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第25話
浩介は俺のカレーは特別だなんて言うけど、作り方は至って普通だ。強いて言えば初めに、クミンと少しのカレー粉を油で炒って、そこに鶏肉を入れて香りを付けながら焼くところかな。そこに野菜を入れて炒めれば、後は、ルーの箱に書いてある作り方通りだ。
学生の頃は、外食する金もないし、学校とアルバイトで忙しく、作る余裕もなかった。だから、作れるときに沢山作って冷凍していたんだ。その時の名残で、今でもカレーを大量に作ってしまう。単純に具材を減らせばいいんだけど、減らすと何故か思った味にならない。炒めた具に水を入れて煮始めれば、後は火が通るまで待ってルーを入れればいい。野菜が煮える頃には集荷も来る頃だろう。
ぐつぐつ煮える鍋の音を聞きながら、不意に何で俺はこんな事をしているんだろう、と、笑ってしまった。もう出ていこうとしているのに、未練がましいにも程がある。勝手に出ていった男が、家に戻って来て、カレーの作り置きをしてるなんて、笑い話にもならない。食生活が心配だなんてお節介、浩介だっていい迷惑だろう。俺が居なくちゃダメだと思う事で、俺自身が満足しているだけなんだ。こんな事なら、家出なんてしないで、ちゃんと話しておけば良かったんだ。
会社の検診結果が出たときも、再検査を受ける前も、結果が出たときも、何度も話すチャンスはあったと思うんだ。でも、しなかった。
最初に検診結果が来たとき、正直、ドキッとした。去年の終わりの事だ。毎年、然程気にする様な結果ではなかったから、何気なく開いて、ざっと目を通していたら、胃のX線検査の判定欄の『E』という文字を見て目を疑った。詳細を見ていくと、一箇所『要精密検査』の文字がある。何かの間違いだろう、それが最初の気持ちだった。
浩介には、冗談交じりに話そうと思ったが、丁度その頃、浩介の知り合いが癌になって、見舞いに行ったと言う話を聞いて、言うのを止めた。再検査の結果が分かってからでもいいや、って。それに、「バリウム検査って当てにならない」とか「再検査しても異常なしってこと多いんだよね」っていう同僚の言葉で安心してしまって、年末年始の忙しさを理由に、まだ良いかと検査を先送りにしたんだ。
それから数カ月後、社長に再検査の確認をされて、やっと重い腰を上げて病院を探した。病院に行くことになったときも、浩介に話すか迷って止めた。やっぱり結果が出てからにしようと。だから、検査の日、朝食を食べない俺を心配して浩介は色々聞いてきたけど、食欲がなくて、とはぐらかした。
でも、結果は最悪だった。進行の早い『スキルス胃癌』だった。これは、きちんと話さなくちゃいけないと思った。浩介に伝えなくちゃ、と。でも何から言えばいいか、結果をどう伝えるか、散々迷って考えても言葉が見つからず、毎日苦しかった。
浩介に隠し事をしているという後ろめたさと、その話せないでいる事柄の大きさ、宣告された自分の余命に胸が押しつぶされそうだった。でも、もう言えなかった。
だって、もうすぐ死ぬかも知れないなんて、どんな顔をして言えばいい?それで、結局、何も話せないまま、逃げ出したんだ。
クツクツと音を立てて煮える鍋のカレーが泪で滲んで見えた。
集荷の宅配業者が来て、もう一度、自分の部屋に戻って荷物を見た。捨てようと思って袋に入れたCDが目に入って、懐かしくなった。浩介に片思いしていた頃に聴いていたCDだった。袋から取り出してカバンにしまう。こうやって、また捨てられないものを増やしてしまうんだ。
あと少し、ゴミを捨てに行こうと思ったが、疲れてダメそうだった。こんなに沢山のゴミを部屋に置いておくのは気が引けるけれど、やれるだけやったから後は浩介に頼もう。これが最後の我が儘ならば、許してくれるだろうか。近くにあった紙を取って、浩介に宛てたメモを残す。
『必要なものは持っていきます。残りの荷物は全部処分して欲しい。よろしくお願いします。
迷惑かけてごめん。 渉』
これじゃ、素っ気なさ過ぎるだろうか。しかも、置き手紙だけで、こんなに沢山の処分を頼むなんて、浩介は怒るかもしれない。でも、いいんだ。いい加減な嫌なやつだと思って、早く忘れてくれれば良い。
時刻は午後6時、浩介が帰ってくるには、まだ早いが、のんびりしていたら鉢合わせてしまうだろう。ガスコンロの火を確認して、部屋にサヨナラを言うと家を後にした。
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