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第18話
9時になり、予定通りアルバイトの遠藤 紀 が出社した。やはり、
「佐々木さん、早いですね。」
というので、急ぎの仕事で、と答えるが、
「嘘ですよね?彼氏と何がありました?」
と言う。
「何で分かるの?」
見透かされてるみたいで怖い。
「何でって佐々木さん、昨日、俺に会議資料の印刷、頼んで帰ったじゃないですか。その資料、印刷が終わって会議室に並べてありましたよね?大方、喧嘩でもして気不味くて会社にでも泊まったんだろうなと。」
「紀くん、怖いよ、その観察力。でも、泊まっはいない…」
「じゃあ、夜中にケンカして飛び出して来たんですか?」
「当らずとも遠からず?ていうか、いやいや、何で分かるの、彼氏絡みって。」
「佐々木さん、普段から案外行動が単純だからです。」
「なんかムカつくな。」
自分がゲイだという事は、社内では殆どが知っている。会社立ち上げからの古株だから、そんな事を遠慮する必要もなかったし、新人が入れば自己紹介のついでに話しているから、大抵皆すんなりと受け入れる。たまに、冗談なのだろうが、好きにならないで下さいね、とか、襲わないでくださいなんて言われるけど、お前なんかに興味ないから安心しろと言ってやる。……とまぁそんな経緯で紀も知っている訳だ。
「今晩泊めて上げましょうか?」
「マジ?」
「僕と寝てくれたら、ですけど。」
そうだった。この子は俺のことを好きだと言うのだ。親子ほども年が離れているのだから、彼から見れば、まぁオッサンだろうに、どこが良いのか…。
こちらが狼狽えていると軽く、嘘ですけどね、と笑う。こうして、こちらの反応を見て楽しんでいるらしい。
「冗談ですよ。見返りなんて求めません。」
「全く、大人を誂うなよ。やっぱり止めとくよ。紀くん、ちょっと、いや、かなり怖い。」
そんな会話をしていると、社長がおはようと、皆に声をかけながら入ってきた。そして、
「渉、早いな。」
とニヤニヤ笑いながら言う。紀と同じことを考えていそうな、その雰囲気にげんなりしつつ、こんな日もありますよと口を尖らせた。
社長が急に思い出したように、
「健康診断の再検査、行ったのか?判定、相当悪かっただろ。ちゃんと行けよ。」
そう言うので、少し前に行きましたよと答える。すると社長は、声を落として
「で、どうなんだ?」と言った。
それを横で聞いていた紀が察したように、
「僕、もう行きますね。」
と事務所に戻っていった。
近くの会議室に促されて入ると、社長がドアを閉める。
「どうなんだ、具合は?」
「まぁ、良いとは言えない感じですね。」
「そうか…。入院するのか?」
「今、主治医と色々話してて、再来週から治療始めることになりそうですよ。」
「お前なあ、そういう事は早く言えよ。休んでる間とかどうするんだよ。」
「通院でも大丈夫だって。なんとかなるんじゃないすかね?」
冗談めかして笑いながら答えると、
「はぁ、全くお前はお気楽だなぁ。副作用とか聞くだろうが。」
と叱られた。
そんな事、分かってる。笑ってないとやってられないだけだ。何とかなるさ、とでも思ってなければ生きていることさえ辛くなる。
「治りそうか?」
「さあ、どうでしょ。進行が早いみたいなんで、この先どうなるか。」
と言って、また笑うと、社長は黙ってしまった。気まずい沈黙が流れる。が、少しして、
「何かあったらすぐ言えよ。」
とだけ言って社長室に入ってしまった。
会議室に一人残された俺は、机に腰掛けて天井を見上げる。あぁ、社長に言ってしまった。学生の頃から目を掛けてくれて、会社立ち上げの時にも誘ってくれた、謂わば父親のような存在とも言える恩のある人だ。でも、浩介には話していないのに、と後悔した。どうして社長には話せて浩介には話せなかったのだろう。何だかそれが、浩介への裏切りの様な気がして、嫌な気分だ。今みたいに、笑って話せば良かったかも知れない。それが出来ていれば家を出ずに済んだんだろうか。
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