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第17話
しかし、そんな思いも、腹の虫が鳴った事で中断した。そうだ、朝食を買いに行こう。思い立って財布と社員証だけを持って、近くのカフェに朝食を買いに出た。最近ハマっているのはその店で焼いているフランスパンに、ハムとレタス、カマンベールチーズを挟んだサンドイッチだ。名前があるのかもしれないが良くは知らないし覚える気もない。
見慣れたメニューから写真を頼りに指で示して注文すると、馴染みの店員に徹夜ですか?と聞かれたが曖昧に笑って誤魔化した。
普段なら冗談の一つも言って会話を楽しんでいるところだけど、今朝はあまり気が乗らなかった。出来立てのサンドイッチとアイスのカフェラテを受け取って店を出ると、とぼとぼと会社への道を辿る。店員に話しかけられるのを避けてテイクアウトにしたが、会社に帰れば帰ったで、会社の皆に余計なことを聞かれそうな気がするから、それも面倒だ。仕方無しに近く濠沿いのベンチに座ってサンドイッチを頬張った。普段ならもっと美味しく感じるのに、今日はもそもそして喉を通らず、一緒に買ったカフェラテで飲み下し、景色に目をやった。
この濠の両岸には桜が植えられていて、春になると、それは見事な景色になる。いつも開花宣言が出ると浩介を誘うが、彼は、その時期、年度末の忙しさですっかり疲れ切っていて花見どころではない。だから未だ一緒に見たことはないんだ。
その桜も今は、青々と葉が茂り、木陰を作っている。6月も末になると、真夏と変わらない日差しで、朝8時でもすでに暑かったが、木陰になったベンチは心地良かった。緑の季節も悪くない。仕事が暇になったこの季節だったら、浩介と来れたかも知れないのに、なぜ今まで気が付かなかったのだろう。一緒に緑を眺めながら、ハムサンドを食べれば良かったな。そんなことを考えながらもう一口齧ったが、半分ほど食べたところで袋に戻し、煙草に火を点けた。食欲がない理由が年齢の所為だけじゃないのは分かっている。そろそろ、現実と向き合わなくては。小さな決心をしてタバコの火を消し、灰皿に捨ててベンチを後にした。
会社に戻ると、朝食で出掛けていた間に、何人か出社していたが、皆一様に佐々木さん早いねと声を掛けてくる。そんな皆はいつもこの時間に出勤しているらしい。同じ職場の連中も、世の中と同じ時間に出社しているのかと思うと、みんな偉いなと感心してしまう。会社はフレックスタイム制だし、俺は自分の打ち合わせがない限りはいつも10時半出社だったから。でもそれぞれに家庭があって、大切にしたい時間があるのかもしれない。そう言う自分も、朝は浩介を見送って、家の事を少しやって…というのも理由なのだ。何をするにも浩介の事ばかりだったな、と苦笑した。
席に戻ってスマホを見ると、何度か浩介からの着信があった。LINEにもメッセージが来ている。何も言わずに出てきたのだから、当然なのに、心臓がドキリと跳ねて、つい反射的に開いてしまった。が、後悔しても遅い。すでに既読と表示されているだろう。
『おはよう。朝、会えなかったから。先に行ったのか?』
浩介に心配をかけている。『そうだよ。』とだけ、返事をすれば良いものを、もう帰るつもりがない事をうまく説明出来ないし、自分自身がとても我が儘な気がして、申し訳無さが込み上げてくる。でも結局、返信は出来なかった。
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