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第19話

 渉が出ていって三週間と少し、彼がいない生活に少し耐えられるようになって来た。  初めは、家にいれば否応なしに渉の痕跡を目にして、いない影を探してしまう状態で、そこから逃れるように会社に行く日々だった。……とはいえ、耐えきれず早退したこともあったけれど。それでも、少しずつそれを受け入れている自分がいる。寂しくない訳では勿論ない。ただ、「居ないこと」に徐々に慣れて来たのだろう。  最初の一週間はただ寂しくて、理由が分からず苦しかった。渉に電話をしてみたり、LINEで「いつ帰ってくる?」とか「何処にいる?」などと送っては返事を待った。そして返事が来ないことに落胆して、返事を寄こさない渉とそれを送った自分に腹を立てた。仕事中も渉からの返信がないか、着信がないかとスマホが気になって、目に付かないところに仕舞ったりした。  心に浮かぶのは、何故という二文字ばかりだ。何故、居なくなったのか。何故、黙って出ていったのか。何故、理由を教えてくれないのか。何故、何故。分からない沢山の『何故』に胸が押し潰されそうになりながら、自分の何が悪かったのか、渉の何を理解していなかったのかを考えた。  家に居れば、渉が毎日使っていた、私のものと色違いのマグカップが、使われないまま食器棚にあるのを見て溜め息をついた。渉が買って料理をせぬまま消費期限が切れた食材を、苛立ちとともにゴミ箱に投げ捨てた。そして、うっかり朝食を二人分作ってしまう自分に呆れた。  しかし、一週間経った頃、川島と飲みに行って気晴らしをした後、少し気持ちが吹っ切れたのだ。状況が変わったわけではないが、LINEをすれば既読になるし、電話に出なくてもブロックはされていない。それは、渉が私を拒絶している訳では無いという事だと思った。もし、私との関わりを一切断ち切りたいのなら、メッセージだって電話だってブロックすれば良い。でも、彼がそれをしないのは、私に対して、まだ多少の未練があるからはないだろうか。  もしそうなら、待っていたら帰ってくるんじゃないだろうか。この間の出来事が切っ掛けだったとして、衝動的に出ていったけれど、本当は帰りたいのだとしたら?きっと気持ちが収まれば帰って来る。そんな希望的願望に縋りついて、その後の日々を過ごした。  こんな事、当の本人が知れば自惚れるなと怒るかもしれないが、それが私に希望の光をもたらしたのだ。  自分自身、本当に未練がましく格好悪いと思う。どんなに物の見方を変えたところで、渉に捨てられた事に変わりはないのに。でも、いなくなった原因を突き詰めるよりも、どうすれば帰ってきてくれるのかを考えて希望に縋る方が気持ちが楽だった。  ところが、その希望の光も、今失われた。  今日は早めに退社して、寄り道もせずに部屋に帰ったのだ。いつも通りドアを開けると、部屋中カレーのいい匂いが立ち込めている。渉が帰ってきたのだと、嬉しくなって急いで靴を脱いだが、部屋に灯りはなく、誰も居ないのだと直に分かった。そして、落胆した私に追い打ちを掛けるように、テーブルにメモが残されていた。 『必要なものは持っていきます。残りの荷物は全部処分して欲しい。よろしくお願いします。 迷惑かけてごめん。 渉』 たったそれだけの短いメッセージ。その横には、洗い忘れたのか、飲みかけのコーヒーが少しだけ入った渉のマグカップが、置き去りにされていた。

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