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第5話
結局、時間を持て余して、いつもより少し早く家を出た。電車を降りて、いつものコンビニに昼食を買いに寄る。しかし、何を見ても食欲がわかず、ブラックの缶コーヒーと適当にシリアルバーを持ってレジに並んた。
会社に一番近い為、職場の人間に会うことも多い。が、渉の事もあってボンヤリしていたらしい。後ろから名前を呼ばれて慌てて振り返ると、すぐ後に川島が立っていた。川島は部署は違うが職場の後輩で、偶然にも同じ高校の後輩でもある女だ。
「橋本さん、おはようございます。何度かお名前呼んだんですけど………びっくりさせちゃってすみません。お疲れですか?あら?またそんなお昼ごはんですか?体に悪いですよ。ちゃんとバランスの良いもの食べないと!だから痩せちゃうんですよ?」
と朝から言いたい放題言ってくる。が、今はそんなお節介もありがたいし、長い付き合いの川島だから、こんな事を言われても腹も立たない。
会計を済ませ川島を待ってコンビニを出ると、気紛れにころころと移り変わる川島のお喋りを聞き流しながら会社へ向かった。同僚や取引先の愚痴や、年上の彼氏の惚気話なんて大して面白い話でもないし、どちらかといえば一人で静かに過ごしたい私にとっては少々迷惑だが、こうして他人のペースに巻き込まれていると気分が紛れた。
しかし、仕事が始まると、渉の事がチラついて仕事に集中出来ずにいた。やっとの事で夕方まで頑張ったが、とうとう気力も失せて、背もたれに背中を預け、足を組んで腕組みをする。私が新入社員なら即刻上司から怒鳴られるだろうが、この年になって役職名で呼ばれるような立場になると、部下の働き振りを眺めている様に見えるかもしれない。いい大人がこんな事ではいけないと思いつつ、真面目に働く部下たちを眺めていると、部下の一人に声を掛けられた。
「橋本部長、大丈夫ですか?顔色が良くないみたいですけど。」
「あぁ、松井くん。大丈夫だよ。ちょっと考え事をしてただけだ。」
すると松井は少しホッとしたような顔をしたが、
「お疲れなんじゃないですか?たまには早く帰ってもいいんじゃないですか?」
と、真面目な顔で言うから思わず笑ってしまう。私の仕事の具合なんて、松井が全てを把握している訳ではないだろうに、上司を心配する可愛い部下に促されて、定時で退社することにしたのだった。
定時退社なんて何時ぶりだろうか。勘違いされたのを良いことに、調子が悪いと皆に嘘をついて明るい時間に家路につく背徳感に浸りながら、夕方の陽射しを浴びて歩く。夏至を過ぎたばかりでまだまだ空は明るい。こんなに早く帰ったところで、きっと家でも色々考えて辛い気持ちになるのだから、会社で仕事をしている方が気が紛れるだろうに。
それなのに、真っ直ぐ帰る気にもなれなくて、駅迄の途中にある公園にふらりと立ち寄った。ベンチに座って、時を惜しむように日暮れまで遊ぼうと駆け回る子どもたちを眺めながら、煙草に火を点ける。吐き出した煙が風に流されていくのを目で追うと、あっという間に空気に紛れて見えなくなった。嫌な事も皆、こんな風に一瞬で消えてしまったら楽なのに。でも現実はそんなに簡単ではない。消えもしなければ忘れる事もできない。家に帰れば渉が出ていった寂しさと向き合わなくてはならないのだ。
もう一度、胸一杯に煙草を吸い込んで、ふうっと吐き出すと、流れていく煙と共に渉との出会いに思いを馳せた。
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