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第16話

 日が昇って間もなく家を出て、職場に向かった。駅前の商店街はまだひっそりとしている。普段の時間なら開店準備に忙しい個人商店も皆シャッターが閉まっていて、人通りも殆どない。動いているものと言えば飲食店の生ゴミを狙うカラスくらいか。そのカラスに、おはようと声を掛けるが、こちらを馬鹿にする様に、カァとひと鳴きして電線に飛び上がってしまった。  歩き慣れた道も時間が違うとこんなに寂しいものなのか。しかし、この景色が寂しく感じるのは、時刻だけの所為ではないだろう。  こんな気持ちになるのなら、浩介の側を離れなければ良いのに、それが出来ないのは、浩介と向き合う勇気のない自分の弱さだ。  静かな商店街をゆっくりとした足取りで歩く。浩介のお気に入りのラーメン屋。二人でよく行く居酒屋や定食屋。途中の路地を入って二軒目の肉屋のメンチカツも浩介が好きだと言っていた。この街に越してきて間もない頃は2個くらいべろりと食べていたのに、最近は歳の所為か、一つしか食べられないと残念そうにしていたっけ。何を見ても浩介との思い出が蘇る。まだまだ、ずっと先の未来まで、一緒に居られると思っていたのに。  そんな感傷に浸りながら駅の側まで来たとき、大きな生花のスタンドが一対、狭い間口に飾られた店が目に入った。ついこの間、帰り道にチラシを貰ったのだ。浩介に一緒に行こうと言ったのは自分なのに、その約束を果たすことは出来そうにない。ごめんね浩介、と心の中で呟いて改札を抜けた。  早朝の仕事場はひっそりとしていた。徹夜で残っていた誰かが奥の休憩室で仮眠を取っているようだが、それ以外は誰も居らず静まり返っていた。その誰かを起こさないように、静かに自席のパソコンの電源を入れると給湯室に行き、コーヒーメーカーのスイッチを入れた。カタログを見て一目惚れして去年社長に頼んで買ってもらったミル付きコーヒーメーカーだ。いつでも挽きたてのコーヒーが飲める。だからいつもは豆を挽く音とか、立ち昇る香ばしい匂いとか、ドリップする時間がとても待ち遠しかったのに、今日は違った。挽くところからやるから時間がかかって、苛ついて、誰だよこんなの買った奴…と自分自身に腹を立てた。やっと出来上がったコーヒーもマグカップに注いで一口啜がいつもより渋く感じて、結局飲む気になれなかった。  パソコンに向かい、フォルダを開いてファイルをクリックする。9時に出社するアルバイトに頼む予定だった会議資料を、結局自分でプリントアウトし、ホチキスで止めた。五人分プラス予備の二部を持って会議室に運びテーブルに並べた。少し疲れて会議室の椅子に座って時計を見ると、まだ7時半で、普段なら浩介を送り出している頃だなと思う。浩介はちゃんと朝飯を食べただろうか、浩介はもう、家を出ただろうか……。やることもなくなると、つい浩介の事を考えてしまう。今朝まで一緒だったのに。そして、浩介を置いて出てきたのは自分なのに、こんなに浩介の事ばかり考えているなんて。そんな自分に呆れて、思わず苦笑した。  

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