキンシップ足りてなくない?」 と言ってみる。すると、渉は大きく息をついて、私の目をじっと覗き込んできた。何か隠しているような言うのを躊躇っているような表情をして、結局すっと目を逸して黙ってしまった。だから、やっぱりな、と『違和感』を思い出した。 「何?何か隠してる?何か言いたいことがあるんじゃないの?」 ついきつい口調で問い正してしまう。 「いや、何でもないよ。ただ…」 「ただ何?」 少しの沈黙の後、渉がボソリと言った。 「…………気分じゃないってだけ。ゴメン………」責めようのない返答に急に気が抜けてしまう。 「あぁ、そうね。こっちこそゴメン。そんなの遠慮なんかしなくていいのに。昔からそういうところ、あるよな。」 何気なく思ったことを言っただけだった。 「昔からって?前からずっとそんなこと思ってたの?」 渉が珍しく食ってかかるような言い方をするので、私は少々慌てて取り繕う。 「いやいや、大して深い意味はないって。嫌だと思ってたわけじゃなくて、ただ、渉は昔から遠慮がちなところあるから。」 宥めるように言うと、渉が急に涙を溢した。 「何かあったのか?」 問いかけてみるが、渉は首を振って何もないよと言った。 「ごめんね、言い方がきつかったよね。ちょっと会社で嫌な事があって、苛々してたかも。」 渉は、そう呟くように言って泣き顔のまま、私を抱き寄せる。直感で嘘だと分かったし、何か隠しているような気がしたけれど、そこにはもう触れない方が良いと思った。私もごめんと言って抱きしめ返すと渉が小さく頷いた。髪の毛に染みた煙草の匂いが甘い。渉はもう一度、耳元でゴメンねと囁いて、再びあやす様に背中でトントンとリズムを取る。無言のままそのリズムに身を委ね、渉の鼓動に耳を傾けながら、その安心感に私はいつの間にか眠ってしまった。  そして、翌朝目を覚ましたとき、ベッドには渉の姿はなかった。もう起きたのだろうかと、洗面所を覗いたが姿はなく、キッチンに来てみたがやはり居なかった。  先に仕事に行ったのだろうと思ったけれど、何故か不意に、とても大切な物がこの掌から零れ落ちていく様な焦燥感に襲われたのだった。

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